2011-03-29

Ⅱレクイエム(鎮魂)・新しい復興への祷り †

今回の、地震・津波・原発事故などの大災害でかけがえのない命を奪われた人々のみ霊に祷りを捧げる毎日です。

寒さ、飢え、病、被爆、恐ろしい放射能目に見えない放射線等々時々刻々伝わるニュース速報を息をひそめて見つめています。

突然!命を奪われた人々の無念を深く心に刻みこみました。

最愛のご家族を失い一人残されたお方にかける言葉などありません。

非情な天災と人災のダブルパンチは恐怖その物です。

途方も無い大災害から立ち上がるエネルギーは、日本国に住む人々の渾身的助け合い、必死の覚悟が求められ、問われています。

再び、大災害に襲われぬための!立地選択。

災害に対応出来る、視点からの堅固な防災都市、堤防港湾施設などの整備。

街づくりが早急に求められます。

膨大な資金調達が急務です。

党利党略、官僚達、政財界、学者達の思惑、狭い了見を捨てて、有能な人材をどんどん活用すべきです!

マスコミの報道姿勢、然りです!

国民が奮い立たつためにも、未曾有の逆境から再建に向かって、国家の指針を明確に打ち出し、希望と目標を示すべきです!

脱原発でも生活可能な未来像を、はっきり示せば、廃墟のどん底からでも立ち上がれます。

時間がかかっても必ず日本列島の未来は明るくなると!言い切る政治家が、今、必要です!

海岸沿いの土地の危険性が焙り出されましたが、海に囲まれた、狭い島国の安全な土地は限られています。

山岳地帯の国土の僅か4%程度の平地に過密な都市を作り湯水と電気の使い放題。

一旦災害に襲われたら一たまりもない薄っぺらな安全対策。

未来の命のためにも、何が深刻な問題点で、どうすれば、災害を最小限に食い止められるか?多大な犠牲の向こう側に貴重なヒントが与えられています。

我々はそれに気付き、謙虚に学ぶべきです。

しかし、現実は山を崩し、環境破壊を平気で進め、遠浅の海を埋め立て街づくりをすれば恐ろしい危険を作り出す。

更に!九州の火山活動も活発化しています。

火山噴火のしっかりした予知、警戒もしなければなりません。

日本列島は深い海溝に囲まれ、地殻変動(地震活動が)活発化しやすい特殊な地形の上に成り立ち、生活を余儀なくされてきました。

話しは変り、私ごとで恐縮ですが、今年、3月で78歳を迎えました。

頸椎にチタンボルトを六本埋め込み、右腎臓、胆嚢は摘出、左尿管にカテーテルを挿入しています。

加えて、悪性リンパ腫の再発など、生きているのが不思議なくらいですが、生きることは私の大事な使命だと思い決して諦めません。

こんな身体の持ち主でも、復興のために知恵を絞りだし、また精神的な、何かお役に立てたらと切に願っています。

私は過去、大きな地震を4回体験しました。

はじめは北海道、厚岸郡・浜中村霧多布→キリタップで、チリ地震に遭いました。

宿の女将から海の様子が変だから、見てきて欲しいと頼まれ、起き抜けに駆け足で
たどり着いた海岸で、先ず目に飛び込んできたのは遥か沖合いまで海底が見える、異常事態でした。

何人かの村人が引き潮の砂浜で貝や、岩にひっかかった昆布を採っていました。

その時、ゴーオーっと大地を揺るがす海鳴りがしました。

遥か沖合いから不気味な白い大きな波が壁となり襲い掛かって来るのが目に入りました。

『逃げろ!津波だ!と皆が一斉に叫びました。』あっという間に私の膝まで津波の第一波が来ました。

近くにあった、建設現場の工事用のタワーにしがみつき、逆巻く津波に腰まで浸かり、押し流されないように必死に鉄骨にしがみつきました。津波が一度引いた時、素早く高台に逃れ助かりました。

