創世記
【イサクの妻】
それから何年かたって、アブラハムはとても年よりになりました。神はどんなことについてでも、アブラハムを祝福されました。
ある日のこと、アブラハムは、自分の財産をまかせているいちばん年うえのめしつかいをよんで、こう言いました。「どうかおまえの手をかしておくれ。主なる天と地との神にかけてちかっておくれ。息子のよめをカナン人の娘からえらばないでおくれ。わたしのくにへいって、親せきのなかからよめをさがしてきておくれ。」
めしつかいは「もしわたしのえらんだ娘さんが、このくににくるのをいやがったら、どうしましょう。息子さんを、おくにまでおつれしましょうか」とたずねました。
アブラハムは「息子をつれてゆくひつようはない。父の家からわたしをこの地につれてこられた天の神は、わたしとわたしの子孫にこの地をあたえようと、やくそくしてくださったのだから。
神は、天使をつかわしてくれて息子の妻をおしえてくださるだろう。その女がこのくににきたくないのなら、しかたがない。ただ、息子をハランにつれてゆくことだけはしないでくれ」と言いました。
−めしつかいの出発−
めしつかいは主人のラクダ十頭をつれて、出発しました。メソポタミアからナホルの町へついたのは夕ぐれで、女たちが夕飯の水をくみにくるころでした。彼は町のそとのいどのそばで、ラクダを休ませていました。
めしつかいは祈りました。「神よ、主人アブラハムの神よ、おねがいでございます。きょうわたしにおめぐみをほどこしてください。わたしは泉のそばに立っております。町の娘たちが水くみにくるでしょう。わたしが娘にむかって『あなたの水がめから水をのませてください』とたのみますと、その娘が『どうぞおのみください。ラクダにものませてあげましょう』と言いましたなら、この娘こそイサクさまのために神がおえらびくださったかただということにしてください。』
めしつかいが言いおわらないうちに、ひとりの若い娘がやってきました。その娘はリベカといって、その父はアブラハムのきょうだい、ナホルの息子でした。
彼女は水がめを肩にのせていました。とても美しくて若い、まだおよめにいっていない娘でした。彼女は井戸で水をくみ、こちらに近づいてきました。
−井戸ばたのリベカ−
めしつかいはその娘に「どうか水をすこしのませてください」と言いました。
すると娘は「どうぞめしあがってください」と言って、すばやく水がめを手にとって、のませました。そして「ラクダにも水をのませてやりましょう」と言って、娘は水がめの水をおけにあけ、またいそいで井戸まで水くみにいきました。こうしてラクダぜんぶに水をのませてやりました。
そのあいだ男は、神が自分の旅をせいこうさせてくださったかどうか知りたいと思いながら、じっとだまっていました。
ラクダがのみおわったとき、男は半シケル(4グラム)の重さの金の耳わと重い金のうでわを二つとりだしました。
そして「あなたはどなたのおじょうさまですか。あなたの家で、今夜とめていただけないでしょうか」とたずねました。
娘は言いました。「わたしはミルカとナホルの息子のベトエルの娘です。うちには、わらもたべものもじゅうぶんありますから、どうぞおとまりください。」
男は頭をさげて神をおがみました。「主人アブラハムの神はありがたい方だ! 神は、めぐみとまこととをゆたかにおあたえくださって、主人のきょうだいのうちへわたしをおみちぴきくださった。」
娘は自分の家へ走ってかえり、このできごとを話しました。
(つづく)
2014-04-27
詩篇 143篇
ダビデの歌
主よ、わが祈を聞き、
わが願いに耳を傾けてください。
あなたの真実と、あなたの正義とをもって、
わたしにお答えください。
あなたのしもべのさばきに
たずさわらないでください。
生ける者はひとりもみ前に義とされないからです。
敵はわたしをせめ、
わがいのちを地に踏みにじり、
死んで久しく時を経た者のように
わたしを暗い所に住まわせました。
それゆえ、わが霊はわがうちに消えうせようとし、
わが心はわがうちに荒れさびれています。
わたしはいにしえの日を思い出し、
あなたが行われたすべての事を考え、
あなたのみ手のわざを思います。
わたしはあなたにむかって手を伸べ、
わが魂は、かわききった地のように
あなたを慕います。〔セラ
主よ、すみやかにわたしにお答えください。
わが霊は衰えます。
わたしにみ顔を隠さないでください。
さもないと、わたしは穴にくだる者のように
なるでしょう。
あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。
わたしはあなたに信頼します。
わが歩むべき道を教えてください。
わが魂はあなたを仰ぎ望みます。
主よ、わたしをわが敵から助け出してください。
