2012-06-29

不思議(承前)

『夢のような再会』

夢のような再会の瞬間でした。

それまで母親は幼い娘の"死"を、取り返しのつかない決定的なものと考えていましから。

心の中にポッカリと悲しみの穴があいてしまったのです。

悲しみは深く、涙がとめどなく流れました。あの悲痛な気持ちは二度と味わいたくない。

悲しみを振り返るたびに無念が込み上げてきます。

神は無慈悲だとさえ感じました。

その悲しみ、無念を奇跡の再会が一気に吹き飛ばしてくれたのです。

立派に成長した、美しい娘を目の前にして。わが目を疑いました。

近づいてきた娘は母親を優しく抱きしめました。

高貴な香りがしました。

わたしのお母さん!

幼くして死んだ娘の、わたしが成長して、再会できて、さぞかし驚かれたことでしょう!

幼くして死んだわたし。

わたしの定め。

死後、どう変化して、成長にしたのか?その秘密からお話ししましょう。

天国でまず体験する最高の幸せは、天使に導かれて

「神にお会いできたことです。」

神にお会いすることから、奇跡的な不思議な出来事がたくさん起きました。

天国は神のお住まいです。

わたしのように幼くして死んだ子どもたち。

病や、事故死、自殺。

戦で死んだ兵士。

災害や、様々な方々の死者の魂が天国に来ます。

天国は誰彼の区別なくいつでも開かれています。

地上生活で立派な行いをした人たちだけではなく、過ちを犯した人たちにも開かれているのです。

人間は神の御心を時に誤解します。

自分中心の正しい行いがいつの間にか、自分自身の神となり、天国は自分中心の誤った場所になります。

そうです。

むしろ過ちを犯した人たちが救われる場所です。

この鮮やかな彩り。

和かな人々、愛に満ちた場所。

様々な美しい植物や生き物。

皆、神の創造されたあるべき本当の姿です。

神は、未熟な命を成長させ、老いた命を若返らせます。

傷ついた体を傷みのない完全な体(霊体)に治してくださいます。

恐怖心を取り除き平安と祝福を与えてくださいます。

また、地上で犯した罪人にも天使を添わせて悔い改めに導くのです。

不完全な命が、神のお導きにより具体的に救われます。

それはイエス・キリストの語られた言葉に示されています。

神の創造された世界は人間に限らず生きとし生けるものの命は完全な命として永遠の命に変えられます。

天界には肉体を与えられない、霊が無数に存在します。

その中から選ばれた霊に肉体が与えられます。

話しは続きましたが、長くなりますから割愛させていただきます。

最後に。

彼の母親は、年老いて平安のうちに、神のみもとに召されたそうです。

余談です。

この不思議な体験談は母親の日記に書かれていた霊界体験記です。

日記の中には、同じ体験をして体がよれよれになりながら、死後の世界、天国で、死んだ子どもと再会を果たした親の感動的な体験談も書かれていたそうです。

子どもの死をなぜ?あれほど悲しんだのか?

肉体が死んでも死なない命に蘇る。

もし?わたしが天国の消息を早く知っていたら、年老いていく日まで、あのような悲嘆にくれ、絶望的になることは避けられたでしょうに!。

夢の中で再会を果たした子どもとの出会いの奇跡的喜びの声が記述されていたと言うことです。

義人ヨブ記が脱線しました。

次回は本文に戻ります。

死に対する考え方、受けとめ方は千差万別だと思います。

信仰の有無に関わらず訪れる人生の締めくくりを書いて見ました。

来世の姿、具体的な生活の場所がわかれば、死の恐怖は取り除かれます。

最近、様々な訃報に接し、ご召天された方々を偲び、またご遺族のお心を考えました。

霊界を信じるか?否かは脇に置いて、天に召された御霊にこの拙文を謹んで捧げます。

神のご加護と祝福を祈ります。

アーメン・ハレルヤ†

愛の樹オショチ†

パウル・クレー 鈴をつけた天使(1939)

