2012-10-31

天国の夢を見ました


【天国の夢】

出来るなら穢れない幼子に戻りたいと願いました。

出来るなら肉体に生まれる以前の清浄な霊に戻りたいと神様に話しました。

私の記憶、個性、意識。

愛の命の全てのふるさと天国†

アイデンティティーを培ったふるさと。

歳月が流れ、肉体は老いて、私はふるさとを懐かしむのです。

辛い闘病も我慢ができるし。

世俗の垢の付いた衣服も我慢して纏いましょう。

帰天の希望が心を支えてくれるなら!

瞳が緑色に変わった人を見ました。

やがて茶色に変わり、 旅立ちの間際に、
天国はと?
問われ、

緑の瞳は緑のまま、茶色の瞳はそのままに!

赤毛は赤毛のまま、お望みのまま、受け入れられるでしょうと答えました。

私の天国は、あなたはの願う天国と同じようではないかもしれない。

何故そんな風に言われるのでしょうか?

あなたが今の姿のままでいたいと望むなら、天国は、望むありのままを受け入れましょう。

天国は望みが叶う場所です。

もう少しお話しすれば、天国で失うものはなに一つない。

全てが満たされます。

老いた人は若返り、幼子は完璧に美しい若者に育ちます!

あなたに問題があれば、何が問題なのか?たちどころに顕らかとなり瞬時に悩みは解消されるでしょう。

私たちの肉体は地上では儚い。

実に儚い。

「思い悩むな!」と言われて悩みます。

「今日は生えていて、明日炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたはなおさらではないか。信仰の薄い者たちよ。」


【天国は風光明媚】

天国で神の創造にあやかることも可能でしょう!

地上では思い浮かばないアイディアを使えば宇宙の星々を、心から楽しんで造ることも可能でしょう!

惑星を彫り光る星を空にちりばめても良いのです。

銀河を造り希望の小舟を浮かべては如何でしょうか!

夢に見た天国は風光明媚、全てが幸せに満ちた生活でした!

神様の光りは天国の人々の命の全てを満たす糧なのです


オショチ†

ラビ・ベン・エズラ 2

ロバート・ブラウニングの詩をお届けいたします。全編32節で構成されています。今回は12節までお送りいたします。
格調高い文語体です。解説抜きでお届けいたします。


(六)


されば  平坦な地上に波瀾(はらん)を巻きおこす
一つ一つの挫折をも  歓迎せよ、

立つも座るも得しめず  ただ進ましむる一つ一つの刺(とげ)をも!

我らの喜びに  四分の三の苦しみあれかし!

力闘し、易々として尽瘁(じんすい)せよ。

学びて  疼痛を物ともせず、挑んで  劇痛に呟(つぶや)くな!

   (七)

それ故に  ━━ 一つの逆説だが
それは嘲(あざけ)りつつも
 慰めるもの ━━

人生は失敗と見ゆる処(ところ)にて  成功する。

私が成ろうと熱望したのに
成り得なかったその事が  私を慰める。

私は野獣となり得たであろうに

しかし  その様にまで  落ち込むを欲しなかった。

  (八)

その肉が  霊をして適合せしむるもの

手足を動かそうとしてのみ
魂が働くもの

野獣でなくして  彼は何であろう?

人間に対しては  この試験(テスト)を課してみよ ━━

その身体が最高潮のとき

如何に遠くまで  汝の魂を投射しうるや、その孤独の道に?

  (九)

されど賜物は  その効用を立証すべし。

私は認める、若き日は身技ともに

力みなぎり、いかなる場合にも完全であった。

わが目と耳とは  その分け前を受け取り、
頭脳は  全きものを貯えたものだ。

一度ならず心臓は  ときめいたではないか、

「生きて学ぶは  如何に善きかな」と。

  (十)

一度ならずときめいた、
「貴神(なんじ)に誉あれ!

私はその筋書(デザイン)の全てを見る、

かつて完(まった)き力を見た私は  今や完き愛を見る。

貴神の御計画は完全なりと
私は叫ぶ。

私は人でありしことに  感謝する!

創造主(つくりぬし)よ、改造し、完成なし給え、

貴神の為し給うことに  私は委ねまつる!」と。

  (十一)

楽しからずや、この肉は。

わが霊魂は、その薔薇色(ばらいろ)の網の中にて

つねに地に引かれつつも、安息を慕う。

ある素晴らしきものを  我らは捕らえたし、

獣の所有する  これら多彩なものに対抗せんために。

最善を尽くしたごとく、最大を得ん!

