創世記
【エジプトにきたヨセフのきょうだい】
エジプトに穀物があると聞いて、ヤコブは息子たちに言いました。
「おまえたちは、なぜじっとすわって、顔を見あわせてばかりいるのか。エジプトにはたくさんの穀物があると聞いている。行って買ってきてはどうだろう。そうすれば、わたしたちは生きのびることができるだろう。」
そこでヨセフの十人のきょうだいたちは、穀物を買いにエジプトにむかいました。けれどもヨセフの末の弟のベニアミンだけは、あとにのこりました。「何かわざわいがふりかかってはいけないから」と言って、ヤコブが行かせなかったのです。
こうしてヤコブの息子たちは、穀物を買いにきたたくさんの人びとにまじって、エジプトにきました。ヨセフは、このときエジプトの大臣でしたから、みんなに穀物を売っていました。ヨセフの兄たちは、ヨセフの前で、顔を地につけておじぎをしました。
ヨセフは、それが兄たちだと気づきましたが、まるで見知らぬ者のように、らんぼうにあつかいました。
「おまえたちはどこからきたのか。」
「食糧を買いに、カナンの地からまいりました。」
兄たちは、それがヨセフだとは気がつきませんでした。ヨセフは、むかし兄たちの夢を見たことを思いだしました。
「おまえたちはスパイだろう。このくにの秘密をさぐりだしにきたのだろう。」
「いいえ、とんでもございません。わたしたちは、ただ食糧を買いにやってきただけでございます。わたしたちは正直もので、けっしてスパイなどではありません。」
「いや、おまえたちは、この国の秘密をさぐりにきたのにちがいない。」
「わたしたちは十二人きょうだいで、カナンの地に住んでいます。末の弟は父といっしょにいます。もうひとりは、もう死んでしまいました。」
しかし、ヨセフは聞きいれず、こう言いました。
「だれか、いちばん下の弟をカナンからつれてきなさい。それまでは、おまえたちを牢屋につないでおいて、おまえたちの言ってることが、ほんとうかどうかためしてみよう。もし弟がこなければ、おまえたちはスパイにちがいない。」
こうして、ヨセフはきょうだいたちを三日のあいだ、へやにとじこめ、見はりをつけておきました。
三日めに、ヨセフはまた言いました。
「わたしは神をおそれるものです。もしおまえたちが正直ものなら、だれかひとりをこの牢にのこして、ほかのものは穀物を持って帰り、家族のものをすくいなさい。そのかわりに、いちばん下の弟をつれてきなさい。そうすれば、おまえたちがうそをついていなかったことがわかり、おまえたちは死なずにすむだろう。」
きょうだいたちは、おたがいに言いあいました。
「わたしたちは、むかし弟ヨセフのことで悪いことをした。弟が泣いてたのんだときに、弟の苦しみをよく知っていながら、聞こうともしなかった。だからいま、この苦しみがわたしたちの上にふりかかってくるのだ。」
ルベンはみんなに言いました。
「わたしは、ヨセフに悪いことをするなと言っておいたのに、おまえたちは聞こうともしなかった。いま、わたしたちは弟の血のむくいを受けなければならないのだ。」
きょうだいたちは、この話がヨセフにつたわっているとは夢にも知らず、くちぐちに言いあいました。ヨセフは、通訳をつけて話を聞いていたのです。
ヨセフは、きょうだいたちのところをはなれてひとりでなき、また帰ってきて、みんなと話をしました。それから、きょうだいたちのなかからシメオンをとらえて、みんなの目の前でしばりました。
つぎにヨセフは、けらいに言いつけて、きょうだいたちの袋を穀物でいっぱいにさせ、めいめいの袋にお金もかえしてやり、とちゅうのたべものもあたえました。
(つづく)
2014-09-18
エリさんから返信 9 月17=?iso-2022-jp?B?GyRCRnw8dT8uGyhC?=
カズコと愛の樹家族へ
オショチさんの闘病のその後の状況を知らせて下さって有り難うございます。
その記述からオショチさんがどんなに耐え難い程の辛さ、大変な状況を通ってきたか、が真に迫って伝わってきました。
しかし、そこからオショチさんが自分に合ったあり方を前向きに見つけようとし、今は希望が見えてきたことが感じられます。
病院の治療そして薬づけになること、から脱する決断をしたオショチさんの病への向き合いかたは、まさに偉大なる
『精神家の在り方』です。
彼は自分の全てを愛しているので、弱っている自分にも、そこからの回復にも、一心に真正面から立ち向かっているのです。
それによって自己免疫力を高めているのだと思えます。
愛の樹の家で、皆に囲まれ、その変わらぬ愛とお世話によってそれを実現しているのです。
大切なのは、その生涯をいつ全うするかではなく、今のような時点でも、その生を最大限最良に生きるということです。
それに考えたら、このことは皆にとって、励みであるし、楽しみすらある、のではないでしょうか?
さもなければ、神が、彼を心から補佐してくれる大変に良い医師と出会わせて下さったでしょうか?
