シラ書15:1〜20
知恵の働き主を畏れる人は、これを行う。
律法に精通している者は、知恵を悟る。
知恵は、母のように彼を出迎え、
新妻のように彼を迎え入れる。
英知のパンを食べ物として彼に与え、
知恵の水を飲み物として、彼に与える。
彼は、知恵に支えられて揺らぐことなく、
知恵に身を任せて、恥をかくことはない。
知恵は、周りの者たちよりも彼を優れた者とし、
集会で語るとき、適切な言葉を与えてくれる。
彼は楽しみを味わい、喜びの冠を受け、
その名声はいつまでも続く。
愚かな者は、決して知恵を悟らず、
罪深い者は、知恵をかいま見ることすらない。
知恵は、高慢な者から離れており、
偽りを言う者の心には決して思い浮かばない。
賛美の歌は、罪人の口にそぐわない。
主に促されて歌うのではないから。
賛美は知恵をもってささげられ、
主御自身がこれを正しく導かれる。
人間の意志
「わたしが罪を犯したのは主のせいだ」と言うな。
主が、御自分の嫌うことをなさるはずがない。
「主がわたしを迷わせたのだ」と言うな。
主は、罪人には用がないのだから。
主は、忌まわしいことをすべて憎まれる。
それらは、主を畏れる人にも好ましくない。
主が初めに人間を造られたとき、
自分で判断する力をお与えになった。
その意志さえあれば、お前は掟を守り、
しかも快く忠実にそれを行うことができる。
主は、お前の前に火と水を置かれた。
手を差し伸べて、欲しい方を取ればよい。
人間の前には、生と死が置かれている。
望んで選んだ道が、彼に与えられる。
主の知恵は豊かであり、
主の力は強く、すべてを見通される。
主は、御自分を畏れる人たちに目を注がれる。
人間の行いはすべて主に知られている。
主は、不信仰であれとは、
だれにも命じたことはなく、
罪を犯すことを、許されたこともなかった。
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