わたしは避け所を得るために
あなたのもとにのがれました。
あなたのみむねを行うことを教えてください。
あなたはわが神です。
恵みふかい、みたまをもって
わたしを平らかな道に導いてください。
主よ、み名のために、わたしを生かし、
あなたの義によって、
わたしを悩みから救い出してください。
また、あなたのいつくしみによって、わが敵を断ち、
わがあだをことごとく滅ぼしてください。
わたしはあなたのしもべです。
2014-04-22
聖書物語
創世記
−アブラハムとイサク−
神はアブラハムの心をためしてみたいと思い、こう言われました。「おまえの子、おまえの愛するひとり子イサクを、モリヤというところへつれていって、わたしのいう場所で、イサクを燔祭(やいてささげるそなえもの)として、わたしにささげなさい。」
つぎの朝、アブラハムは、ふたりの召使と息子をつれ、燔祭のたきぎを持って、神から言いつけられたところへ行きました。三日めに、アブラハムは、とおくにその場所があるのを見つけて、召使たちに待っているように言いました。アブラハムは、たきぎを息子にせおわせ、火と刃物を持っていきました。
イサクが「いけにえの羊は、どこにいるのですか」とたずねましたので、アブラハムは「神が用意してくださる」と答えました。
ふたりが神の示されたところについたときアブラハムは祭壇をつくり、たきぎをおきました。それからイサクをしばり、祭壇の上にのせ、手をのばして刃物をつかみました。
しかし、このとき、天使がさけびました。「アブラハムよ、アブラハムよ、その子に手をかけてはならない。おまえが神をうやまうものであることはわかった。ただひとりの子さえ、まよわず神にささげようとしたから。」
このときアブラハムは、一頭の羊が、やぶに角をとられているのを見つけました。アブラハムはこれをとらえ、燔祭にしました。
天使はもう一度、アブラハムをよんで言いました。「おまえのしたことにたいして、わたしはおまえを祝福し、おまえの子孫を天の星のように、海の砂のように、ふやそう。」
(つづく)
−アブラハムとイサク−
神はアブラハムの心をためしてみたいと思い、こう言われました。「おまえの子、おまえの愛するひとり子イサクを、モリヤというところへつれていって、わたしのいう場所で、イサクを燔祭(やいてささげるそなえもの)として、わたしにささげなさい。」
つぎの朝、アブラハムは、ふたりの召使と息子をつれ、燔祭のたきぎを持って、神から言いつけられたところへ行きました。三日めに、アブラハムは、とおくにその場所があるのを見つけて、召使たちに待っているように言いました。アブラハムは、たきぎを息子にせおわせ、火と刃物を持っていきました。
イサクが「いけにえの羊は、どこにいるのですか」とたずねましたので、アブラハムは「神が用意してくださる」と答えました。
ふたりが神の示されたところについたときアブラハムは祭壇をつくり、たきぎをおきました。それからイサクをしばり、祭壇の上にのせ、手をのばして刃物をつかみました。
しかし、このとき、天使がさけびました。「アブラハムよ、アブラハムよ、その子に手をかけてはならない。おまえが神をうやまうものであることはわかった。ただひとりの子さえ、まよわず神にささげようとしたから。」
このときアブラハムは、一頭の羊が、やぶに角をとられているのを見つけました。アブラハムはこれをとらえ、燔祭にしました。
天使はもう一度、アブラハムをよんで言いました。「おまえのしたことにたいして、わたしはおまえを祝福し、おまえの子孫を天の星のように、海の砂のように、ふやそう。」
(つづく)
2014-04-21
2014-04-20
今週の聖句 4月20日〜26日
詩篇 142篇
ダビデがほら穴にいた時によんだマスキールの歌、祈
わたしは声を出して主に呼ばわり、
声を出して主に願い求めます。
わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、
み前にわが悩みをあらわします。
わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、
あなたはわが道を知られます。
彼らはわたしを捕えようと
わたしの行く道にわなを隠しました。
わたしは右の方に目を注いで見回したが、
わたしに心をとめる者はひとりもありません。
わたしには避け所がなく、
わたしをかえりみる人はありません。
主よ、わたしはあなたに呼ばわります。
わたしは言います、「あなたはわが避け所、
生ける者の地でわたしの受くべき分です。
どうか、わが叫びにみこころをとめてください。
わたしは、はなはだしく低くされています。
わたしを責める者から助け出してください。