丁度3日前に、癌患者達についての新聞記事を読んだばかりでした。
その人達は、病院医療と薬物治療から脱け出し、食生活を変え、日々の生活を自分に合った、ストレスを減らした生活にした結果、
癌細胞が小さくなった、という記事です。
今、オショチさんはこの癒しの道筋にいるのではないでしょうか。
そうであることを、神のお望みであることを、祷ります。
さて、私と家族のことですが、神のお恵みにより、特に大事はなく、無事に過ごせております。いつもお祷りの中に覚えていて下さり、有り難うございます。
ただ正直なところ、祖国と此所とを自由に往き来しているだけのことだったら、と、どれほど願うことがあるか。それだけのことですが。
しかし現実は、それだけではすみません。
私の安全や牧師の務めの問題だけではなく、私の人生のひとこまとしての意義も含まれていますから。
家族と離れて、今日の時点で、4年3ヶ月2日になります。その間に米国のシステムに、特に移民手続きに関することにずっと関わってきています。中断するわけにはいきません。
一方、妻や家族に会ったり、支えてやったりが出来ていないのです。しかし、我々を強めてくださるお方のお陰で、我々家族は皆何とかやれている、と言えます。
私を始め教会の者達、そして家族は、皆様のことを取り分けオショチさんのことを祷り続けます。
神の御祝福が皆様の上に豊かにありますように
エリ、プレシー、そして子供たち
Dear Kazuko-san and my Ainoki family,
Thank you very much for updating me of Oshochi-san's current struggle. I seem having vivid imagination of critical and excruciatingly alarming condition Oshochi-san has been going through the way you describe it. But it feels we have a good sign of hope that he positively reacts to the adjusted process of his theraphy now.
He is fighting his disease out now in the great "attitude of activism" as he stepped back from intensive hospital and heavily drug-dependent medication. Because he loves everything about himself and so he is very passionately engaged in squarely facing his own vulnerability and recuperability. So he seems activating his own immunity system in his body. He does it now at Ainoki home as you surround and sustain him with your unyielding love and caring. He may or may not outlive his term but more important is he lives his life to its full even at this point. But look, was it not encouraging and amusing also that you found, or was he given by the act of God, a very good doctor who is willing to assist him?
I was just reading from the newspaper here three days ago about cancer patients at some point have had regression from cancer cells when they got out of the hospital and drug-driven treatment and resorted to basic change of dietary, attitudinal and less stressful life style. I could not remember it in technical terms. But the point is Oshochi-san may now be going through that means of healing. And, I pray that may it be so, God willing.
As of my situation at the moment and of my family, we are surviving and doing well in God's grace. Nothing much to worry about me and my family. Thank you for continually holding us in your prayers. But admittedly at times how I wished that it was just a matter of whether I would stay on here or I will go back home. That's it. But the reality is it is more than that. Since it involves not only my security and ministry but also the meaning of this episode of my life.
I have been away from my family for four years and three months and two days at this point, And I have gone myself into the system in the US particularly in going through the immigration process. As far as I am concerned I don't like to abort it while on course. However, I would neither like to be remiss in seeing my wife and family and in supporting them. But I or we as family can do all things through him who strengthens us, this I can still say so.
I and our members here and my family will continue praying for you, Kazuko-san, especially Oschochi-san and the rest of Ainoki family. May God richly bless all of you.
Blessings,
Eli and Precy and children
オショチさんの闘病のその後の状況を知らせて下さって有り難うございます。
その記述からオショチさんがどんなに耐え難い程の辛さ、大変な状況を通ってきたか、が真に迫って伝わってきました。
しかし、そこからオショチさんが自分に合ったあり方を前向きに見つけようとし、今は希望が見えてきたことが感じられます。
病院の治療そして薬づけになること、から脱する決断をしたオショチさんの病への向き合いかたは、まさに偉大なる
『精神家の在り方』です。
彼は自分の全てを愛しているので、弱っている自分にも、そこからの回復にも、一心に真正面から立ち向かっているのです。
それによって自己免疫力を高めているのだと思えます。
愛の樹の家で、皆に囲まれ、その変わらぬ愛とお世話によってそれを実現しているのです。
大切なのは、その生涯をいつ全うするかではなく、今のような時点でも、その生を最大限最良に生きるということです。
それに考えたら、このことは皆にとって、励みであるし、楽しみすらある、のではないでしょうか?
さもなければ、神が、彼を心から補佐してくれる大変に良い医師と出会わせて下さったでしょうか?
丁度3日前に、癌患者達についての新聞記事を読んだばかりでした。
その人達は、病院医療と薬物治療から脱け出し、食生活を変え、日々の生活を自分に合った、ストレスを減らした生活にした結果、
癌細胞が小さくなった、という記事です。
今、オショチさんはこの癒しの道筋にいるのではないでしょうか。
そうであることを、神のお望みであることを、祷ります。
さて、私と家族のことですが、神のお恵みにより、特に大事はなく、無事に過ごせております。いつもお祷りの中に覚えていて下さり、有り難うございます。
ただ正直なところ、祖国と此所とを自由に往き来しているだけのことだったら、と、どれほど願うことがあるか。それだけのことですが。
しかし現実は、それだけではすみません。
私の安全や牧師の務めの問題だけではなく、私の人生のひとこまとしての意義も含まれていますから。
家族と離れて、今日の時点で、4年3ヶ月2日になります。その間に米国のシステムに、特に移民手続きに関することにずっと関わってきています。中断するわけにはいきません。
一方、妻や家族に会ったり、支えてやったりが出来ていないのです。しかし、我々を強めてくださるお方のお陰で、我々家族は皆何とかやれている、と言えます。
私を始め教会の者達、そして家族は、皆様のことを取り分けオショチさんのことを祷り続けます。
神の御祝福が皆様の上に豊かにありますように
エリ、プレシー、そして子供たち
Dear Kazuko-san and my Ainoki family,
Thank you very much for updating me of Oshochi-san's current struggle. I seem having vivid imagination of critical and excruciatingly alarming condition Oshochi-san has been going through the way you describe it. But it feels we have a good sign of hope that he positively reacts to the adjusted process of his theraphy now.
