地震国チリでは1960年5月に発生したM9.5の地震で1655人が死亡、発生した津波が北海道や三陸沿岸を襲い、全国で死者行方不明者が142人に達したほか、ハワイでも死者が出た(東京新聞、朝刊)。
今を遡る50年前、私はその時、北海道厚岸郡浜中村霧多布にいた(アイヌ語で、丸い丘、または丸い島?)。
近海捕鯨会社、日東捕鯨の捕鯨基地に製氷冷凍工場の設計管理技師として出張していた。
マッコウクジラを捕獲して鯨油を作っていた。
肉は食用に鯨油は化粧品や食品に使うなど現場の人に聞いた。
そのための鯨肉の貯蔵庫建設の設計管理が私の仕事であった。
朝、小笠原旅館の女将に海の様子がおかしいから見て欲しいと頼まれ、急いで浜辺に向かった。
沖を見た。
暫くすると沖の方から凄い海鳴りがして、黒い龍のような波が逆巻いて陸地目がけて押し寄せてくるのが目に飛び込んできた。
“津波だ逃げろ!”誰かが大声で叫んだ。
引き潮の海には、貝や、昆布がたくさんあり人々は貝を拾ったり岩に絡み付いた昆布採りに熱中していた。
津波が襲いかかってきた。
数人が逆巻く波にさらわれた。
走って陸地に逃げる子供にも、家の屋根にしがみついた人々までが家ごと海に流されていった。
助けるすべはない!
私は足下に押し寄せてきた津波から必死に逃げて、建築現場に建てた工事用の鉄骨タワーにしがみつき、よじ登り辛うじて難を避け助かった。
目の前に見たあの自然の猛威、牙を剥き出した海の荒々しさに圧倒され、言葉を失った。
岩手県大船渡に、西山さんという、市議会議員がおられた。酒、煙草や日用雑貨品のお店を営んでいた。私はそのお店の二階に仕事で下宿させていただいたことがある。
優しいご家族の仲間に入れていただいた。
霧多布に行く、多分2年前ぐらいだったと記憶している。
霧多布のチリ地震の津波災害を目の当たりに経験して大船渡の入江の地形が心配を大きくした。
三陸海岸、リアス式の風光明媚な海岸は内陸部に深く切り込んでいる。
太平洋の遥か彼方のチリで発生した巨大地震の津波は物凄い破壊力を蓄えて、三陸海岸に被害をもたらした。
後日連絡が取れて西山さんご家族の安全が確認され、ホッと胸を撫で下ろした。
聞けば、いち早く裏山に逃れ、助かった、と、知らされ互いの無事に安堵したが、目の前で海に引き込まれた、生死不明者の報せに悲痛感が漂った。
津波は霧多布の島を分断して、陸地が海峡に変わっていた。幅は100以上あった。
その昔、松前船?の遭難船が海峡になった、かっての陸地の地底から発見され大きなニュースになった。
私、27歳の年の恐怖の体験である!
島の災害派遣部隊、自衛隊と工事は競争する形で突貫工事になった。
捕獲した鯨の生肉の冷凍保管の契約にチリ地震の災害契約事項はなかった。
悪戦苦闘の日々、何とか間に合った。
昨日のチリ巨大地震の被災地のこれから先の、火山国・地震多発国のこれから先が心配でならない!
天災は忘れた頃にやってくる。他人事ではない!
チリの被災者の無事を神に祈るのみ
愛の樹オショチ†