彼らはわたしにまさって強いのです。
わたしをひとやから出し、
み名に感謝させてください。
あなたが豊かにわたしをあしらわれるので、
正しい人々はわたしのまわりに集まるでしょう」。
ダビデがほら穴にいた時によんだマスキールの歌、祈
わたしは声を出して主に呼ばわり、
声を出して主に願い求めます。
わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、
み前にわが悩みをあらわします。
わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、
あなたはわが道を知られます。
彼らはわたしを捕えようと
わたしの行く道にわなを隠しました。
わたしは右の方に目を注いで見回したが、
わたしに心をとめる者はひとりもありません。
わたしには避け所がなく、
わたしをかえりみる人はありません。
主よ、わたしはあなたに呼ばわります。
わたしは言います、「あなたはわが避け所、
生ける者の地でわたしの受くべき分です。
どうか、わが叫びにみこころをとめてください。
わたしは、はなはだしく低くされています。
わたしを責める者から助け出してください。
彼らはわたしにまさって強いのです。
わたしをひとやから出し、
み名に感謝させてください。
あなたが豊かにわたしをあしらわれるので、
正しい人々はわたしのまわりに集まるでしょう」。
2014-04-19
シラ書
復讐する者は、主から復讐を受ける。
主はその罪を決して忘れることはない。
隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、
願い求めるとき、お前の罪は赦される。
人が互いに怒りを抱き合っていながら、
どうして主からいやしを期待できようか。
自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、
どうして自分の罪の赦しを願いえようか。
弱い人間にすぎない者が、
憤りを抱き続けるならば、
いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。
自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。
掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。
いと高き方の契約を忘れず、
他人のおちどには寛容であれ。
【口論】
口論に加わるな。そうすれば、
お前は罪を犯す機会が少なくなる。
怒りっぽい人は口論をあおり立てるからだ。
罪深い者は、友情にひびを入れ、
和やかに暮らしている人たちに不和をもたらす。
火は薪をくべればそれだけ燃え上がり、
口論は頑固さが加わると、激しさを増す。
激怒は、力たけき者ほどすさまじく、
怒りは、富に頼る者ほど激しくなる。
軽率な争いは、火をあおることになり、
軽はずみな口論は、流血の惨事につながる。
火種に息を吹きかければ真っ赤に燃え上がり、
唾を吐きかけると消える。
どちらもお前の口のなせる業。
【舌禍】
うわさして回る者や二枚舌の者は、呪われよ。
平穏に暮らしている多くの人々を破滅させたから。
陰口は多くの人の心を乱し、
国から国へと人々を追い立て、
堅固な町々を破壊し、
権力者たちの家を破滅させた。
陰口は貞節な妻さえ離婚に追い込み、
彼女らが労苦して得たものを奪い取った。
陰口を気にすると、心穏やかではなくなり、
平穏に暮らすことはできなくなる。
鞭で打つと皮膚が裂け、
舌で打つと、骨さえ砕ける。
多くの人が剣のやいばに倒れたが、
その数は、舌のやいばに倒れた人には及ばない。
舌の攻撃を避けることのできた人、
荒れ狂う舌の被害を受けなかった人、
その軛につながれず、
その鎖に縛られなかった人、
このような人は幸いである。
舌の軛は鉄の軛、
その鎖は銅の鎖。
舌のもたらす死は残酷だ。
陰府の方がそれよりもましである。
舌は信仰深い人には力を振るえず、
その炎も彼らを焼くことがない。
主を捨てる者は舌によってひどい目に遭う。
舌は彼らの内で燃え、決して消えることなく、
獅子のように襲いかかり、
豹のように彼らを引き裂く。
さあ、お前の畑には茨で囲いを巡らせ。
お前の口には戸を立てて、かんぬきを掛けよ。
お前の金銀はしまって錠を下ろせ。
お前の言葉は秤に掛けて、慎重に用いよ。
口を滑らせないように注意せよ。
待ち構えている者の餌食になるな。
(シラ書28章1〜26節)
主はその罪を決して忘れることはない。
隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、
願い求めるとき、お前の罪は赦される。