He is fighting his disease out now in the great "attitude of activism" as he stepped back from intensive hospital and heavily drug-dependent medication. Because he loves everything about himself and so he is very passionately engaged in squarely facing his own vulnerability and recuperability. So he seems activating his own immunity system in his body. He does it now at Ainoki home as you surround and sustain him with your unyielding love and caring. He may or may not outlive his term but more important is he lives his life to its full even at this point. But look, was it not encouraging and amusing also that you found, or was he given by the act of God, a very good doctor who is willing to assist him?
I was just reading from the newspaper here three days ago about cancer patients at some point have had regression from cancer cells when they got out of the hospital and drug-driven treatment and resorted to basic change of dietary, attitudinal and less stressful life style. I could not remember it in technical terms. But the point is Oshochi-san may now be going through that means of healing. And, I pray that may it be so, God willing.
As of my situation at the moment and of my family, we are surviving and doing well in God's grace. Nothing much to worry about me and my family. Thank you for continually holding us in your prayers. But admittedly at times how I wished that it was just a matter of whether I would stay on here or I will go back home. That's it. But the reality is it is more than that. Since it involves not only my security and ministry but also the meaning of this episode of my life.
I have been away from my family for four years and three months and two days at this point, And I have gone myself into the system in the US particularly in going through the immigration process. As far as I am concerned I don't like to abort it while on course. However, I would neither like to be remiss in seeing my wife and family and in supporting them. But I or we as family can do all things through him who strengthens us, this I can still say so.
I and our members here and my family will continue praying for you, Kazuko-san, especially Oschochi-san and the rest of Ainoki family. May God richly bless all of you.
Blessings,
Eli and Precy and children
2014-09-16
聖書物語
創世記
−ヨセフのしあわせ−
