2012-10-05

イエスとの出合い(20)天路歴程・地路歴程22

【献身】

昔、カトリックのシスターに、メクチルダと言う若い女性がいた。

生まれつき優しい心の持ち主で信仰心に篤かった。

しかし生い立ちは不幸で、義母から虐められ苦労の挙げ句、意に添わぬ結婚を神父に勧められた。

心の優しいメクチルダは、断り切れず、かなり年上の男と結婚した。

結婚当初から酷い仕打ちを受けたが嫌な態度も取らず真心を尽くした。

夫の遊びも酷くなり、それにも耐えた。

メクチルダは心身ともに疲れ果て病床に伏した。

心身、ぼろぼろになり死の世界をさ迷い、神のお恵みで奇跡的に回復した。

神父は、メクチルダの使命を語った。

「貴女は夫の魂を救うために神に仕えなさい。神の使命を果すのです」。

夫の素行はますます酷くなり、悪態をの限りを尽くした。暴力は日常茶飯事であったが、メクチルダは黙って耐えた。

やがて夫も病に倒れた。

メクチルダは誠心誠意、夫に尽くした。

最期の時を迎えた時である。

夫の口から思いがけない言葉が出た。

「長い間、ありがとう!済まなかった。許しておくれ!」

最期に遺した言葉にメクチルダは献身の愛を感じた。

夫は穏やかに神に召された。

そのメクチルダが、かって病床にある時、不思議な体験をした。

もう一人の自分が戦場に行き負傷者の手当てをしたと言う。

後日、手当てを受けた負傷兵が証言をしている。

この不思議な出来事は長く伏せられていたが神父がメクチルダの死後、日記の中から発見して世の明るみに出た。

「同時双身→バイ・ロケーション」と表現されている。

メクチルダ


【使徒たち】

イエスの刑死後、弟子たちはどうなったのか気に掛かる。

弟子たちは散り散りにとなりある者はどこかに去り、また多くの者たちは故郷ガリラヤに戻った。

エルサレムに残った弟子たちもいた。

信じたイエスが刑死して彼らの身の振り方が気になった。

不思議な噂が広がりはじめた。

死んだはずのイエスがあちこちに現れたと言うのである。

福音書はその「イエスの復活」と言う驚くべき出来事の記録である。

果たしてこの「復活」が事実か?どうか?

信仰の問題である。

私の知人にカトリック系の学校を出た人がいる。

神父の話しに疑問を抱いて質問したが、納得できないまま、カトリックを去った。

まず、聖母・マリヤの処女懐妊説。

イエスの復活の疑問。

私の意見を求めてきた。

私は肯定も否定もしなかった。

客観的な証明はできない。

しかし弟子たちの「復活信仰」が否定し得ない事実であることは歴史家も認めるところであると答えた。

それなくして、キリスト教は成立せず後の西欧文明の歴史もなかったであろうと答えた。

「復活信仰」とは生けるキリストに出会う信仰体験である。

復活についての最古の資料は使徒パウロの証言だと言われている。

ヴァランタン・ド・ブーローニュ「使徒パウロ」(1620)

【聖パウロ】

「キリストは葬られ、聖書に書いてあるとおり三日目によみがえりケパ→ペテロに現れ、次に、すべての使徒たちに現れそして最後に、いわば、月足らずに生まれたような私にも現れたのである」 (1コリント人への手紙15・4〜8)

使徒パウロは初代キリスト教会の伝道の中心テーマを端的に表現している。

ちなみに、文献的には福音書や使徒行伝は、パウロ書簡の後に編纂されている。

イエスの言行録や生涯は口伝で伝えられるたと思われる。

【パウロの人間像】

小男で風采の上がらない、持病を抱えた天幕作りの職人。

人間的には健康に恵まれず(癲癇とも言われている)、またその容貌もみすぼらしかった。(2コリント10・10)

生計は天幕作りで支えられた。

しかし信仰的豊かさにより人間的な欠陥は解決され、多忙にして困難な伝道の中にも主の恵みが伝えられた。

信仰が困難な人々には分かりやすく「キリストの聖霊の働きが人を愛の業へと導きだす」と説いた。

生まれはアジア・キリキヤ州の首都タルソのユダヤ人の家庭に生まれて八日目に割礼をうけ。

ユダヤ信仰の訓練を受け育った。

当時碩学ガマリエルのところで学んだ、秀才である。

ユダヤ人はシナイ山でモーセの十戒を神に授り、(トーラ→律法)をすべての規範にする。

トーラがユダヤ人の生活の中心である。

パウロは熱心なユダヤ教徒でパリサイ派に属し律法に基づく厳格な生活をしていた。

彼はキリスト教徒が律法を無視することに憤りを感じていた。

キリスト教徒迫害、ステパノの石打の刑にも立ち会っている。

キリスト教徒迫害の急先鋒に進んでなった。


【ユダヤ人とトーラ】

出エジプトから始まり、モーセ五書と言われる掟が定められた。

ユダヤ人の生活全般にわたり厳しい掟が定められたのは、他ならぬユダヤ人自身の生活の、どうしょうもない身勝手主義にあった。

偶像崇拝、放埒な生活を神は戒めた。

トーラが与えられた。

彼らが神に背いたからである。

レンブラント「契約の石板を割るモーセ」(1659)
出エジプト記を読むと、砂漠をさ迷い歩いた民衆から不満が続出して風紀は乱れ、不正不義が跋股した。

それに対する神の戒めが、 モーセの十戒である。

出エジプトの苦難を忘れないために、厳しい掟→律法→トーラが与えられた。

これは神がユダヤ人が再び罪を犯さないように仕向けられた愛の安全措置とも言える。

メシヤ誕生の下地が芽生えていた。

愛の樹オショチ†

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