人が互いに怒りを抱き合っていながら、
どうして主からいやしを期待できようか。
自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、
どうして自分の罪の赦しを願いえようか。
弱い人間にすぎない者が、
憤りを抱き続けるならば、
いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。
自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。
掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。
いと高き方の契約を忘れず、
他人のおちどには寛容であれ。
【口論】
口論に加わるな。そうすれば、
お前は罪を犯す機会が少なくなる。
怒りっぽい人は口論をあおり立てるからだ。
罪深い者は、友情にひびを入れ、
和やかに暮らしている人たちに不和をもたらす。
火は薪をくべればそれだけ燃え上がり、
口論は頑固さが加わると、激しさを増す。
激怒は、力たけき者ほどすさまじく、
怒りは、富に頼る者ほど激しくなる。
軽率な争いは、火をあおることになり、
軽はずみな口論は、流血の惨事につながる。
火種に息を吹きかければ真っ赤に燃え上がり、
唾を吐きかけると消える。
どちらもお前の口のなせる業。
【舌禍】
うわさして回る者や二枚舌の者は、呪われよ。
平穏に暮らしている多くの人々を破滅させたから。
陰口は多くの人の心を乱し、
国から国へと人々を追い立て、
堅固な町々を破壊し、
権力者たちの家を破滅させた。
陰口は貞節な妻さえ離婚に追い込み、
彼女らが労苦して得たものを奪い取った。
陰口を気にすると、心穏やかではなくなり、
平穏に暮らすことはできなくなる。
鞭で打つと皮膚が裂け、
舌で打つと、骨さえ砕ける。
多くの人が剣のやいばに倒れたが、
その数は、舌のやいばに倒れた人には及ばない。
舌の攻撃を避けることのできた人、
荒れ狂う舌の被害を受けなかった人、
その軛につながれず、
その鎖に縛られなかった人、
このような人は幸いである。
舌の軛は鉄の軛、
その鎖は銅の鎖。
舌のもたらす死は残酷だ。
陰府の方がそれよりもましである。
舌は信仰深い人には力を振るえず、
その炎も彼らを焼くことがない。
主を捨てる者は舌によってひどい目に遭う。
舌は彼らの内で燃え、決して消えることなく、
獅子のように襲いかかり、
豹のように彼らを引き裂く。
さあ、お前の畑には茨で囲いを巡らせ。
お前の口には戸を立てて、かんぬきを掛けよ。
お前の金銀はしまって錠を下ろせ。
お前の言葉は秤に掛けて、慎重に用いよ。
口を滑らせないように注意せよ。
待ち構えている者の餌食になるな。
(シラ書28章1〜26節)
2014-04-13
今週の聖句 4月13日〜19日
詩篇 141篇
ダビデの歌
主よ、わたしはあなたに呼ばわります。
すみやかにわたしをお助けください。
わたしがあなたに呼ばわるとき、
わが声に耳を傾けてください。
わたしの祈を、み前にささげる薫香のようにみなし、
わたしのあげる手を、
夕べの供え物のようにみなしてください。
主よ、わが口に門守を置いて、
わがくちびるの戸を守ってください。
悪しき事にわが心を傾けさせず、
不義を行う人々と共に
悪しきわざにあずからせないでください。
また彼らのうまき物を食べさせないでください。
正しい者にいつくしみをもってわたしを打たせ、
わたしを責めさせてください。
しかし悪しき者の油をわがこうべに
そそがせないでください。
わが祈は絶えず彼らの悪しきわざに
敵しているからです。
彼らはおのれを罪に定める者にわたされるとき、
主のみ言葉のまことなることを学ぶでしょう。
人が岩を裂いて地の上に打ち砕くように、
彼らの骨は陰府の口にまき散らされるでしょう。
しかし主なる神よ、わが目はあなたに向かっています。
わたしはあなたに寄り頼みます。
わたしを助けるものもないままに
捨ておかないでください。
わたしを守って、
彼らがわたしのために設けたわなと、
悪を行う者のわなとをのがれさせてください。
わたしがのがれると同時に、
悪しき者をおのれの網に陥らせてください。
ダビデの歌
主よ、わたしはあなたに呼ばわります。
すみやかにわたしをお助けください。
わたしがあなたに呼ばわるとき、
わが声に耳を傾けてください。
わたしの祈を、み前にささげる薫香のようにみなし、
わたしのあげる手を、
夕べの供え物のようにみなしてください。
主よ、わが口に門守を置いて、
わがくちびるの戸を守ってください。
悪しき事にわが心を傾けさせず、
不義を行う人々と共に
悪しきわざにあずからせないでください。