このときヨセフは、三十歳でした。ヨセフは王のもとをはなれ、エジプトのくにじゅうを見てまわりました。七年の豊作のあいだ、地には作物がたくさんできました。ヨセフは、この七年のあいだに、穀物をたくさん集め、ためておきました。それはとてもたくさんで、はかることができないほどでした。
ヨセフと、妻アセナテとのあいだに、マナセとエフライムのふたりの息子が生まれました。兄マナセの名まえは、 「わたしの苦しみと、わたしの父の家のすべてのことを、わすれさせてくださったから」といういみです。
また、エフライムというのは、「神が、わたしをなやみの地で、りっぱなものにしてくださったから」といういみです。
こうして、エジプトの地に豊作の七年がおわり、ヨセフの言ったとおり、不作の七年がはじまりました。どこのくにもみんな、ききんにおそわれましたが、エジプトだけには、たべものがありました。
そのうちに、エジプトにも、たべものがなくなったとき、人びとは、王にパンをくださいと、たのみました。すると王は、「ヨセフのところへ行くように」と言いました。
ききんは、世界じゅうにひろがりましたので、ヨセフは、穀物をいれた倉庫をみんなひらいて、エジプト人にたべものを売ってやりました。
また、このききんは、ほかのくにでは、もっとひどかったので、ほかのくにからも、たべものを買いにくる人が、たくさんありました。
(つづく)
−ヨセフのしあわせ−
このときヨセフは、三十歳でした。ヨセフは王のもとをはなれ、エジプトのくにじゅうを見てまわりました。七年の豊作のあいだ、地には作物がたくさんできました。ヨセフは、この七年のあいだに、穀物をたくさん集め、ためておきました。それはとてもたくさんで、はかることができないほどでした。
ヨセフと、妻アセナテとのあいだに、マナセとエフライムのふたりの息子が生まれました。兄マナセの名まえは、 「わたしの苦しみと、わたしの父の家のすべてのことを、わすれさせてくださったから」といういみです。
また、エフライムというのは、「神が、わたしをなやみの地で、りっぱなものにしてくださったから」といういみです。
こうして、エジプトの地に豊作の七年がおわり、ヨセフの言ったとおり、不作の七年がはじまりました。どこのくにもみんな、ききんにおそわれましたが、エジプトだけには、たべものがありました。
そのうちに、エジプトにも、たべものがなくなったとき、人びとは、王にパンをくださいと、たのみました。すると王は、「ヨセフのところへ行くように」と言いました。
ききんは、世界じゅうにひろがりましたので、ヨセフは、穀物をいれた倉庫をみんなひらいて、エジプト人にたべものを売ってやりました。
また、このききんは、ほかのくにでは、もっとひどかったので、ほかのくにからも、たべものを買いにくる人が、たくさんありました。
(つづく)
2014-09-14
シラ書 43
【主の栄光】
澄み渡る大空はなんと高く壮大であることか。
天の姿はなんと栄光に満ちていることか。
太陽は現れ、燦然と昇り行き、宣言する。
いと高き方の御業はなんと驚嘆すべきものかと。
真昼になると太陽は大地を干上がらせる。
だれがその灼熱に耐えられよう。
かまどの火を吹く人は、灼熱の中で働くが、
太陽はその三倍の熱で山々を焦がす。
火のような熱気を吹き出し、
照り輝く光線は目をくらます。
太陽を造られた主は偉大な方。
主の命令によってそれは決められた道を急ぐ。
月も定まった時に現れ、
季節を分け、いつまでも時を示し続ける。
月によって祝祭日は定められる。
月の光は周期の終わりに弱まっていく。
月々の名前は、空のこの月によって付けられ、
月は驚くばかりに形を変え、満ちていく。
それは天の軍勢の合図の光、
天の大空にあって照り輝く。
光り輝く星は、夜空の美しい装い。
主の高き所できらめく飾り。
聖なる方の命令で、星は定められた場所につき、
見張りの務めを決して怠ることはない。
虹を見て、その造り主をほめたたえよ。
その輝く様はひときわ美しい。
それは天に栄光の弧を描く。
これはいと高き方の手が引き絞ったもの。
主は命令を下して吹雪を起こし、
主の裁きを行う稲妻を走らせる。
そこで、倉は開かれ、
雲は鳥のように飛び立って行く。
主は大いなる力をもって雲を固め、
粉々に砕いて雹にされる。
雷鳴のとどろきに大地はもだえ苦しみ、
主が現れると山々は震い動く。
主が望まれると南風が吹き、
つむじ風と北風が吹き荒れる。
舞い降りる鳥のように、主は雪をまき散らされ、
その落ちる様は飛び交ういなごの群れのようだ。
目はその美しい白さに驚き怪しみ、
心はその降りしきる様に恍惚となる。
主は塩のように霜を地上にまかれる。
それは凍って、鋭いとげのある花のようになる。
寒い北風が吹くと、
水の面は固い氷となる。
水のある所どこにでも吹きつければ、
水はあたかも胸当てを着けたようになる。
北風は山々を食い尽くし、荒れ野を焼き払い、
火のように若草を枯らしてしまう。
しかし、雨雲はすべてを速やかにいやし、
露は熱風を追い散らし、気分をさわやかにする。
主はその計らいによって地下の大海を静め、
島々をその中に据えられた。
海を旅する者たちは、海の危険について語り、
我々はそれを聞いて驚く。
そこには、不思議な驚くべき主の御業がある。
あらゆる種類の生き物や海の怪物がいる。
主の使いは、主の力によって務めを果たし、
主の言葉によって万物は秩序立てられている。
いかに多くを語っても、決して語り尽くせない。
「主はすべてだ。」このひと言に尽きる。
主の栄光をたたえる力をどこに見いだせよう。
主は御自分のすべての御業にまさって偉大だから。
主は恐るべき方、極めて偉大な方。
その力は驚嘆すべきもの。
