2010-10-15

天路歴程(80)旅路のひとこま

主に在りて† 
Bさま

ご主人のお体の具合はいかがですか。いろいろ病気を抱えてよく頑張っていますね。

オショチも同じ病を抱えていますから痛みがよくわかります。

この苦しみは経験した者でないと本当にはわからない痛みだと思います。

それに伴う精神的苦痛、不安、孤独感、焦燥感などとの闘いになりますね。

あなたも同じ病める身、よくここまで頑張ってきました。

このところ、オショチの周りに訃報が相次いでいます。

オショチはいつも最期のお別れに「長い間、お疲れさまでした」と言葉を結びます。

病が何であれ、人間が最期を迎えるのは、本人は元より、家族、友人など親しい者にとっては辛い体験です。

しかし、これも生きとし生ける者のさだめ、必然的なものだと考えれば、神様は平等です。そこから新しい命へ継がれていく。

たとえば、子どもがいなくても、愛があれば、人の心に宿ります。その愛の命が受け継がれ、語り継がれていく時、命は永遠に不滅であるといえるでしょう。

人間は肉体の死をもって終わらない。

イエス様が「わたしを信じる者はたとい死んでも生きる」「われは復活なり。命なり」と、弟子たちに残されたお言葉をいつも思い出しています。

昔、長崎の26聖人の聖地に行き、モニュメントと、生々しい表情に接し、激しい感動に襲われました。

年端もいかぬ少年がその殉教者の中にいたからです。死刑を怖れず、槍に突き刺され、天に向かった信仰の深さとその勇気に驚嘆しました。

オショチ自身の生涯もかくありたいと強く心に刻み付けました。


話はかわりますが、フィリピンではカトリックに次ぐプロテスタント教団の総主教だったエリエゼール・M・パスクアさんが、一時、亡命の形でアメリカに逃れて数ヶ月経ちました。

彼のために送ったお金が、銀行や国境を超え、1週間かかって届き、彼は初めて自分のキャッシュを手にしました。

口先の信仰だけでは現実の生活は出来ません。約6000ドル送金したうち、彼は昨日初めて400ドル銀行からおろしたそうです。

これからアメリカに於ける牧師としての彼の伝道は熱を帯びることでしょう。

かの有名な大説教者、R・ムーディーやスピノザのようにリバイバルを起こすかもしれません。なにしろ彼は受難者となり、殉教者となったのですから。

彼は元々人権活動家、政府のその筋からブラックリストのトップに掲載されていた人物ですから、よく命がつながったと思います。

オショチたちは、彼らの命綱です。国境、人種、性別、肩書など一切無関係です。

神に召されて、神の仕事を与えられた彼を助けるのがオショチたちの仕事です。それが愛の樹の本当の姿であり、愛の樹が存在する意義があるのです。

オショチたちなりのやり方で、静かにミッションを伝えていますが、時には、国境、人種、文化、政治的圧力をはね除け、様々な障害を超えて、激しく動くこともあります。

その原動力は、聖霊の愛です。働きです。あの使徒パウロを世界伝道に駆り立てたキリストの聖霊の愛です。

あなた方ご夫妻の上に聖霊の御働きと御恵みをお祈りいたします。

町田にてオショチ記す

2010年(平成22年)10月15日

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