また彼らのうまき物を食べさせないでください。
正しい者にいつくしみをもってわたしを打たせ、
わたしを責めさせてください。
しかし悪しき者の油をわがこうべに
そそがせないでください。
わが祈は絶えず彼らの悪しきわざに
敵しているからです。
彼らはおのれを罪に定める者にわたされるとき、
主のみ言葉のまことなることを学ぶでしょう。
人が岩を裂いて地の上に打ち砕くように、
彼らの骨は陰府の口にまき散らされるでしょう。
しかし主なる神よ、わが目はあなたに向かっています。
わたしはあなたに寄り頼みます。
わたしを助けるものもないままに
捨ておかないでください。
わたしを守って、
彼らがわたしのために設けたわなと、
悪を行う者のわなとをのがれさせてください。
わたしがのがれると同時に、
悪しき者をおのれの網に陥らせてください。
2014-04-12
福音書記者・聖マタイ
‖聖マタイ‖
マタイによる福音書の記者・マタイはキリスト教徒となる以前はユダヤ人から忌み嫌われる収税吏をしており、ダマスコから地中海沿岸への通路にあたるカペナウム近くの収税所にいたとき、通りがかったイエスに召されて弟子となった(マタイ9-9)
マルコとルカは彼の名をアルパヨの子レビとするが、マルコの記述から、かなり裕福な人だったようである。後年の事跡は明らかでないがユダヤで福音書を書きエチオピアで福音を伝え、そこで没したとされる。
【思い悩むな】
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
(マタイによる福音書6章25〜34節)
愛の樹オショチ†
マタイによる福音書の記者・マタイはキリスト教徒となる以前はユダヤ人から忌み嫌われる収税吏をしており、ダマスコから地中海沿岸への通路にあたるカペナウム近くの収税所にいたとき、通りがかったイエスに召されて弟子となった(マタイ9-9)
マルコとルカは彼の名をアルパヨの子レビとするが、マルコの記述から、かなり裕福な人だったようである。後年の事跡は明らかでないがユダヤで福音書を書きエチオピアで福音を伝え、そこで没したとされる。
【思い悩むな】
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
(マタイによる福音書6章25〜34節)
愛の樹オショチ†
2014-04-08
聖書物語
創世記
—アブラハムとよばれる—
アブラムが九十九歳のときに、神は言われました。「わたしは全能の神である。おまえはわたしの道を歩み、完全なものとなれ。わたしはおまえと契約をむすび、子孫をふやそう。たくさんのものがおまえの子孫となるのだから、名まえをアブラハムとしなさい。わたしはおまえをたくさんの国民の父にする。わたしの契約は、おまえの子孫とのあいだにいつまでもつづくものである。おまえのうちはさかえ、国々の民や王がでるであろう。
おまえがいまよそものとして住んでいるカナンの地を、おまえの子孫の持ちものにしよう。わたしは、おまえの子孫の神となろう。
妻サライは、その名をサラとよびなさい。わたしはサラを祝福し、サラにひとりの男の子をさずけよう。サラは国々の民の母、国々の民の王の母となるであろう。」
アブラハムはひれふして聞いていましたが、心の中ではわらって、「百にもなる年のものに、どうして子どもが生まれよう。それに九十にもなるサラがどうして子どもを生めよう」と思っていました。
神は言われました。 「妻は男の子を生むであろう。その名をイサクとしなさい。わたしはイサクとその子孫に、いつまでもかわらない契約をむすぼう。」
−三人の天使−
ま昼のいちばん暑いときに、アブラハムがマムレの平野にはった天幕のいりぐちにすわっていますと、三人の天使があらわれました。
アブラハムは地にひれふして「どうかみなさま、ぜひわたしのところにお立ちよりになって休んでください。水をもってこさせますから、足をあらってください。パンももってまいりますから、それをめしあがって元気になってください。それから出発なさってはいかがですか」と言いました。
三人は「あなたの言うとおりにしましょう」と言いましたので、アブラハムは天幕にはいり、妻のサラに、「急いでこまかい麦粉を三人分用意してパンをやきなさい」と言いました。
それから彼は牛のむれのところへ走っていって、やわらかい子牛をえらび、若者にごちそうをつくるように言いつけました。
それから、バターやミルクや子牛を三人の前にならべてすすめました。アブラハムは、そばで給仕をしていました。
客たちが「あなたのおくさんはどこにいるのですか」とたずねましたので、「あの天幕のなかです」と答えますと、 「あなたのおくさんは男の子を生むでしょう」と三人のうちのひとりが言いました。