2012-06-27

不思議

『天国は神に祝福され、聖別された場所』

仲間の寿司屋さんから聞いた話です。

幼くして、神に召された姉の話を講義が終わった後、彼の母親の不思議な体験談として話してくれました。

幼い娘を失った、親の悲嘆を慰める人がいません。

母親はついに寝込んでしまったそうです。

幼心に姉が目の前から消えて居なくなった現実が理解できず、姉と遊んだ場所を独り探し歩いた話など涙ぐみながら話してくれました。

死の意味が幼い彼に理解できないのでした。

そんなある日、突然!母に異変が起きました。

「昨夜、天国で姉に会ったと言うのです?。

夢の中に、一本の道が目の前に現れ誰かに導かれ、しばらく歩くと微かに光りが見えてきました。

こちらからは良く見えない薄いカーテンの様な不透明な向こうがわに微かに光りが見えます。

振り返ると、自宅が見えました。

そこにはいつも通りの生活があり、家族の姿も見えるのです。

布団に横たわっている自分の姿も見えます。

二人のわたしを一人のわたしが同時に見ているのです。

なんとも言えない不思議な気持ちになりました。

またしばらく歩くと美しい人々が見えました。

皆、その体が輝いています。

その場所は、良い香りに満ちています。

透き通った、優しい新鮮な空気。

旧約聖書に書かれている光り輝く場所。

エデンの園から流れる様々な美しい風景はとてもわたしには描写できない有様でした。

その時神を讃える歌が聞こえてきました。

近づいて行くと、若い娘達がいました。

天国の話は聞いていました。

美しい賛美歌。

祈り。

様々なエッセイ。

美しい詩。

天才画家の宗教画。

彫刻等を通してですが。

しかし、わたしが今見ている天国は、死んだ娘のいる大切な場所でした。

わたしの願いはただ一つ。幼くして神に召された娘に会うことでした。

もし、天国が本当にあり、限りなく幸せで楽しい場所なら娘に再会できるはずです。

再び死別のない世界。

わたしはひざまずき神に祈りました。

わたしの悲しみをご存知の神よ!御子・イエス・キリストのみ名により娘に会わせてください†

わたしの目には、天国は、想像を遥かに越えた、すべての命が生き生きと躍動している刺激に満ちた場所に思えました。

魂が今まで感じたことのない最高の霊的エクスタシーを全身に感じました。

皆、輝いていました。

その時わたしは自分の姿を見てハットしました。

俗世の罪にまみれたみすぼらしい姿、やっれた体、薄汚れた顔、恥ずかしさのあまり体が震えるるのです。

わたしは言い訳を恥ずかしく思いました。

不信仰、悲観、知ったかぶり、狭い了見。

宗教的独善。偏見等々です。

その時、一人の美しい娘が親しみを込めて近づいてきました。

「娘がわたしに話し掛けてきました。お母さん、わたしが誰だかお分かりでしょうか?
…。わたしはあなたの娘です。」

母親は驚きのあまりしばらく声が出せずに黙って娘の姿を見つめていました。

続きます。

愛の樹オショチ†
パウル・クレー 希望に満ちた天使(1939)

2012-06-21

義人ヨブ記(job)29「死後の世界」

最近続け様に、親しい方々の訃報が届きます。

私もいつの間にか身近な方々を見送る歳になったことを改めて実感します。

イエスの弟子たちも、肉体が死を迎えた時、さらに死後の世界に深い怖れと関心を抱き、再三イエスに質問します。

イエスは弟子たちに答えました。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。わたしをも信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
(ヨハネ14:1~4)
イエスは言われた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
(ヨハネ14:6)

天国とは、わたしたちが日頃、想像する漠然とした宇宙空間にふわふわ漂うものではなく、はっきり実在する場所だと、イエスは明言しました。

神の御子の特質です。

弟子たちの心の奥底に潜む不安感を見抜き、死の怖れを取り除きました。

人間の肉体が死を迎えた時、何が、どうなるのか?