  (十二)

我らは口ぐせにも言うまい、
「この肉を顧みずに  今日まで
私は競い、精進し、概して進歩した」と。

鳥が羽ばたき歌う如くに  我らは叫ぼう、

「すべて善きものは  我らのものだ。
霊が肉を助けるように  今や肉も霊を助けるのだ!」と。

後、3回で終了します。

愛川英雄
愛の樹オショチ†

2012-10-28

今週の聖句 10月28日~11月3日

詩篇71篇前半

主よ、わたしはあなたに寄り頼む。
とこしえにわたしをはずかしめないでください。

あなたの義をもってわたしを助け、
わたしを救い出してください。
あなたの耳を傾けて、わたしをお救いください。

わたしのためにのがれの岩となり、
わたしを救う堅固な城となってください。
あなたはわが岩、わが城だからです。

わが神よ、悪しき者の手からわたしを救い、
不義、残忍な人の支配から、
わたしを救い出してください。

主なる神よ、あなたはわたしの若い時からの
わたしの望み、わたしの頼みです。

わたしは生れるときからあなたに寄り頼みました。
あなたはわたしを母の胎から取り出されたかたです。
わたしは常にあなたをほめたたえます。

わたしは多くの人に
怪しまれるような者となりました。
しかしあなたはわたしの堅固な避け所です。

わたしの口はひねもす、あなたをたたえるさんびと、
頌栄とをもって満たされています。

わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。
わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。

わたしの敵はわたしについて語り、
わたしのいのちをうかがう者は共にはかって、

「神は彼を見捨てた。彼を助ける者がないから
彼を追って捕えよ」と言います。

神よ、わたしに遠ざからないでください。
わが神よ、すみやかに来てわたしを助けてください。

わたしにあだする者を恥じさせ、滅ぼしてください。
わたしをそこなわんとする者を、
そしりと、はずかしめとをもっておおってください。

しかしわたしは絶えず望みをいだいて、
いよいよあなたをほめたたえるでしょう。

2012-10-25

ラビ・ベン・エズラ 1

暗い世情です。
昔、学んだ、神への感謝を込めた、人生賛歌です。数回に分けてお届けいたします。

【ラビ・ベン・エズラ】 ロバート・ブラウニング作

(一)

老いゆけよ、我と共に!
最善は これからだ。
人生の最後、そのために最初も造られたのだ。
我らの時は 聖手(みて)の中にあり

神言い給う 「全てを私が計画した。
青年はただ その半ばを示すのみ。
神に委ねよ。全てを見よ しかして恐れるな!」と。

(二)

さにあらず、百花繚乱の中にて
青春の吐息(といき)して
「何れ(いずれ)の薔薇(ばら)を摘み取ろう、
何れの百合を残して とっておきにしよう」と言うも。

さにあらず、賛美すべき星辰に
憧れては 「木星にあらず、火星にもあらず、
わが憧憬は 全ての星を併せても
いやまさりて輝く 炎にぞあれ!」と言うも。

(三)

かかる希望と恐れのために
短い青春を徒消(としょう)すべきにあらず、 となれば
「馬鹿な。とんだ見当違いだ!」と私は抗議する。

むしろ 私は懐疑を尊重したい、
懐疑なくして 下等な者たちは生存する、
出来上がったそれきりの土塊(つちくれ)は 火花に騒ぎもしない。

(四)

人もし享楽のためにつくられ
ただ 探し、見つけ、宴楽にありつくに過ぎずば、
まこと 生ける誇りのむなしさよ。

かかる宴楽の その果てに
必ず終わりが 人間には来るものだ。
飽食した鳥が 煩悶しようか?
満腹した獣に 焦心があろうか?

(五)

喜べや われらは類属す
備えても 与(あずか)らぬ者に、
実らせても
受けぬ者<神>に!

一つの火花(スパーク)が 我らの土塊をさわがせる。
私は信ぜずにおれようか、
受けるばかりの
その被造物よりも
与え給う神に より近く属する身なるを。

続きます。

愛の樹オショチ†

2012-10-21

今週の聖句 10月21日~27日

詩篇70篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの記念の歌

神よ、みこころならばわたしをお救いください。
主よ、すみやかにわたしをお助けください。

わたしのいのちをたずね求める者どもを
恥じあわてさせてください。
わたしのそこなわれることを願う者どもを
うしろに退かせ、恥を負わせてください。

「あはぁ、あはぁ」と言う者どもを
自分の恥によって恐れおののかせてください。

すべてあなたを尋ね求める者は
あなたによって喜び楽しむように。
あなたの救を愛する者は
つねに「神は大いなるかな」ととなえるように。

しかし、わたしは貧しく、かつ乏しい。
神よ、急いでわたしに来てください。
あなたはわが助け、わが救主です。
主よ、ためらわないでください。

2012-10-20

アブラハム・ヘシェルの随想

【はじめに】
ここにご紹介する随想文は、神学を学んでいる頃、たびたび聖書講義の合間に聞かされましたが、忘れかけていました。

しかし歳を取り身近に感じるようになりました。

高齢化社会に入り、感銘深い人生訓だと改めて思い慎んでお届けいたします。

愛川英雄拝
愛の樹オショチ†

老年は内面性の成長期
  アブラハム・ヘシェル(1907〜1972年)

