オショチも若い頃はかなり利己的な動機から、自己犠牲が愛と錯覚し、無理をしたが、今は静かにしている!
たとえが正確ではないが、カトリックの聖者と呼ばれた人々は他人への献身に没頭した!
もしそのことで、本当に周りの人々を幸せに出来たなら素晴らしい。
しかし彼らが、人知れず、自己犠牲の行為に、深い心の葛藤に、悩み苦しんでいたら?と、感じたことがある。
生きることは辛いこともたくさんある。
オショチも悩みながらも昨日も今日も生きている!
そんな時には自分にも妥協する。
神は我が魂を鋳型にははめ込まない。
「明日は明日自身が思い通りにやるだろう。思い煩いよさようなら!」
今日の感謝の祈り†
愛の樹オショチ†
ジョルジュ・ド・ラトゥール「聖トマス」
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