主の栄光をたたえ、力を尽くして主をあがめよ。
主はなお、あらゆる賛美にまさる方。
全力を傾けて主をあがめよ。
うむことなく賛美せよ。
これで十分だということはないのだから。
だれが主を見たか、だれが主を語りえようか。
だれがふさわしく主をたたええようか。
以上のことよりまだ多くの偉大な秘義がある。
我々は、御業のほんの一部を見たにすぎない。
主は万物を創造し、
信仰深い人に知恵を与えられた。
(シラ書43章1〜33節)
澄み渡る大空はなんと高く壮大であることか。
天の姿はなんと栄光に満ちていることか。
太陽は現れ、燦然と昇り行き、宣言する。
いと高き方の御業はなんと驚嘆すべきものかと。
真昼になると太陽は大地を干上がらせる。
だれがその灼熱に耐えられよう。
かまどの火を吹く人は、灼熱の中で働くが、
太陽はその三倍の熱で山々を焦がす。
火のような熱気を吹き出し、
照り輝く光線は目をくらます。
太陽を造られた主は偉大な方。
主の命令によってそれは決められた道を急ぐ。
月も定まった時に現れ、
季節を分け、いつまでも時を示し続ける。
月によって祝祭日は定められる。
月の光は周期の終わりに弱まっていく。
月々の名前は、空のこの月によって付けられ、
月は驚くばかりに形を変え、満ちていく。
それは天の軍勢の合図の光、
天の大空にあって照り輝く。
光り輝く星は、夜空の美しい装い。
主の高き所できらめく飾り。
聖なる方の命令で、星は定められた場所につき、
見張りの務めを決して怠ることはない。
虹を見て、その造り主をほめたたえよ。
その輝く様はひときわ美しい。
それは天に栄光の弧を描く。
これはいと高き方の手が引き絞ったもの。
主は命令を下して吹雪を起こし、
主の裁きを行う稲妻を走らせる。
そこで、倉は開かれ、
雲は鳥のように飛び立って行く。
主は大いなる力をもって雲を固め、
粉々に砕いて雹にされる。
雷鳴のとどろきに大地はもだえ苦しみ、
主が現れると山々は震い動く。
主が望まれると南風が吹き、
つむじ風と北風が吹き荒れる。
舞い降りる鳥のように、主は雪をまき散らされ、
その落ちる様は飛び交ういなごの群れのようだ。
目はその美しい白さに驚き怪しみ、
心はその降りしきる様に恍惚となる。
主は塩のように霜を地上にまかれる。
それは凍って、鋭いとげのある花のようになる。
寒い北風が吹くと、
水の面は固い氷となる。
水のある所どこにでも吹きつければ、
水はあたかも胸当てを着けたようになる。
北風は山々を食い尽くし、荒れ野を焼き払い、
火のように若草を枯らしてしまう。
しかし、雨雲はすべてを速やかにいやし、
露は熱風を追い散らし、気分をさわやかにする。
主はその計らいによって地下の大海を静め、
島々をその中に据えられた。
海を旅する者たちは、海の危険について語り、
我々はそれを聞いて驚く。
そこには、不思議な驚くべき主の御業がある。
あらゆる種類の生き物や海の怪物がいる。
主の使いは、主の力によって務めを果たし、
主の言葉によって万物は秩序立てられている。
いかに多くを語っても、決して語り尽くせない。
「主はすべてだ。」このひと言に尽きる。
主の栄光をたたえる力をどこに見いだせよう。
主は御自分のすべての御業にまさって偉大だから。
主は恐るべき方、極めて偉大な方。
その力は驚嘆すべきもの。
主の栄光をたたえ、力を尽くして主をあがめよ。
主はなお、あらゆる賛美にまさる方。
全力を傾けて主をあがめよ。
うむことなく賛美せよ。
これで十分だということはないのだから。
だれが主を見たか、だれが主を語りえようか。
だれがふさわしく主をたたええようか。
以上のことよりまだ多くの偉大な秘義がある。
我々は、御業のほんの一部を見たにすぎない。
主は万物を創造し、
信仰深い人に知恵を与えられた。
(シラ書43章1〜33節)
2014-09-10
聖書物語
創世記
−王、ヨセフに夢をつげる−
王は、二つの夢をヨセフに話しました。それを聞いたヨセフは言いました。
「その二つの夢は、同じことをあらわしています。神がこれからなさろうとすることを、王さまにおしめしになっているのです。
七頭のりっぱな牛と、みのった七本の穂は、七年の豊作です。そのあとにつづいた七頭のやせた牛と、かれた七つの穂は、七年のききんのことです。
わたしが王さまに申しあげたいことは、こうです。神さまは、エジプトじゅうに七年の大豊作と、つづいて七年の大ききんとをもたらすでしょう。そのききんは、とてもひどくて、いままで豊作の年があったなどとは、だれも思いだせないほど、たいへんなものです。
二度もおなじ夢をごらんになったということは、神さまがこのことを、はっきりとおきめになっているのだと思います。
ですから、王さまは、いまから、かしこくて考えぶかい人をさがしだして、その人にエジプトをおさめてもらうようになさい。そして王さまは、その人に役人をえらばせて、豊作の七年のうちにできた作物の五分の一を集め、町々にたくわえて、あとのききんにそなえなさい。そうすれば、この国がききんでほろびることはないでしょう。」
王も家臣たちも、すばらしい計画だと思いました。
「わたしたちは、この人のように神の霊にみちた人を、ほかにみつけることはできまい。この大役には、この人こそ、いちばんふさわしい」と、だれもが考えました。
−王、ヨセフにむくいる−
それから王は、ヨセフに言いました。
「あなたのようにかしこく、考えぶかいかたは、ほかにはいません。どうかこのくにを治めてください。わたしのけらいも、みんなあなたのことばにしたがうでしょう。わたしは、王の位でだけ、あなたより上です。わたしは、あなたにエジプトじゅうを支配する権利をさずけましょう。」