 私は次のことを提案したい。
 人が変わり、成長する可能性は、私たちが思う以上に大きい。老年は停滞の年代と思われがちだが、むしろ内面性が成長する時期である。老人は病人のように扱われるべきではないし、その隠退を社会の第一線から長く退いてしまった状態、と見てはならない。
 老年期こそ、それまでに感得しそこねた高い価値、身につけられなかった洞察力、顧みなかった叡智を私たちに得させる時だ、と言ってもさしつかえない。

 その時期は実に豊かな可能性をもった人格形成期である。長い人生で知らないうちに身についた愚行をやめ、生来の自己欺瞞の偽りを見抜き、人を理解し、思いやる心を深め、誠実な心の領域を広げ、公正さへの感覚を精錬することができるのだ。

 年輪を重ねた人は、大局的に物事を見、失敗の経験を積んでいるから、偏見と既得権益への飽くなき執着心を捨てることができる。その時に、もはや仲間を自分の前に立ちはだかる競争者と見ることはないだろう。

 老人のための大学が必要である。その教育の目標は、老人を忙しくさせておくことではなく、一瞬一瞬が偉大になるための好機である、と気づかせることにある。内面の純化は、少なくとも趣味や娯楽と同じくらい重要である。心の中から、憎しみ、恨み、嫉妬の残渣(ざんさ)を取り除くことは、だれもが闘うべき確かな目標である。
 ほとんどの人は、老年を迎える準備を青年期の日々になすべきだ、ということを自覚していない。
 老年のために霊的備えをせよ。それをいかに深めるかを学べ。これは、若い時から心すべき命題である。昔から、老いた者ほど叡智があると言われてきたが、まさしくそうだ。しかし、年齢は叡智の保証書ではない。格言にいわく、
「賢い老人は、年をとるに従って賢くなる。粗野な老人は、年をとるに従って愚かになる」
(著書『The Insecurity of Freedom』より抄訳)

この後、腱鞘炎と相談しながらですが?

「ラビ・ベン・エズラ」 ロバート・ブラウニング作【第1連】

「老いゆけよ、我と共に!最善は これからだ。」
をご紹介させて頂きます。

アブラハム・ヘシェル

2012-10-18

神よなぜ? 天路歴程・地路歴程24

【イエスの弟子たち】
 
初代教会のイエスの弟子たちは文字通りイエスを愛した。

惜しげもなく愛のために命を捧げ、貧しい人々、弱い人々に尽くした(神よあなたの御心を実践しました)。

この時代の、イスラエルには様々な不正、悪がはびこり、宗教的権力集団(司祭たち)に弱者は傷めつけられ、搾取され、人々の嘆きは地に満ちた。

あなたは御子を犠牲にされた。

無償の愛が確立されたとわたしたちは思った。

弱者を人間扱いにしない権力に、果敢に立ち向かったのは武器を持たないあなたの御子、イエスの弟子たちであった。

武器は信仰のみ!

素手である。

神よあなたを信じて立ち上がった。

命懸で大切なものを守った。

皆死を覚悟した。

とりわけイスラエルの王ヘロデは残忍な性格の持ち主で、人々の血が流されるのを楽しんだ。

加えて、ローマの圧政下に人々は苦難のどん底にあった。

闇が、イスラエル全土を暗く覆っていた。

その閉塞感を打ち破ったのが、少数のイエスの弟子たちであった。

復活した、イエスは、キリストとなり、革新的エネルギーになった。

来世に蘇る新しい生命が、エネルギー源になつた。

【時代は変われど】

今の日本はアメリカ合衆国の言うがままが罷り通る。

二千年前の、ローマ帝国に支配された、ユダヤと変わらない。

現代人は、イエスご生誕の以前に逆戻りした観がある!

嘘、偽りが天下に罷り通る。

人類が精神的に進化を遂げた痕跡が証明出来ない。

むしろ人間の本質は劣化、退化しているように思われる!

高等宗教の人類救済の始まりには崇高な精神、純粋な愛があり貧しい人々の心の支えになった。

人々を奮いたたせた!

しかし時が経つにつれ教えは世俗的な権力集団にすり変わった。

キリスト教しかり。

人間の不純な心は神の意に反しイエスの犠牲を維持出来ない。

ゴルゴタの十字架の殉教死は、儀式宗教に堕落した。

イエスの死によって人類に与えられた、無償の愛は、貧しい人々に届かず、見捨てられた。

金持ちは優遇された。

【人間とは何物?】


人間の心はブラックボックスである!

闇に包まれている。

残忍な事件は日常茶飯事だし、有効な手立ては未だに見つからない。

人間には狂暴性が隠されている。

狂暴性をコントロールするには神の力が必要である。

わたしたち人間は困難に直面すると俄然力を取り戻す。

神の力が正しい人を助けると信じたい。

人々に幸せをもたらすはずの宗教が神の名において衝突を繰り返し平気で大量殺人を犯す。

わたしたちの"知らない神々の争い"が狂気を生み出すのか?。

自分たちの信奉する"神々"が他宗教に敵対し信仰の大義名分のもとで平然と大量殺人を繰り返す。

【神よなぜ?】

あなたはこのような人間をなぜ?創造されたのでしょうか?