サラは、うしろの天幕のいりぐちでこの話を聞いていましたが、自分たちが年をとっていることを考えるとおかしくて、心のなかでわらっていました。
すると、神はアブラハムに言われました。「サラは、自分が年をとりすぎてるから子どもを生めるはずがないといってわらっているが、神にできないことがあるとでも言うのか。サラはかならず男の子を生むであろう。」
その後、神のやくそくどおり、男の子が生まれ、イサクと名づけられました。それは、「彼はわらうだろう」といういみです。
(つづく)
—アブラハムとよばれる—
アブラムが九十九歳のときに、神は言われました。「わたしは全能の神である。おまえはわたしの道を歩み、完全なものとなれ。わたしはおまえと契約をむすび、子孫をふやそう。たくさんのものがおまえの子孫となるのだから、名まえをアブラハムとしなさい。わたしはおまえをたくさんの国民の父にする。わたしの契約は、おまえの子孫とのあいだにいつまでもつづくものである。おまえのうちはさかえ、国々の民や王がでるであろう。
おまえがいまよそものとして住んでいるカナンの地を、おまえの子孫の持ちものにしよう。わたしは、おまえの子孫の神となろう。
妻サライは、その名をサラとよびなさい。わたしはサラを祝福し、サラにひとりの男の子をさずけよう。サラは国々の民の母、国々の民の王の母となるであろう。」
アブラハムはひれふして聞いていましたが、心の中ではわらって、「百にもなる年のものに、どうして子どもが生まれよう。それに九十にもなるサラがどうして子どもを生めよう」と思っていました。
神は言われました。 「妻は男の子を生むであろう。その名をイサクとしなさい。わたしはイサクとその子孫に、いつまでもかわらない契約をむすぼう。」
−三人の天使−
ま昼のいちばん暑いときに、アブラハムがマムレの平野にはった天幕のいりぐちにすわっていますと、三人の天使があらわれました。
アブラハムは地にひれふして「どうかみなさま、ぜひわたしのところにお立ちよりになって休んでください。水をもってこさせますから、足をあらってください。パンももってまいりますから、それをめしあがって元気になってください。それから出発なさってはいかがですか」と言いました。
三人は「あなたの言うとおりにしましょう」と言いましたので、アブラハムは天幕にはいり、妻のサラに、「急いでこまかい麦粉を三人分用意してパンをやきなさい」と言いました。
それから彼は牛のむれのところへ走っていって、やわらかい子牛をえらび、若者にごちそうをつくるように言いつけました。
それから、バターやミルクや子牛を三人の前にならべてすすめました。アブラハムは、そばで給仕をしていました。
客たちが「あなたのおくさんはどこにいるのですか」とたずねましたので、「あの天幕のなかです」と答えますと、 「あなたのおくさんは男の子を生むでしょう」と三人のうちのひとりが言いました。
サラは、うしろの天幕のいりぐちでこの話を聞いていましたが、自分たちが年をとっていることを考えるとおかしくて、心のなかでわらっていました。
すると、神はアブラハムに言われました。「サラは、自分が年をとりすぎてるから子どもを生めるはずがないといってわらっているが、神にできないことがあるとでも言うのか。サラはかならず男の子を生むであろう。」
その後、神のやくそくどおり、男の子が生まれ、イサクと名づけられました。それは、「彼はわらうだろう」といういみです。
(つづく)
2014-04-06
今週の聖句 4月6日〜12日
詩篇 140篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌
主よ、悪しき人々からわたしを助け出し、
わたしを守って、
乱暴な人々からのがれさせてください。
彼らは心のうちに悪い事をはかり、
絶えず戦いを起します。
彼らはへびのようにおのが舌を鋭くし、
そのくちびるの下にはまむしの毒があります。〔セラ
主よ、わたしを保って、
悪しき人の手からのがれさせ、
わたしを守って、わが足をつまずかせようとする
乱暴な人々からのがれさせてください。
高ぶる者はわたしのためにわなを伏せ、
綱をもって網を張り、
道のほとりにわなを設けました。〔セラ
わたしは主に言います、「あなたはわが神です。
主よ、わが願いの声に耳を傾けてください。
わが救の力、主なる神よ、
あなたは戦いの日に、わがこうべをおおわれました。
主よ、悪しき人の願いをゆるさないでください。
その悪しき計画をとげさせないでください。〔セラ
わたしを囲む者がそのこうべをあげるとき、
そのくちびるの害悪で彼らをおおってください。
燃える炭を彼らの上に落してください。
彼らを穴に投げ入れ、
再び上がることのできないようにしてください。