王は、自分の手から指輪をはずして、ヨセフの手にはめました。そして、すばらしい亜麻布の服をきせ、首に金のくさりをかけ、王さま用の車にのせました。人びとはみんなヨセフの前にひざまずきました。
このようにして、ヨセフはエジプトじゅうでいちばん高い位にのぼり、王が「わたしは、あなたがいなくては、手足一本でもうごかすわけにはいきません」というほどになりました。
こうして王は、ヨセフにザフナテ・パネアというエジプト名をあたえ、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻としてあたえました。
(つづく)
−王、ヨセフに夢をつげる−
王は、二つの夢をヨセフに話しました。それを聞いたヨセフは言いました。
「その二つの夢は、同じことをあらわしています。神がこれからなさろうとすることを、王さまにおしめしになっているのです。
七頭のりっぱな牛と、みのった七本の穂は、七年の豊作です。そのあとにつづいた七頭のやせた牛と、かれた七つの穂は、七年のききんのことです。
わたしが王さまに申しあげたいことは、こうです。神さまは、エジプトじゅうに七年の大豊作と、つづいて七年の大ききんとをもたらすでしょう。そのききんは、とてもひどくて、いままで豊作の年があったなどとは、だれも思いだせないほど、たいへんなものです。
二度もおなじ夢をごらんになったということは、神さまがこのことを、はっきりとおきめになっているのだと思います。
ですから、王さまは、いまから、かしこくて考えぶかい人をさがしだして、その人にエジプトをおさめてもらうようになさい。そして王さまは、その人に役人をえらばせて、豊作の七年のうちにできた作物の五分の一を集め、町々にたくわえて、あとのききんにそなえなさい。そうすれば、この国がききんでほろびることはないでしょう。」
王も家臣たちも、すばらしい計画だと思いました。
「わたしたちは、この人のように神の霊にみちた人を、ほかにみつけることはできまい。この大役には、この人こそ、いちばんふさわしい」と、だれもが考えました。
−王、ヨセフにむくいる−
それから王は、ヨセフに言いました。
「あなたのようにかしこく、考えぶかいかたは、ほかにはいません。どうかこのくにを治めてください。わたしのけらいも、みんなあなたのことばにしたがうでしょう。わたしは、王の位でだけ、あなたより上です。わたしは、あなたにエジプトじゅうを支配する権利をさずけましょう。」
王は、自分の手から指輪をはずして、ヨセフの手にはめました。そして、すばらしい亜麻布の服をきせ、首に金のくさりをかけ、王さま用の車にのせました。人びとはみんなヨセフの前にひざまずきました。
このようにして、ヨセフはエジプトじゅうでいちばん高い位にのぼり、王が「わたしは、あなたがいなくては、手足一本でもうごかすわけにはいきません」というほどになりました。
こうして王は、ヨセフにザフナテ・パネアというエジプト名をあたえ、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻としてあたえました。
(つづく)
2014-09-09
神と人間関係
‖神と人間と愛‖
私も時には独りきりになる必要もある。
正気を保つために、独りにならなければならない場合もある。
黙って考えをまとめ、自分を高めるための時間を持つべき場合もある。
だが人間に欠かせないもののうち、これだけは欠かせないもの、トップは、やはり人と人の繋がりだろう。
それは「愛」だ。
人間幸せに成るためには、どうして「愛」が欠かせない。
人間とはそういう生き物だ。 わたしたちは生まれながらにして社会的な動物だと言うことになる。
その証拠は人類の歴史の始まりから与えられている。
創世記を信じるにせよ、信じないにせよ、そこに記述されている大事な点の一つは、神が最初の女イブを造ったのは最初の男が孤独だったから、と言うことだ。神はアダムを独りにしておけなかったのだ。
神は自分に似せて人を創造した。
わたしたちキリスト教徒にとっては、聖書、
説教でおなじみのことだが神は「父とみ子と聖霊が一つになった存在である」 これは「三位一体の玄義」 と呼ばれている。 神ご自身が→「社会的な存在であることにお気遣き」 だと思う。 神はただ一つの実体からなっている。それでもなお三つの品格を備えている。
中井の教会施設で、寿命に逆らえないが、残された余命を楽しんだ今日の心の日記でした。
皆様良い夢路に向かってください〓目覚めが祝福で満たされますように〓
愛の樹オショチ†
私も時には独りきりになる必要もある。
正気を保つために、独りにならなければならない場合もある。
黙って考えをまとめ、自分を高めるための時間を持つべき場合もある。
だが人間に欠かせないもののうち、これだけは欠かせないもの、トップは、やはり人と人の繋がりだろう。
それは「愛」だ。
人間幸せに成るためには、どうして「愛」が欠かせない。
人間とはそういう生き物だ。 わたしたちは生まれながらにして社会的な動物だと言うことになる。
その証拠は人類の歴史の始まりから与えられている。
創世記を信じるにせよ、信じないにせよ、そこに記述されている大事な点の一つは、神が最初の女イブを造ったのは最初の男が孤独だったから、と言うことだ。神はアダムを独りにしておけなかったのだ。
神は自分に似せて人を創造した。
わたしたちキリスト教徒にとっては、聖書、