あなたの意図された人間とは、このような生き物でしたか?

答えてください。

義人ヨブはあなたの理想的な人物でしょうか?

わたしたちは人類の狂気を正してくださる真の神をひたすら待ち望みます。

神のしもべ†
「聖ペテロの涙」エル・グレコ(1580−85)

2012-10-14

今週の聖句 10月14日〜20日

詩篇69:21~36

彼らはわたしの食物に毒を入れ、
わたしのかわいた時に酢を飲ませました。

彼らの前の食卓を網とし、
彼らが犠牲をささげる祭を、わなとしてください。

彼らの目を暗くして見えなくし、
彼らの腰を常に震わせ、

あなたの憤りを彼らの上にそそぎ、
あなたの激しい怒りを彼らに追いつかせてください。

彼らの宿営を荒し、
ひとりもその天幕に住まわせないでください。

彼らはあなたが撃たれた者を迫害し、
あなたが傷つけられた者をさらに苦しめるからです。

彼らに、罰に罰を加え、
あなたの赦免にあずからせないでください。

彼らをいのちの書から消し去って、
義人のうちに記録されることのないように
してください。

しかしわたしは悩み苦しんでいます。
神よ、あなたの救が
わたしを高い所に置かれますように。

わたしは歌をもって神の名をほめたたえ、
感謝をもって神をあがめます。

これは雄牛または角とひずめのある雄牛にまさって
主を喜ばせるでしょう。

へりくだる者は、これを見て喜べ。
神を求める者よ、あなたがたの心を生きかえらせよ。

主は乏しい者に聞き、
その捕われ人をかろしめられないからである。

天と地は主をほめたたえ、
海とその中に動くあらゆるものは主をほめたたえよ。

神はシオンを救い、
ユダの町々を建て直されるからである。
そのしもべらはそこに住んでこれを所有し、

そのしもべらの子孫はこれを継ぎ、
み名を愛する者はその中に住むであろう。

新しい人生の幕開け 天路歴程・地路歴程23

【はじめに】

人生のドラマの始まりは、些細なことが幕開けになることもある。

自分でも可笑しな、首を傾げたくなるような体験は、霊的な高次元の神の啓示ではなく、易占い師とのちょっと変わったエピソードが発端である!

続編で、聖書に記述されている占いにも触れて見たい。

【街頭の易占い師】

建築科の学生時代、今から約60年ほど前。

寒い冬の夜。

勉強不足を補い下宿に帰る途中であった。

博多駅の近くで、同級生の木村辰秀君に誘われ、老人の男性占い師を冷やかすつもりで占いをしてもらったことがある。

【筮竹→ぜいちく】

易の占いに使う細い竹の棒。
筮竹(ぜいちく)をガシャガシャ音を立て振り回し、何回か束ねて又、ガシャガシャ!占った結果を厳かに告げられた。

あなたは博多に運がない。上京しなさい。良い方向に行くでしよう。東から風が吹いています。但し条件付きです。小さな事を大事にしなさい。足元に気をつけて、それから大言壮語は禁物。あなたの生涯は宗教に関わると出ました。真剣にやりなさい!



不思議なことに木村君からは見料をとり、私の見料は要らないと言う。

木村君は

可笑しな占い師だなー?何故君が無料で僕だけ払うのか?
可笑しいなぁー?変わった易占い師だねー?
当たるも八卦、当たらぬも八卦だからなぁー?
僕は地元向きだとさ!君は上京しろよ!
後で何とか言ってたな?
「仕事の選択を誤らないようにとか?」
お互い、せっかく建築家を目指しいるんだから、あの占い師のおっさんの話は忘れろよ!君に悪いことをしたな、ごめんよ!

私は、何か街角の占い師に不思議な感情を抱いた。


何処の誰とも知れぬ初対面の若者に貴重なアドバイスを無料でしてくれるとは!

占い師と言うより何か私の先を既に見透している不思議な人物に見えた。

人間の姿をし、占い師に仮装した神の使いか?守護霊か?