悪口を言う者を世に立たせないでください。
乱暴な人をすみやかに災に追い捕えさせてください」。
わたしは主が苦しむ者の訴えをたすけ、
貧しい者のために正しいさばきを
行われることを知っています。
正しい人は必ずみ名に感謝し、
直き人はみ前に住むでしょう。
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌
主よ、悪しき人々からわたしを助け出し、
わたしを守って、
乱暴な人々からのがれさせてください。
彼らは心のうちに悪い事をはかり、
絶えず戦いを起します。
彼らはへびのようにおのが舌を鋭くし、
そのくちびるの下にはまむしの毒があります。〔セラ
主よ、わたしを保って、
悪しき人の手からのがれさせ、
わたしを守って、わが足をつまずかせようとする
乱暴な人々からのがれさせてください。
高ぶる者はわたしのためにわなを伏せ、
綱をもって網を張り、
道のほとりにわなを設けました。〔セラ
わたしは主に言います、「あなたはわが神です。
主よ、わが願いの声に耳を傾けてください。
わが救の力、主なる神よ、
あなたは戦いの日に、わがこうべをおおわれました。
主よ、悪しき人の願いをゆるさないでください。
その悪しき計画をとげさせないでください。〔セラ
わたしを囲む者がそのこうべをあげるとき、
そのくちびるの害悪で彼らをおおってください。
燃える炭を彼らの上に落してください。
彼らを穴に投げ入れ、
再び上がることのできないようにしてください。
悪口を言う者を世に立たせないでください。
乱暴な人をすみやかに災に追い捕えさせてください」。
わたしは主が苦しむ者の訴えをたすけ、
貧しい者のために正しいさばきを
行われることを知っています。
正しい人は必ずみ名に感謝し、
直き人はみ前に住むでしょう。
2014-04-05
ラザロの蘇生。聖画は(フアン,=?iso-2022-jp?B?GyRCJUcbKEI=?=,フランデス作)と、(=?iso-2022-jp?B?GyRCJV4bKEI=?=リア,=?iso-2022-jp?B?GyRCJV4bKEI=?=ルタの家のキリスト。フエメール作)
‖わたしたちは百年前何処にいたのか?「何処にもいなかった。」‖
【復活】何度か触れましたが、復活がどのようなものか具体的な例を書いて見ます。ヨハネによる福音書には驚くべきエピソードがあります。
マルコ福音書にもありますが、ヨハネの福音書を掲載します。
【ラザロの死】
ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。
その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」
イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。
イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。
あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。
【イエスは復活と命】
さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。
「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
【イエス、涙を流す】
マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
(ヨハネによる福音書11章1〜37節)
【復活】何度か触れましたが、復活がどのようなものか具体的な例を書いて見ます。ヨハネによる福音書には驚くべきエピソードがあります。
マルコ福音書にもありますが、ヨハネの福音書を掲載します。
【ラザロの死】
ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。
その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」
イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。
イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。
あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。
【イエスは復活と命】
さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。