その有様を4つの言葉で説明した人物がいます(恣意的な解釈がありますがご容赦ください)。

13世紀の哲学者、カトリックの偉大な聖人、トマス・アクィナスは人間の体が天国で得る4つの特質をあげています。

霊妙、輝き、機敏、不滅です。

これはキリストが身を持って示した性質を反映したもの、要するに、体の働きが根底から変わることを示唆しています。

たとえば、サナギが綺麗な蝶に羽化するように、人間も肉体を脱ぎ捨てたときから霊体に変わる(メタモルフェ→化体変貌)すると彼は考えました。

肉体は、原子、分子、細胞で構成されています。

肉体とは、そう言うものです。

宇宙の塵の集合体です。

また、肉体は、魂と違って大きさ、重さ、形を持っていますが、霊体に重さはありません。

【霊妙】

人間の知恵ではとうていはかりしれないほど、すぐれてとうといこと。

【輝き】

神の永遠の霊の輝きです。
シナイ山で、預言者、 モーセが十戒を神に授けられたとき、神はモーセの質問に答えました。

「わたしの名はありてあるもの永遠の霊の輝きであると。」

イエスはその体現者です。

【機敏】

イエスはゴルゴタの丘で十字架の刑死を遂げた後、弟子たちの前にしばしば現れ、食事を共にし、また疑う弟子には傷痕を触らせています。

人間の住む三次元の世界と、われわれ人間には異次元の四次元の空間を自由自在に瞬時に機敏に移動しました。

死後の世界は、わたしたちが帰り行く本当のふるさと、終の住家です。

その有様を明白に示されました。

【不滅】

文字通り、霊魂は不滅です。
よく、永眠と言う言葉を聞きますが、死は新しい霊魂の目覚めですから、天国で眠りこけることではありません。

人間は肉体に(様々な誘惑)振り回されがちな不安な存在ですが、死によって、イエスに似せられ、肉体の支配から解放されます。

魂は浄化され本当の自由が与えられます。

原子、分子、細胞から作られた肉体は壊れても、霊体は神に授けられた永遠の命ですから壊れません。

次回コメント追加します。

義人ヨブ記に移ります。

 【ヨブの嘆き】

ヨブは言葉をついで主張した。

どうか、過ぎた年月を返してくれ
神に守られていたあの日々を。

あのころ、神はわたしの頭上に
 灯を輝かせ

その光に導かれて
 わたしは暗黒の中を歩いた。

神との親しい交わりがわたしの家にあり
わたしは繁栄の日々を送っていた。

あのころ、全能者はわたしと共におられ
わたしの子らはわたしの周りにいた。

乳脂はそれで足を洗えるほど豊かで

わたしのためには
 オリーブ油が岩からすら流れ出た。

わたしが町の門に出て
広場で座に着こうとすると

若者らはわたしを見て静まり
老人らも立ち上がって敬意を表した。

おもだった人々も話すのをやめ
口に手を当てた。

指導者らも声をひそめ
舌を上顎に付けた。

わたしのことを聞いた耳は皆、祝福し
わたしを見た目は皆、賞賛してくれた。

わたしが身寄りのない子らを助け
助けを求める貧しい人々を守ったからだ。

死にゆく人さえわたしを祝福し
やもめの心をもわたしは生き返らせた。

わたしは正義を衣としてまとい
公平はわたしの上着、また冠となった。

わたしは見えない人の目となり
歩けない人の足となった。

貧しい人々の父となり
わたしにかかわりのない訴訟にも尽力した。

不正を行う者の牙を砕き
その歯にかかった人々を奪い返した。


わたしはこう思っていた
「わたしは家族に囲まれて死ぬ。
人生の日数は海辺の砂のように多いことだろう。

わたしは水際に根を張る木

枝には夜露を宿すだろう。

わたしの誉れは常に新しく

わたしの弓はわたしの手にあって若返る。」

人々は黙して待ち望み
わたしの勧めに耳を傾けた。
わたしが語れば言い返す者はなく
わたしの言葉は彼らを潤した。

雨を待つように
 春の雨に向かって口を開くように

彼らは私を待ち望んだ。

彼らが確信を失っているとき
 わたしは彼らに笑顔を向けた。

彼らはわたしの顔の光を
 曇らせることはしなかった。

わたしは嘆く人を慰め
彼らのために道を示してやり

首長の座を占め
軍勢の中の王のような人物であった。

(ヨブ記 第29章)

続きます。

愛の樹オショチ†

「聖トマス・アクィナス」 フラ・アンジェリコ画

2012-06-17

今週の聖句 6月17日~30日

詩篇56篇
聖歌隊の指揮者によって、「遠き所におる音をたてぬはと」のしらべにあわせてうたわせたダビデのミクタムの歌。これはダビデがガテでペリシテびとに捕えられたときによんだもの

神よ、どうかわたしをあわれんでください。
人々がわたしを踏みつけ、
あだする人々がひねもすわたしをしえたげます。

わたしの敵はひねもすわたしを踏みつけ、
誇りたかぶって、わたしと戦う者が多いのです。

わたしが恐れるときは、あなたに寄り頼みます。

わたしは神によって、そのみ言葉をほめたたえます。
わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。
肉なる者はわたしに何をなし得ましょうか。