説教でおなじみのことだが神は「父とみ子と聖霊が一つになった存在である」 これは「三位一体の玄義」 と呼ばれている。 神ご自身が→「社会的な存在であることにお気遣き」 だと思う。 神はただ一つの実体からなっている。それでもなお三つの品格を備えている。
中井の教会施設で、寿命に逆らえないが、残された余命を楽しんだ今日の心の日記でした。
皆様良い夢路に向かってください〓目覚めが祝福で満たされますように〓
愛の樹オショチ†
2014-09-06
シラ書 42
耳にしたことをそのまま口にしたり、
秘密を漏らしたりすることを恥じよ。
そうすれば、真に恥を知る者となり、
人望を集めるであろう。
【恥じる必要のない事柄】
しかし、以下の事柄は恥じる必要がない。
他人の思惑を気にして罪を犯してはならない。
いと高き方の律法と契約、
不信仰な者への正しい裁きを恥じるな。
仕事仲間や旅の道連れと勘定を清算すること、
他の相続人と遺産を分け合うことを恥じるな。
秤と分銅とが正確なこと、
収益高の多いこと、少ないこと、
商売をして得た利益を恥じるな。
子供を厳しくしつけること、
悪い召し使いのわき腹を血が出るほどに
打ちたたくことを恥じるな。
妻が信用できないときは物に封をするのが良い。
人の出入りが多い所では物に鍵をかけよ。
物を預ける場合には、数と重さを確認し、
収支はすべて書き留めておけ。
物分かりの悪い者や愚かな者、
みだらなふるまいをする年寄りを、
たしなめることを恥じるな。
そして、お前は真に教訓を身につけた者となれ。
そうすれば、すべての人から称賛を得るであろう。
【父親と娘】
娘は父親にとって、人知れぬ不眠のもと。
娘への心配で彼は夜も眠れない。
若いときには、婚期を逃しはしないか、
結婚すればしたで、夫に嫌われはしないかと。
またおとめのときには、父の家にいるうちに
辱めを受けて、子供を宿しはしないかと。
夫を持てば持ったで、過ちを犯しはしないか、
結婚してからは、子ができないのではないかと。
わがままな娘には厳しい監督が必要だ。
さもないと、お前は敵の笑いものになり、
町中のうわさの種、野次馬の群がるもととなり、
公衆の面前で恥をかくことになる。
【女に気をつけよ】
どんな人の美貌にも見とれてはならない。
また、女たちの間に座を占めるな。
衣類からしみ虫が出て来るように、
女からは女の邪悪も出て来る。
男の悪行は、女の善行よりましだ。
女は恥知らずで不名誉をもたらす。
【主の業】
わたしは今、主の業を思い浮かべ、
わたしの見たことを詳しく語ろう。
主の言葉によって御業は成り、
〔御旨のままに定めが実現した。〕
光り輝く太陽は万物に目を注ぎ、
主の業はその栄光に満ちている。
主はすべての驚くべき御業を語ることを、
天使たちにさえお許しにならなかった。
全能の主は、万物を揺るぎなく据えられた。
万物を主の栄光で満たし固められた。
主は地下の海も人の心も究め尽くし、
その見事な仕組みを知り尽くしておられる。
いと高き方はすべてのことに精通し、
時の徴に目を留められる。
主は、過去と未来を告げ知らせ、
隠されたものの形跡を明るみに出される。
いかなる思いも、主は見逃さず、
一言半句も主は聞き逃されない。
主は、御自分の知恵による壮大な業を秩序立て、
永遠から永遠にわたって変わらぬ方であられる。
主には、付け加えるものも取り去るものもなく
主はいかなる助言者も必要とされない。
主のすべての業はなんと見事なものであろうか。
目に映る小さな火花に至るまで。
これらすべてのものは永遠に活動を続け、
すべての必要を満たし、すべてに応じる。
すべてのものは対をなし、一方は他に対応する。
主は不完全なものを何一つ造られなかった。
一方は他の長所を更に強める。
だれが主の栄光を見て飽き足りたといえようか。
(シラ書42章1〜25節)
秘密を漏らしたりすることを恥じよ。
そうすれば、真に恥を知る者となり、
人望を集めるであろう。
【恥じる必要のない事柄】
しかし、以下の事柄は恥じる必要がない。
他人の思惑を気にして罪を犯してはならない。
いと高き方の律法と契約、
不信仰な者への正しい裁きを恥じるな。
仕事仲間や旅の道連れと勘定を清算すること、
他の相続人と遺産を分け合うことを恥じるな。
秤と分銅とが正確なこと、
収益高の多いこと、少ないこと、
商売をして得た利益を恥じるな。
子供を厳しくしつけること、
悪い召し使いのわき腹を血が出るほどに
打ちたたくことを恥じるな。
妻が信用できないときは物に封をするのが良い。
人の出入りが多い所では物に鍵をかけよ。
物を預ける場合には、数と重さを確認し、
収支はすべて書き留めておけ。
物分かりの悪い者や愚かな者、
みだらなふるまいをする年寄りを、
たしなめることを恥じるな。
そして、お前は真に教訓を身につけた者となれ。
そうすれば、すべての人から称賛を得るであろう。
【父親と娘】
娘は父親にとって、人知れぬ不眠のもと。
娘への心配で彼は夜も眠れない。
若いときには、婚期を逃しはしないか、
結婚すればしたで、夫に嫌われはしないかと。
またおとめのときには、父の家にいるうちに
辱めを受けて、子供を宿しはしないかと。
夫を持てば持ったで、過ちを犯しはしないか、
結婚してからは、子ができないのではないかと。
わがままな娘には厳しい監督が必要だ。
さもないと、お前は敵の笑いものになり、
町中のうわさの種、野次馬の群がるもととなり、
公衆の面前で恥をかくことになる。
【女に気をつけよ】
どんな人の美貌にも見とれてはならない。
また、女たちの間に座を占めるな。
衣類からしみ虫が出て来るように、