「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
【イエス、涙を流す】
マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
(ヨハネによる福音書11章1〜37節)
2014-04-04
2014-04-01
聖書物語
創世記
−アブラムの幻−
こんなことがあったあと、神のことばが幻のなかで聞こえてきました。 「アブラムよ、おそれてはならない。わたしはおまえの盾なのだから。いま、おまえに大きな報いをあげよう。」
アブラムは「神さま、わたしには子どもがなく、あとつぎといえばダマスコのエリエゼルというしもべですのに、わたしに何をさずけてくださるのでしょうか」とおたずねしました。
神は「その男でなく、おまえの子どもがあとつぎになるであろう。天をあおいで星をかぞえてごらん。おまえの子孫は、あのきらめく星と同じくらいに、かぞえきれないほどたくさんになるであろう」と、アブラムをそとにつれだして言われたのでした。
アブラムは神を信じ、神はまたアブラムを愛してくださいました。
神が「わたしは、カルデアのウルからおまえをつれだして、おまえにこの地をつがせようとした神である」と言われたので、アブラムは「おお神さま、わたしがこの地をつぐということが、どうしてわかるのでしょうか」とおたずねしました。
神は「三歳のめ牛と三歳のめヤギと三歳のお羊と、山バトと家バトのひなをささげなさい」と言われましたので、アブラムはそのとおりにしました。そして、このそなえものをきりさいて、むきあわせにしてならべました。家バトのひなだけは、そのままそなえました。あらあらしい鳥がこれらのそなえものをねらっておりてきたとき、彼はこの鳥をおいはらいました。
やがて日がしずみ、アブラムは深いねむりにおちました。おそろしいくらやみがあたりをつつむころ、神はアブラムに言われました。「おまえの子孫は、いまによその国ですごすことになる。そして四百年ものあいだ、使いまくられ、苦しめられる。しかし、苦しめた国民は、わたしがかならず罰しよう。おまえの子孫は、とらわれの四百年がすぎたあとでは、たくさんの財産をもって、自分の国にかえるであろう。おまえは、長生きをしてから安らかに先祖のもとにかえるであろう。」
神はまたアブラムと契約をむすんで「エジプトの川からあのユーフラテス川まで、おまえの子孫のものだ。その地に住むすべての人びとはおまえのものだ」と言われました。
(つづく)
−アブラムの幻−
こんなことがあったあと、神のことばが幻のなかで聞こえてきました。 「アブラムよ、おそれてはならない。わたしはおまえの盾なのだから。いま、おまえに大きな報いをあげよう。」
アブラムは「神さま、わたしには子どもがなく、あとつぎといえばダマスコのエリエゼルというしもべですのに、わたしに何をさずけてくださるのでしょうか」とおたずねしました。
神は「その男でなく、おまえの子どもがあとつぎになるであろう。天をあおいで星をかぞえてごらん。おまえの子孫は、あのきらめく星と同じくらいに、かぞえきれないほどたくさんになるであろう」と、アブラムをそとにつれだして言われたのでした。
アブラムは神を信じ、神はまたアブラムを愛してくださいました。
神が「わたしは、カルデアのウルからおまえをつれだして、おまえにこの地をつがせようとした神である」と言われたので、アブラムは「おお神さま、わたしがこの地をつぐということが、どうしてわかるのでしょうか」とおたずねしました。
神は「三歳のめ牛と三歳のめヤギと三歳のお羊と、山バトと家バトのひなをささげなさい」と言われましたので、アブラムはそのとおりにしました。そして、このそなえものをきりさいて、むきあわせにしてならべました。家バトのひなだけは、そのままそなえました。あらあらしい鳥がこれらのそなえものをねらっておりてきたとき、彼はこの鳥をおいはらいました。
やがて日がしずみ、アブラムは深いねむりにおちました。おそろしいくらやみがあたりをつつむころ、神はアブラムに言われました。「おまえの子孫は、いまによその国ですごすことになる。そして四百年ものあいだ、使いまくられ、苦しめられる。しかし、苦しめた国民は、わたしがかならず罰しよう。おまえの子孫は、とらわれの四百年がすぎたあとでは、たくさんの財産をもって、自分の国にかえるであろう。おまえは、長生きをしてから安らかに先祖のもとにかえるであろう。」
神はまたアブラムと契約をむすんで「エジプトの川からあのユーフラテス川まで、おまえの子孫のものだ。その地に住むすべての人びとはおまえのものだ」と言われました。
(つづく)
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