彼らはひねもすわたしの事を妨害し、
その思いはことごとくわたしにわざわいします。

彼らは共に集まって身をひそめ、
わたしの歩みに目をとめ、
わたしのいのちをうかがい求めます。

神よ、彼らにその罪を報い、
憤りをもってもろもろの民を倒してください。

あなたはわたしのさすらいを数えられました。
わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。
これは皆あなたの書に
しるされているではありませんか。

わたしが呼び求める日に、わたしの敵は退きます。
これによって神がわたしを守られることを知ります。

わたしは神によってそのみ言葉をほめたたえ、
主によってそのみ言葉をほめたたえます。

わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。
人はわたしに何をなし得ましょうか。

神よ、わたしがあなたに立てた誓いは
果さなければなりません。
わたしは感謝の供え物をあなたにささげます。

あなたはわたしの魂を死から救い、
わたしの足を守って倒れることなく、
いのちの光のうちで神の前に
わたしを歩ませられたからです。

2012-06-10

今週の聖句 6月10日~16日

詩篇55篇
聖歌隊の指揮者によって琴をもってうたわせたダビデのマスキールの歌

神よ、わたしの祈に耳を傾けてください。
わたしの願いを避けて身を隠さないでください。

わたしにみこころをとめ、わたしに答えてください。
わたしは悩みによって弱りはて、

敵の声と、悪しき者のしえたげとによって
気が狂いそうです。
彼らはわたしに悩みを臨ませ、
怒ってわたしを苦しめるからです。

わたしの心はわがうちにもだえ苦しみ、
死の恐れがわたしの上に落ちました。

恐れとおののきがわたしに臨み、
はなはだしい恐れがわたしをおおいました。

わたしは言います、
「どうか、はとのように翼をもちたいものだ。
そうすればわたしは飛び去って安きを得るであろう。

わたしは遠くのがれ去って、野に宿ろう。〔セラ

わたしは急ぎ避難して、
はやてとあらしをのがれよう」と。

主よ、彼らのはかりごとを打ち破ってください。
彼らの舌を混乱させてください。
わたしは町のうちに暴力と争いとを見るからです。

彼らは昼も夜も町の城壁の上を歩きめぐり、
町のうちには害悪と悩みとがあります。

また滅ぼす事が町のうちにあり、
しえたげと欺きとはその市場を
離れることがありません。

わたしをののしる者は敵ではありません。
もしそうであるならば忍ぶことができます。
わたしにむかって高ぶる者はあだではありません。
もしそうであるならば身を隠して
彼を避けることができます。

しかしそれはあなたです、わたしと同じ者、
わたしの同僚、わたしの親しい友です。

われらはたがいに楽しく語らい、
つれだって神の宮に上りました。

どうぞ、死を彼らに臨ませ、
生きたままで陰府に下らせ、
恐れをもって彼らを墓に去らせてください。

しかしわたしが神に呼ばわれば、
主はわたしを救われます。

夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、
主はわたしの声を聞かれます。

たといわたしを攻める者が多くとも、
主はわたしがたたかう戦いから
わたしを安らかに救い出されます。

昔からみくらに座しておられる神は
聞いて彼らを悩まされるでしょう。〔セラ
彼らはおきてを守らず、神を恐れないからです。

わたしの友はその親しき者に手を伸ばして、
その契約を破った。

その口は牛酪よりもなめらかだが、
その心には戦いがある。
その言葉は油よりもやわらかだが、
それは抜いたつるぎである。

あなたの荷を主にゆだねよ。
主はあなたをささえられる。
主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。

しかし主よ、あなたは彼らを
滅びの穴に投げ入れられます。
血を流す者と欺く者とは
おのが日の半ばも生きながらえることはできません。
しかしわたしはあなたに寄り頼みます。

2012-06-05

義人ヨブ記(job)28

ヨエルの預言

我が霊を全て肉なるものに注ぐ!……。
生きている間は精一杯生きて、神様のもとに帰りたい!

ある姉妹の祈りです†


最後は老年になってこそ、その命の輝きを後に残していこう!

美しい完成を目指そう!