女からは女の邪悪も出て来る。
男の悪行は、女の善行よりましだ。
女は恥知らずで不名誉をもたらす。
【主の業】
わたしは今、主の業を思い浮かべ、
わたしの見たことを詳しく語ろう。
主の言葉によって御業は成り、
〔御旨のままに定めが実現した。〕
光り輝く太陽は万物に目を注ぎ、
主の業はその栄光に満ちている。
主はすべての驚くべき御業を語ることを、
天使たちにさえお許しにならなかった。
全能の主は、万物を揺るぎなく据えられた。
万物を主の栄光で満たし固められた。
主は地下の海も人の心も究め尽くし、
その見事な仕組みを知り尽くしておられる。
いと高き方はすべてのことに精通し、
時の徴に目を留められる。
主は、過去と未来を告げ知らせ、
隠されたものの形跡を明るみに出される。
いかなる思いも、主は見逃さず、
一言半句も主は聞き逃されない。
主は、御自分の知恵による壮大な業を秩序立て、
永遠から永遠にわたって変わらぬ方であられる。
主には、付け加えるものも取り去るものもなく
主はいかなる助言者も必要とされない。
主のすべての業はなんと見事なものであろうか。
目に映る小さな火花に至るまで。
これらすべてのものは永遠に活動を続け、
すべての必要を満たし、すべてに応じる。
すべてのものは対をなし、一方は他に対応する。
主は不完全なものを何一つ造られなかった。
一方は他の長所を更に強める。
だれが主の栄光を見て飽き足りたといえようか。
(シラ書42章1〜25節)
2014-09-03
聖書物語
創世記
【王の夢】
まる二年がたちました。ある晩、王は夢を見ました。夢のなかで、王が川のそばに立っていますと、七頭のすばらしくこえた雌牛がナイル川からあがってきて、野原で草をたべていました。するとこんどは、七頭のやせて骨ばかりの雌牛が川からあがってきて、川岸にいたこえた雌牛を、七頭ともみんなたべてしまいました。ここで王は、ふと目がさめたのです。
またうとうとすると、こんどは、こんな夢を見ました。夢のなかでは、七つの麦の穂が一本の茎からはえておりました。この穂は、ちょっと見ただけでも強く、りっぱでした。ところが、そのあとから、ひょろひょろした、いまにもかれそうな七つの穂があらわれて、あの強くみのった穂を、みんなのみこんでしまいました。王は目をさまして、これが夢だったことを知りましたが、しんぱいで胸がどきどきしました。
つぎの朝、エジプトじゅうの賢者や魔術師をよびよせて夢の話をしましたが、それをときあかすものは、ひとりもありませんでした。
するとそのとき、あの給仕人がヨセフのことを思いだし、王に言いました。
「ああ、わたしは悪いことをしていました。まえに、わたしたちは、王さまの怒りにふれて、親衛隊長の家の牢にいれられたことがあります。そのとき、わたしと料理人は、めいめいちがった夢を見ました。しんぱいしていると、親衛隊長の召使の若いヘブル人が、その夢をといてくれたのです。そして、その男の言ったとおり、わたしは、もとの地位にもどり、料理人は、しばり首になりました。」
それを聞いた王は、いそいでヨセフをよびにやり、地下牢からつれだしました。ヨセフはひげをそり、きものをきかえて王の前にでました。
王はヨセフに言いました。「わたしは、ふしぎな夢を見た。それをとくものがいないのだが、おまえはそれができるらしい。ひとつやってみてくれないか。」
ヨセフは王に、「それは、わたしの力でできることではありません。神が王に答えをだされるのです」と答えました。
(つづく)
【王の夢】
まる二年がたちました。ある晩、王は夢を見ました。夢のなかで、王が川のそばに立っていますと、七頭のすばらしくこえた雌牛がナイル川からあがってきて、野原で草をたべていました。するとこんどは、七頭のやせて骨ばかりの雌牛が川からあがってきて、川岸にいたこえた雌牛を、七頭ともみんなたべてしまいました。ここで王は、ふと目がさめたのです。
またうとうとすると、こんどは、こんな夢を見ました。夢のなかでは、七つの麦の穂が一本の茎からはえておりました。この穂は、ちょっと見ただけでも強く、りっぱでした。ところが、そのあとから、ひょろひょろした、いまにもかれそうな七つの穂があらわれて、あの強くみのった穂を、みんなのみこんでしまいました。王は目をさまして、これが夢だったことを知りましたが、しんぱいで胸がどきどきしました。
つぎの朝、エジプトじゅうの賢者や魔術師をよびよせて夢の話をしましたが、それをときあかすものは、ひとりもありませんでした。
するとそのとき、あの給仕人がヨセフのことを思いだし、王に言いました。
「ああ、わたしは悪いことをしていました。まえに、わたしたちは、王さまの怒りにふれて、親衛隊長の家の牢にいれられたことがあります。そのとき、わたしと料理人は、めいめいちがった夢を見ました。しんぱいしていると、親衛隊長の召使の若いヘブル人が、その夢をといてくれたのです。そして、その男の言ったとおり、わたしは、もとの地位にもどり、料理人は、しばり首になりました。」
それを聞いた王は、いそいでヨセフをよびにやり、地下牢からつれだしました。ヨセフはひげをそり、きものをきかえて王の前にでました。
王はヨセフに言いました。「わたしは、ふしぎな夢を見た。それをとくものがいないのだが、おまえはそれができるらしい。ひとつやってみてくれないか。」
ヨセフは王に、「それは、わたしの力でできることではありません。神が王に答えをだされるのです」と答えました。
(つづく)
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