仲間の寿司屋さんから聞いた話です。
幼くして、神に召された姉の話を講義が終わった後、彼の母親の不思議な体験談として話してくれました。
幼い娘を失った、親の悲嘆を慰める人がいません。
母親はついに寝込んでしまったそうです。
幼心に姉が目の前から消えて居なくなった現実が理解できず、姉と遊んだ場所を独り探し歩いた話など涙ぐみながら話してくれました。
死の意味が幼い彼に理解できないのでした。
そんなある日、突然!母に異変が起きました。
「昨夜、天国で姉に会ったと言うのです?。
夢の中に、一本の道が目の前に現れ誰かに導かれ、しばらく歩くと微かに光りが見えてきました。
こちらからは良く見えない薄いカーテンの様な不透明な向こうがわに微かに光りが見えます。
振り返ると、自宅が見えました。
そこにはいつも通りの生活があり、家族の姿も見えるのです。
布団に横たわっている自分の姿も見えます。
二人のわたしを一人のわたしが同時に見ているのです。
なんとも言えない不思議な気持ちになりました。
またしばらく歩くと美しい人々が見えました。
皆、その体が輝いています。
その場所は、良い香りに満ちています。
透き通った、優しい新鮮な空気。
旧約聖書に書かれている光り輝く場所。
エデンの園から流れる様々な美しい風景はとてもわたしには描写できない有様でした。
その時神を讃える歌が聞こえてきました。
近づいて行くと、若い娘達がいました。
天国の話は聞いていました。
美しい賛美歌。
祈り。
様々なエッセイ。
美しい詩。
天才画家の宗教画。
彫刻等を通してですが。
しかし、わたしが今見ている天国は、死んだ娘のいる大切な場所でした。
わたしの願いはただ一つ。幼くして神に召された娘に会うことでした。
もし、天国が本当にあり、限りなく幸せで楽しい場所なら娘に再会できるはずです。
再び死別のない世界。
わたしはひざまずき神に祈りました。
わたしの悲しみをご存知の神よ!御子・イエス・キリストのみ名により娘に会わせてください†
わたしの目には、天国は、想像を遥かに越えた、すべての命が生き生きと躍動している刺激に満ちた場所に思えました。
魂が今まで感じたことのない最高の霊的エクスタシーを全身に感じました。
皆、輝いていました。
その時わたしは自分の姿を見てハットしました。
俗世の罪にまみれたみすぼらしい姿、やっれた体、薄汚れた顔、恥ずかしさのあまり体が震えるるのです。
わたしは言い訳を恥ずかしく思いました。
不信仰、悲観、知ったかぶり、狭い了見。
宗教的独善。偏見等々です。
その時、一人の美しい娘が親しみを込めて近づいてきました。
「娘がわたしに話し掛けてきました。お母さん、わたしが誰だかお分かりでしょうか?
…。わたしはあなたの娘です。」
母親は驚きのあまりしばらく声が出せずに黙って娘の姿を見つめていました。
続きます。
愛の樹オショチ†
パウル・クレー 希望に満ちた天使(1939)
世の中には、説明のつかないことが、多々あります。
返信削除母がなくなり、心と体のバランスが、不安定で、息子と1階の母のベットに寝入っていた私のところに、男のひとが、現れて私の右手をつかみ連れて行こうとしたので、息子を叫んで、振り払ったら、すぐ消えて、
隣りに寝ていた息子にお前かとたずねたら、違うといい、早朝親しい知人が、亡くなったとの知らせ。
引っ張られた同じ時間に亡くなったとのこと。
その日一日中引っ張られたところが、赤く痛みました。天国が、あるのなら、苦しんで、亡くなった人たちも、もう痛みもなく、苦しみもない世界があるなら、残されたひとも、亡くなった人たちも救われます。
まだこの世に生かされている意味を考えながら、感謝して一日一日を悔いのないよう過ごしたいと思います。