最近、独立伝道に立ち上がった途中、30年前のテープに、録音してあった一部を教会の弟子たちが再録編集してくれました。

水曜、祈祷会の断片的な証と祈祷です†

話は変わりますが、今月13日で、K先生から余命一年の癌宣告を受けて5年目の闘病生活に入りました。

その間右腎う癌、胆嚢の摘出手術も体験しました。

正直に申せば、毎日が死と背中合わせの日々でした。

現在も状況は同じだと思います。

命には限りがありますから来るべきときに備えて、今、果たすべきことを誠実に果たしたいと願い、出来ることを続けています。

悪性リンパ腫の治療も継続中です。

儚いようで、したたかな生命の不思議さを実感します。

神のご加護です†


しかし眠れぬ夜は、星ぼしが瞬く、深夜の空を見つめ、涯しない宇宙の生命の律動とその神秘に触れて再び生きる力を得ます。

何時の日にか、帰り行く霊魂の故郷、神の栄光の御国を偲びます。

余命いくばくもないと決意したときに書いた拙句を添えました。

「目の前の/一つ々を越えていく/生きる力はあなたから」

「子供らに/大丈夫だよと声を掛け/微笑み交わす聖日の朝」

まだ生きて行きます。

「義人ヨブの物語に移ります。」
【神の知恵の賛美】

銀は銀山に産し
金は金山で精錬する。

鉄は砂から採り出し
銅は岩を溶かして得る。

人は暗黒の果てまでも行き

死の闇の奥底をも究めて鉱石を捜す。

地上からはるか深く坑道を掘り
行き交う人に忘れられ
地下深く身をつり下げて揺れている。

食物を産み出す大地も
下は火のように沸き返っている。

鉱石にはサファイアも混じり
金の粒も含まれている。

猛禽もその道を知らず
はげ鷹の目すら、それを見つけることはできない。

獅子もそこを通らず
あの誇り高い獣もそこを踏んだことはない。

だが人は、硬い岩にまで手を伸ばし
山を基から掘り返す。

岩を切り裂いて進み
価値あるものを見落とすことはない。

川の源をせき止め
水に隠れていたものも光のもとに出す。

では、知恵はどこに見いだされるのか
分別はどこにあるのか。

人間はそれが備えられた場を知らない。
それは命あるものの地には見いだされない。

深い淵は言う
「わたしの中にはない。」
海も言う
「わたしのところにもない。」

知恵は純金によっても買えず
銀幾らと価を定めることもできない。

オフィルの金も美しい縞めのうも
サファイアも、これに並ぶことはできない。

金も宝玉も知恵に比べられず
純金の器すらこれに値しない。

さんごや水晶は言うに及ばず
真珠よりも知恵は得がたい。

クシュのトパーズも比べられず
混じりない金もこれに並ぶことはできない。

では、知恵はどこから来るのか
分別はどこにあるのか。

すべて命あるものの目にそれは隠されている。

空の鳥にすら、それは姿を隠している。

滅びの国や死は言う
「それについて耳にしたことはある。」

その道を知っているのは神。
神こそ、その場所を知っておられる。

神は地の果てまで見渡し
天の下、すべてのものを見ておられる。

風を測って送り出し
水を量って与え

雨にはその降る時を定め
稲妻にはその道を備えられる。

神は知恵を見、それを計り

それを確かめ、吟味し
そして、人間に言われた。

「主を畏れ敬うこと、それが知恵
悪を遠ざけること、それが分別。」

(ヨブ記 第28章)

続きます。

愛の樹オショチ†

2012-06-03

今週の聖句 6月3日~9日

詩篇54篇
聖歌隊の指揮者によって琴をもってうたわせたダビデのマスキールの歌。これはジフびとがサウルにきて、「ダビデはわれらのうちに隠れている」と言った時によんだもの

神よ、み名によってわたしを救い、
み力によってわたしをさばいてください。

神よ、わたしの祈をきき、
わが口の言葉に耳を傾けてください。

高ぶる者がわたしに逆らって起り、
あらぶる者がわたしのいのちを求めています。
彼らは神をおのが前に置くことをしません。〔セラ

見よ、神はわが助けぬし、
主はわがいのちを守られるかたです。

神はわたしのあだに災をもって報いられるでしょう。
あなたのまことをもって彼らを滅ぼしてください。

わたしは喜んであなたにいけにえをささげます。
主よ、わたしはみ名に感謝します。
これはよい事だからです。

あなたはすべての悩みからわたしを救い、
わたしの目に敵の敗北を見させられたからです。