しかし目の前で家が津波にさらわれ、波間に呑まれて行きました。ランドセルを落とした小さな子どもが拾いに行き、あっという間に消えてしまいました。

どうすることも出来ずただ叫び声を上げていました。

この世の終わり!終末を目の当たりにしました。

今でも時々悪夢を見てうなされます。

新潟地震も体験しました。

牧師になる前、建築家の仕事に従事していました。

新潟地震の震災復興にも必死に取り組みました。

阪神・淡路大震災には親類縁者、教会の方々も被災者となり、東京からワゴン車に積めるだけの支援物質ゃ支援金をかき集めて大阪まで、弟子に助けられ、被災地に何とかたどり着きました。

あの悲惨さも、心に焼き付いて離れません。

たまたまでしたがブラジルの帰途、ロサンゼルスの地震も目撃しました。

そして今回の世界に、類を見ない大震災・大災害です。

原発事故の深刻さは日増しに高まっています。

放射能・目に見えぬ放射線の拡散は、日本列島の存在を危うくしています。

世界中を危険に巻き込んでいます。

日本列島に重い十字架を突然負わされました!

死者・行方不明者は28000人を越えました。

しかし、被災地では一部ですが、漁港や港湾施設の回復に向けて再び、復興の槌音も聞こえて来ます!

海の藻屑と消えた廃墟の中から、人々が勇気を奮い立たせて再建に立ち上がるいろいろな人々の姿を勇気ある姿を尊敬と感動のまなこで見ました。


必ず日本列島が再び立派に再建する潜在能力を秘めた民族であり続けることを信じています。

最後になりましたが、亡くなられた方々のみ霊が再び死を見ることの無い、悲しい離別の無い天国で永遠の眠りが安らかでありますように、慎んで祷りを捧げます†

愛の樹教会一同・牧師/愛川英雄

3 件のコメント:

  1. このたびの大震災、それに続く津波、原発事故。
    毎日心が痛みます。仙台の関係者からのメールが毎日のように送られてきます。ライフラインが途絶え物資のない中寝るひまもなく奮迅努力している仲間の報告を見ますと頭の下がる思いです。宮城県の海沿いにある町立病院の院長であった同級生が津波に飲まれ死亡しました。
    愛川さんのメッセージのように日本は平和の中であまりにも裕福に暮らしすぎていたように思います。節電はもちろんのこと日本人一人一人が少し我慢をしてこの国難を乗り切らなければならないと思います。政治も党利党略などは捨てて日本国としてまとまらなければならないと思います。この災害をばねとして日本がしっかり立ち直り復興することを願ってやみません。

    返信削除
  2. こんな遠い東京でも、地震情報、CM見るだけで、食堂の真ん中ヘんが、気持ち悪くなります抗ガン剤の副作用ばかりではないと、担当医が、言っていました。いまだに、テレビがまともに見れません私が、こんなに精神的におかしくなっているのだから、被災者の方々の心は、いかばかりかとおもいます。亡くなった方々の冥福をお祈りするのみです。お祈り申し上げます。

    返信削除
  3. 創世記ヤコブ2011年3月30日 8:12

    尊い命が亡くなり、い生き延びた人は、更なる地獄を見ています。
    友達の両親が茨城で避難していた時、食べた物は、おにぎり2個と菓子パン1個だけ。
    避難所では、食料の奪い合いだそうです。
    壊れた家で盗みを行う人、避難していて留守の家にも泥棒が。
    誰の中にも天使と悪魔が同居しています。
    でも今は、せめて今だけは全部天使でいて欲しいです。
    多くの宝が消えてしまった。
    命掛けで原発内で働いている人達。
    冷たく濁った海に潜って遺体を探す海上保安庁の人達。
    復旧や支援に汗をながす自衛隊。
    留守を守り、夫の安全と無事の帰宅を祈る家族。
    みんなが同じ方向に向かなければ復旧はありえません。
    一緒に祈りましょう。
    実は福島原発で働いている作業員の中に5人のクリスチャンがいます。
    リーダーはクリスチャンです。
    更なる祈りをお願いします。

    返信削除

「コメント」はブログの読者すべてに公開されます。公開に先立ち、管理者に届く設定ですので、プライバシーなどが含まれないか確認できますが、お名前やメールアドレス、私的なやりとりなど、個人情報に留意してください。イニシャルや匿名でも可能です。よろしくお願いします。