久しぶりにS君に電話を入れてみた。
彼は不在。
奥さんが代わりに出てくれた。
若い頃私は或る教団の小さな神学校(聖書塾 )で、真剣に聖書を学びキリストの教え→聖霊の愛に触れたいと切願し、独立伝道を目指して、厳しい学びに取り組んでいた。
必死だった。
その時に出会った御方が我が生涯唯一無二の師、吉村騏一郎先生である。
昨日から、しばしば夢に師のお顔が浮かび、気になって、S夫人に先生の消息を尋ねた。
「先生はお元気でいらっしいますか?」
「いいえ、亡くなられました!去年の3月5日に、癌でした」。
お年は八十歳余。
更に追い討ちをかけるように、教団の代表者のT夫人も今年2月半ばに八十五歳で逝去されたと伝えられた。
ショックを受けた。
何とも言い難い惜別の情に襲われた。
ちょっとした誤解から、一時期、蛇蝎の如く私は嫌われ危険人物とされた経験者でもある。
その私を師は庇ってくださった。あの温もりは忘れられない。いや!忘れてはならないのだ。
私に接触するものは、教団から義絶すると布告が出たと聞いた。
隠れて集会に来るものもいたが、私に付けられた呼び名は「ペスト」、「コレラ」。
様々な中傷誹謗を受けたが私は屈しなかった。
はっきりした使命を帯びていたからである。
それは、あちこちの教会、教団から、貧しさや様々な事情で手のひらからこぼれ落ちる、魂の救済を貴君に頼みたい!
意外な師の言葉に内心驚いた。
私のこれからの行く道を示された。
師は私をじっと見つめていた。その真剣な眼差し、態度に圧倒され、ただならぬ気配を感じ身震いした。
我が生涯掛けても叶わぬかも知れぬ未知の伝道。
神との道行き。
私は覚悟を決めて、師の言葉に従った。
“身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ”と、自分に言い聞かせた。
生活は貧乏のどん底。
その日暮らしの私には師の言葉は余りにも大きく不可能に感じた。
しかし、神に投げ身して、キリストのみ跡に続いて欲しい!
君は今からミッションに旅立つてください。
師の眼差しが瞼に焼き付き言葉が心に響き続けた。
私はその言葉に従い、師の元を密かに離れた。
徒手空拳で独立伝道に立ち上がった。
およそ40年前の早春の出来事である。
様々な障害が待ち受けていた。
つづく
0 件のコメント:
コメントを投稿
「コメント」はブログの読者すべてに公開されます。公開に先立ち、管理者に届く設定ですので、プライバシーなどが含まれないか確認できますが、お名前やメールアドレス、私的なやりとりなど、個人情報に留意してください。イニシャルや匿名でも可能です。よろしくお願いします。