占い師の言葉に引き込まれた訳ではないが、私はなんとなく、これから始まる運命を予感した。

【テレパシー】

占い師から発信されるテレパシーを身体全体が感じた。

五感によらず、ある人の意志や感情が(遠く離れたところにいる人にでも)他の人にも伝達される、コミュニケーション手段。

【インスピレーション啓示・神からの霊感】

人間同士のコミュニケーションの手段、テレパシーが人間の五感を超えているくらいだから、神から発信される高次元の霊感はただ事ではないと直感した。

インスピレーションは創造的な様々な過程で、神から啓示をうけ、閃くもの。

人類への神からの賜物かと思う。

但し無条件では無いはず。

人類を不幸にする発明ならいつか人間自身が神の賜物の取り扱いを誤ると自滅の危険性がある。

あの「ダモレスクの剣」である。

誤ると、王自身の頭に鋭い剣が容赦なく突き刺さる。

権力も人間が身勝手に振る舞えば自滅破壊する。

アインシュタイン、エジソン、スティーブ・ジョブズ、最近ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥教授等々。

彼らは才能と同じ重さの責任も負わされているはずである。

人一倍の才能と努力以外に「閃き」が与えられて何かにたどり着いたがその先を深く考えなければなるまい。

【万能は神から】

使徒パウロの生涯は、キリストの聖霊の愛の助けを借りて人々の救いの手助けをやってのけた。

人間にいつか訪れる

死に対する身の処し方、肉体の死を超えた新しい生命の復活を詳細に示した。

正に人類救済の大事業の始まりであった。

愛の樹オショチ†

ピエトロ・ダ・コルトーナ「パウロの回心」(1631)

2012-10-07

今週の聖句 10月7日〜14日

詩篇68:1~20
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、さんび

神よ、立ちあがって、その敵を散らし、
神を憎む者をみ前から逃げ去らせてください。

煙の追いやられるように彼らを追いやり、
ろうの火の前に溶けるように
悪しき者を神の前に滅ぼしてください。

しかし正しい者を喜ばせ、
神の前に喜び踊らせ、喜び楽しませてください。

神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。
雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。
その名は主、そのみ前に喜び踊れ。

その聖なるすまいにおられる神は
みなしごの父、やもめの保護者である。

神は寄るべなき者に住むべき家を与え、
めしゅうどを解いて幸福に導かれる。
しかしそむく者はかわいた地に住む。

神よ、あなたが民に先だち出て、
荒野を進み行かれたとき、〔セラ

シナイの主なる神の前に、
イスラエルの神なる神の前に、
地は震い、天は雨を降らせました。

神よ、あなたは豊かな雨を降らせて、
疲れ衰えたあなたの嗣業の地を回復され、

あなたの群れは、そのうちにすまいを得ました。
神よ、あなたは恵みをもって
貧しい者のために備えられました。

主は命令を下される。
おとずれを携えた女たちの大いなる群れは言う、

「もろもろの軍勢の王たちは
逃げ去り、逃げ去った」と。
家にとどまる女たちは獲物を分ける、

たとい彼らは羊のおりの中にとどまるとも。
はとの翼は、しろがねをもっておおわれ、
その羽はきらめくこがねをもっておおわれる。

全能者がかしこで王たちを散らされたとき、
ザルモンに雪が降った。

神の山、バシャンの山、
峰かさなる山、バシャンの山よ。

峰かさなるもろもろの山よ、
何ゆえ神がすまいにと望まれた山をねたみ見るのか。
まことに主はとこしえにそこに住まわれる。

主は神のいくさ車幾千万をもって、
シナイから聖所に来られた。

あなたはとりこを率い、
人々のうちから、またそむく者のうちから
贈り物をうけて、高い山に登られた。
主なる神がそこに住まわれるためである。

日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。
神はわれらの救である。〔セラ

われらの神は救の神である。
死からのがれ得るのは主なる神による。

2012-10-05

イエスとの出合い(20)天路歴程・地路歴程22

【献身】

昔、カトリックのシスターに、メクチルダと言う若い女性がいた。

生まれつき優しい心の持ち主で信仰心に篤かった。

しかし生い立ちは不幸で、義母から虐められ苦労の挙げ句、意に添わぬ結婚を神父に勧められた。

心の優しいメクチルダは、断り切れず、かなり年上の男と結婚した。

結婚当初から酷い仕打ちを受けたが嫌な態度も取らず真心を尽くした。

夫の遊びも酷くなり、それにも耐えた。

メクチルダは心身ともに疲れ果て病床に伏した。

心身、ぼろぼろになり死の世界をさ迷い、神のお恵みで奇跡的に回復した。

神父は、メクチルダの使命を語った。

「貴女は夫の魂を救うために神に仕えなさい。神の使命を果すのです」。

夫の素行はますます酷くなり、悪態をの限りを尽くした。暴力は日常茶飯事であったが、メクチルダは黙って耐えた。

やがて夫も病に倒れた。

メクチルダは誠心誠意、夫に尽くした。

最期の時を迎えた時である。

夫の口から思いがけない言葉が出た。

「長い間、ありがとう!済まなかった。許しておくれ!」

最期に遺した言葉にメクチルダは献身の愛を感じた。

夫は穏やかに神に召された。

そのメクチルダが、かって病床にある時、不思議な体験をした。

もう一人の自分が戦場に行き負傷者の手当てをしたと言う。

後日、手当てを受けた負傷兵が証言をしている。

この不思議な出来事は長く伏せられていたが神父がメクチルダの死後、日記の中から発見して世の明るみに出た。

「同時双身→バイ・ロケーション」と表現されている。

メクチルダ


【使徒たち】

イエスの刑死後、弟子たちはどうなったのか気に掛かる。

弟子たちは散り散りにとなりある者はどこかに去り、また多くの者たちは故郷ガリラヤに戻った。

エルサレムに残った弟子たちもいた。

信じたイエスが刑死して彼らの身の振り方が気になった。

不思議な噂が広がりはじめた。

死んだはずのイエスがあちこちに現れたと言うのである。

福音書はその「イエスの復活」と言う驚くべき出来事の記録である。

果たしてこの「復活」が事実か?どうか?

