人の顔つき
心の状態で、人の顔つきは変わる。
うれしい顔にもなれば、悲しい顔にもなる。
晴れやかな顔は、良い心の表れである。
それにしても格言作りは、骨が折れる。
シラ書13:25-26
一昨日久しぶりに美しい顔の持ち主に会いました。
アメリカの地方都市で昨年行われた、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールのドキュメント、世界一過酷な審査舞台裏の実録です。
ETV特集選で放映されました。
感動と驚嘆の連続でした。
世界中から集まった並み居る若手ピアニストの中から最終予選に残った12人は、6人に絞り込まれました。
さらにその中から最後の優勝者3人を選考したのですが、3位は該当者なし。
2位が韓国の女性ピアニスト。残る優勝者は2名でした。ひとりは中国の若手ピアニスト。
最後に名前が呼ばれたのが日本の盲目の若手ピアニスト、辻井伸行さんでした。
コンクール参加者を含めて全員総立ちの万雷の拍手の中で、ステージのピアノに右手を置き、見えない観客に向かって深々と頭を下げる彼の姿に深い感動を覚えました。
人のいない舞台の袖壁にも頭を下げていたのでした。
彼は敢えて艱難に挑戦したのです。
彼を支えた家族、ピアニストの先生、マネージャー、通訳。
盲目で英語を一切使えない彼には、言葉、人種、国境。体の障害は、無きに等しいもののようでした。
好きな音楽に全身全霊を打ち込む。その姿に人々は魅了されたのでした。
「神に触れる」
神業に近い彼のピアノ音色は、彼に付き添い音楽の神髄を魂のどん底に植付けたクワルテット室内四重奏、シンフォニオーケストラーの、優しく厳しい音楽家の指導者の先生達でした。
盲目のピアニストと、魂と魂の触れ合いから始まりました。言葉は通じませんが音楽は通じあう!不思議な場面の連続でした。
コンクール参加者一人一人の気持ちがその真剣勝負の厳しさが、ひしひしと伝わって来ます。
私は、思いました。
あらゆる機会を通して神の実体に触れることは、誰にでも可能だと!真剣で純粋でひたむきなら!
たとえば、盲目のピアニストが、指揮者の息遣いに合わせる。
目が見えずとも言葉が話せなくても!驚くべき聴力に助けられて、目は見えずとも、指揮者、オーケストラとのコミュニケーションは不思議にとれた。
ステージの曲毎に人格か変わる。まるで作曲家のように?
美しいハーモニーは協奏者と共有し理解しあい作曲家の意図を豊かに伝えること。
美しいハーモニーは人間性を豊かに育む。神に捧げる讚美だと感動しました。
クワルテット室内四重奏。
室内楽は、音楽は、スポーツではない。
『音楽芸術は聖者によって演奏されなければなりません。』と、言われた室内楽の音楽家の先生の言葉が深く心に響いてきました。
人は神の表現体である!
人間には光と影がつきまといます。自己の内面は他者に正確に投影されます。
時には見たくない自分と向き合う必要もあります。
決断、変化、成功に障害は付き物。
しかし心のもちかたで顔つきは変わります。
預言者シラの言葉の意味は一考の価値があると思うのですが如何でしょうか?
お休みなさい☆彡
愛の樹オショチ†
愛の樹オショチ†
盲目のビアニストの、繊細な曲は、健常者の人より、遙かに感動するものと思います。顔を見れば、その人が、わかると言います。人を知らず知らず傷つけないよう心がけようとおもいます。感謝ヾ(^▽^)ノ
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