信仰の問題である。

私の知人にカトリック系の学校を出た人がいる。

神父の話しに疑問を抱いて質問したが、納得できないまま、カトリックを去った。

まず、聖母・マリヤの処女懐妊説。

イエスの復活の疑問。

私の意見を求めてきた。

私は肯定も否定もしなかった。

客観的な証明はできない。

しかし弟子たちの「復活信仰」が否定し得ない事実であることは歴史家も認めるところであると答えた。

それなくして、キリスト教は成立せず後の西欧文明の歴史もなかったであろうと答えた。

「復活信仰」とは生けるキリストに出会う信仰体験である。

復活についての最古の資料は使徒パウロの証言だと言われている。

ヴァランタン・ド・ブーローニュ「使徒パウロ」(1620)

【聖パウロ】

「キリストは葬られ、聖書に書いてあるとおり三日目によみがえりケパ→ペテロに現れ、次に、すべての使徒たちに現れそして最後に、いわば、月足らずに生まれたような私にも現れたのである」 (1コリント人への手紙15・4〜8)

使徒パウロは初代キリスト教会の伝道の中心テーマを端的に表現している。

ちなみに、文献的には福音書や使徒行伝は、パウロ書簡の後に編纂されている。

イエスの言行録や生涯は口伝で伝えられるたと思われる。

【パウロの人間像】

小男で風采の上がらない、持病を抱えた天幕作りの職人。

人間的には健康に恵まれず(癲癇とも言われている)、またその容貌もみすぼらしかった。(2コリント10・10)

生計は天幕作りで支えられた。

しかし信仰的豊かさにより人間的な欠陥は解決され、多忙にして困難な伝道の中にも主の恵みが伝えられた。

信仰が困難な人々には分かりやすく「キリストの聖霊の働きが人を愛の業へと導きだす」と説いた。

生まれはアジア・キリキヤ州の首都タルソのユダヤ人の家庭に生まれて八日目に割礼をうけ。

ユダヤ信仰の訓練を受け育った。

当時碩学ガマリエルのところで学んだ、秀才である。

ユダヤ人はシナイ山でモーセの十戒を神に授り、(トーラ→律法)をすべての規範にする。

トーラがユダヤ人の生活の中心である。

パウロは熱心なユダヤ教徒でパリサイ派に属し律法に基づく厳格な生活をしていた。

彼はキリスト教徒が律法を無視することに憤りを感じていた。

キリスト教徒迫害、ステパノの石打の刑にも立ち会っている。

キリスト教徒迫害の急先鋒に進んでなった。


【ユダヤ人とトーラ】

出エジプトから始まり、モーセ五書と言われる掟が定められた。

ユダヤ人の生活全般にわたり厳しい掟が定められたのは、他ならぬユダヤ人自身の生活の、どうしょうもない身勝手主義にあった。

偶像崇拝、放埒な生活を神は戒めた。

トーラが与えられた。

彼らが神に背いたからである。

レンブラント「契約の石板を割るモーセ」(1659)
出エジプト記を読むと、砂漠をさ迷い歩いた民衆から不満が続出して風紀は乱れ、不正不義が跋股した。

それに対する神の戒めが、 モーセの十戒である。

出エジプトの苦難を忘れないために、厳しい掟→律法→トーラが与えられた。

これは神がユダヤ人が再び罪を犯さないように仕向けられた愛の安全措置とも言える。

メシヤ誕生の下地が芽生えていた。

愛の樹オショチ†

2012-10-03

義人ヨブ記(job)42最終回

ヨブは主に答えて言った。
あなたは全能であり
御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。

「これは何者か。知識もないのに
神の経綸を隠そうとするとは。」

そのとおりです。
わたしには理解できず、わたしの知識を超えた
驚くべき御業をあげつらっておりました。

「聞け、わたしが話す。
お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」

あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。

それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます。

◆結び

主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。

「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。

お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。

しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。

わたしはそれを受け入れる。お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」

テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルは行って、主が言われたことを実行した。そして、主はヨブの祈りを受け入れられた。

ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた。

兄弟姉妹、かつての知人たちがこぞって彼のもとを訪れ、食事を共にし、主が下されたすべての災いについていたわり慰め、それぞれ銀一ケシタと金の環一つを贈った。

主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。

ヨブは、羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。

彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ、長女をエミマ、次女をケツィア、三女をケレン・プクと名付けた。

ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった。彼女らもその兄弟と共に父の財産の分け前を受けた。

ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。

ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。

(ヨブ記 第42章・終章)

★「長い間義人ヨブ記に目を通して頂き有り難うございました。

この物語はサタンが、義人ヨブの信仰を疑い、神は義人ヨブの信仰を誇り、神とサタンの、不思議な闘いを記述した一風変わった物語です。

物語は劇詩の形をとり義人ヨブ記全体を善悪で割り切ることは難しいところです。

序曲と終曲に述べられている神への純粋の愛、真実の礼拝、無私の善が存在するか?と言う深刻な問題を問いかけています。

義人に報い、悪人に刑罰と言う、直線的な因果応報教理の大胆な否定です。

神は自由な恩恵を持って人を恵むのであり、因果律で神と人との関係を割り切ってはならないと理解されます。

真実は神のみぞ知る!

実際に苦しんだ義人ヨブは最後に神の恵みにより賜物を頂きました。

この物語は紀元前400年ころに書かれたと言われます。

舞台はパレスチナ東南エドム地方。ウヅに住む富める義人です。

聖パウロと義人ヨフには 不思議な一致点が見られます。

(義とされるのは自己義認にはなく、 神の神の許しによる。)この点で義人ヨブと聖パウロは時代を越えて信仰の本質的類似点があります。

聖パウロは天路歴程・地路歴程で触れます。

感謝をもって†

愛の樹オショチ†

ローマ、聖ペトルスとマルケリヌスのカタコンベにあるヨブの壁画(300年頃)
 

義人ヨブ記(job)41

勝ち目があると思っても、落胆するだけだ。
見ただけでも打ちのめされるほどなのだから。

彼を挑発するほど勇猛な者はいまい。
いるなら、わたしの前に立て。

あえてわたしの前に立つ者があれば
その者には褒美を与えよう。

天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。

彼のからだの各部について
わたしは黙ってはいられない。

力のこもった背と見事な体格について。

誰が彼の身ごしらえを正面から解き
上下の顎の間に押し入ることができようか。

誰がその顔の扉を開くことができようか。

歯の周りには殺気がある。
背中は盾の列
封印され、固く閉ざされている。

その盾は次々と連なって
風の吹き込む透き間もない。

一つの盾はその仲間に結びつき
つながりあって、決して離れない。

彼がくしゃみをすれば、両眼は
曙のまばたきのように、光を放ち始める。

口からは火炎が噴き出し
火の粉が飛び散る。

煮えたぎる鍋の勢いで
鼻からは煙が吹き出る。

喉は燃える炭火
口からは炎が吹き出る。

首には猛威が宿り
顔には威嚇がみなぎっている。

筋肉は幾重にも重なり合い
しっかり彼を包んでびくともしない。

心臓は石のように硬く
石臼のように硬い。

彼が立ち上がれば神々もおののき
取り乱して、逃げ惑う。

剣も槍も、矢も投げ槍も
彼を突き刺すことはできない。

鉄の武器も麦藁となり
青銅も腐った木となる。

弓を射ても彼を追うことはできず
石投げ紐の石ももみ殻に変わる。

彼はこん棒を藁と見なし
投げ槍のうなりを笑う。

彼の腹は鋭い陶器の破片を並べたよう。

打穀機のように土の塊を砕き散らす。

彼は深い淵を煮えたぎる鍋のように沸き上がらせ
海をるつぼにする。

彼の進んだ跡には光が輝き
深淵は白髪をなびかせる。

この地上に、彼を支配する者はいない。

彼はおののきを知らぬものとして造られている。

驕り高ぶるものすべてを見下し
誇り高い獣すべての上に君臨している。


(ヨブ記 第41章)

後一章です。

愛の樹オショチ†

サルバトール・ダリ「聖書」よりヨブ記(1969)

地球を襲う「火山の冬」天路歴程・地路歴程21

【火山色々】

以下の記事は皆様、既にご存知のことと思います。

前回の、「もし月がなかったら」に続きます。

東京直下型地震、東南海地震など取り沙汰されています。

加えて国内の火山活動、噴火も危惧されます。

自然界に働き掛けることは不可能ですが、天地創造主のご意志なら小さな祈りでも、或いは?聞き届けらるかな?と願いました。

非科学的な願い事ですが、未来の命のために願わずにはいられない気持ちです。

最後に過去の火山噴火や噴火口の写真を挿入しました。

愛川英雄拝
愛の樹オショチ†


【3・11後を生きる】地球を襲う「火山の冬」
寒冷化で食料危機の恐れ

 世界には、とてつもなく大きいカルデラ火山がたくさんある。中でも米国のイエローストンの規模は、並大抵ではない。地下に巨大なマグマだまりがあって、いつ噴火してもおかしくないといわれる。本当に起きたら、人類の破滅につながりかねないという。
空中高く吹き上がる間欠泉や神秘的な青緑色の温泉湖などがあり、国立公園に指定されているイエローストン。公園の面積は日本の四国の約半分という広大さだ。その大部分が大きいカルデラの中にある。そびえたつ山体があるわけではないが、周期的に大爆発を起こしている。
 二百十万年前の噴火では二千五百立方㌔のマグマが噴出した。日本最大級の阿蘇カルデラの噴火(九万年前)の十倍以上の規模で、琵琶湖の水九十杯分に相当するマグマが一気に地表にあふれ出た。
 その後、百三十万年前と六十四万年前にも巨大噴火が起きた。六十万〜八十万年間に一回のペースだ。地下には大量のマグマがマントルから常に供給されているとみられる。そろそろ次の噴火が起きても不思議ではない。

 ■米国経済は壊滅

 今、同じような巨大噴火が起きたらどうなるか。日本大の高橋正樹教授(地質学)は 「ニューヨークやロサンゼルスなど人口が集中する東海岸、西海岸の都市は直接的な被害を免れるが、米国経済が致命的な打撃を受けるのは間違いない」と指摘する。
 火砕流と火山灰は、米国北西部を中心に壊滅的な被害を及ぼす。さらに成層圏にまで高く巻き上げられた噴煙が、「火山の冬」と呼ばれる地球規模の寒冷化現象をもたらす。
 噴煙には硫黄を含む火山ガスが混じっている。火山灰はすぐに地上に落下する一方、硫黄を含むガスは太陽光による化学反応で「硫酸エアロゾル」と呼ばれる一㍈(千分の一㍉)以下の細かい微粒子に変わる。微粒子は大気中に漂い、太陽光を反射するため、地球は寒冷化する。
  先史時代の人類は、七万四千年前にインドネシアのトバ・カルデラで発生した巨大噴火で絶滅しそうになった。これは、二百十万年前のイエローストンの噴火を 上回る規模だった。噴火後、北半球の平均気温は一〇度以上低下し、その状態が六年間も続いた。緯度が高い地域では針葉樹林の半分以上が枯れ、熱帯の植物へ も甚大な被害が出た。「急に氷河期になったようなものだ」と高橋教授。
 こうした「火山の冬」によって日本の気温が一〇度下がったら、鹿児島県が北海道のような気候になり、国内のほとんどの地域で米作りができなくなる。

 ■飢えと疫病に襲われ

有史以来、このクラスの巨大噴火は起きていない。それに準じた噴火としては、インドネシアのタンボラ火山の爆発(一 八一五年、噴出物百五十立方㌔)がある。その翌年は世界各地が異常気象に見舞われた。「夏が来なかった」といわれるほど寒冷化し、大凶作に陥った。飢饉で 人々の免疫力が下がったため、コレラや発疹チフスが大流行した。また紀元前一六〇〇年ごろのサントリーニ島噴火はエーゲ海の文明を滅亡させた。

 防災技術が発達した現代でも、巨大噴火は防ぎようがなく、対策は難しい。食料を輸入しようと思っても、寒冷化は世 界規模で起こるため、他国も状況は同じ。輸出に回せる食料はない。火砕流から生き残っても地獄が待っているのだ。高橋教授は 「極度の食料難に見舞われた戦後の日本のようになる。だが、寒冷化に備えてジャガイモなど寒さに強い作物の種を備蓄しておけば、自給自足の生活で生き残れ る可能性はある」と語る。
 人類を滅亡にも追い込みかねない脅威は、確実に地面の下に存在する。巨大噴火という大災害に私たちは立ち向かうことができるのか。まずは、そのリスクを正しく認識する取り組みが必要になる。
(榊原智康)

大噴火した 火山や噴火口の写真です。






イエローストン
イエローストン

イエローストン
アラスカ・リダット

国際宇宙ステーションから撮影した千島列島

チリ、プジェウエ火山


ハワイ・キラウエア火山

桜島

霧島山・新燃岳

以上。
ーー
戸村裕司

2012-10-02

暖かいのです!

ふと!手の甲を見つめて思ったのです。

歳相応に痩せて血管が浮き出していますが暖かいのです。

何気なく過ぎて行く時間の中で、心臓が静かに動き、身体の隅々まで血液を流してくれます。

左側に残った一個の腎臓はカテーテルのお陰で文句も言わず、せっせと働いてくれます。

傷んだ肝臓も治療を受けて頑張っています。

頸椎はチタンボルトで支えられ辛い傷みを和らげてくれます。

歯も治療を受けてきちんと栄養分を身体の中に届けています。

眼は年齢的には良い方かな?と思います。

いろいろな身体の仕組みが黙って助け合い、時間を刻んでいます。

人間の肢体の一部分が傷めば全体が傷みます。

低悪性リンパ腫の進行は止められませんが、身体全体が支えあって受け止めています。

今日もお陰様で、五臓六腑が働き命を支えてくれます。

身体が暖かいのです!何気なく、嬉しい不思議な今日です!

愛の樹オショチ†