「ジィージィーと/暗闇に鳴く命蝉/思いを遂げよ」
(拙句-2008/10/15)
死を覚悟して右腎う癌と胆嚢摘出の手術に臨んだ日から四年の歳月が流れた。
今年の夏は「蝉時雨-せみしぐれ」を聞かない。
何か蝉たちに異変が起きているのか?
散歩道で毎年見かける蝉の脱け殻も小ぶりで数も少ない。
異常気象のせいか?放射能のせいか?わからないが、不気味でもあり、淋しくもある。
拙句の蝉とは、私自身の擬態である。
苦しい夜、目が冴えて"命のあり方"を考えていたとき、闇の中から蝉の鳴き声が聞こえた。
あぶら蝉の鳴き声である。
茶羽、茶色の体。地味な姿に、ビーズのような黒い目が好きだ!
長く暗い地中生活からやっと地上に出て、思い切り鳴き交し、交尾をして短い蝉の生涯を閉じる。
健気にも短い日数を子孫のために使い果たし、枝から地上にポトンと落ちて蝉は死ぬ。
一見、儚い命に見えるがこれは人間的な私の見方かもしれない?
小さな命にも神のご意志が働いている。
小さな命の死に敬虔な気持ちが湧く。
先日、散歩道の途中にある、馴染みの欅の枝に数匹の蝉が鳴き声を競い合っていた。
別の枝にとまった蝉は鳴かない蝉だった。
忙しく飛び回っていた一匹がジィージィー鳴きながらどこかに飛び去ってしまった。
木の下を歩いていると、ポット小さな音がした。見ると茶羽の、あぶら蝉であった。
力尽き枝から地面に落ちたらしい。
私は蝉を手のひらにそっとのせた。
地面を見ると、小さな生き物たちがせっせと働いている。
しゃがんで見ると小さな蟻たちが蝉の死骸を運んで行くところだった。
地面から渕石を越えて、小さな蟻たちが、体の何十倍もの獲物を草むらの巣のなかに運び込んでいる。
暫く眺めていると、手のひらの蝉が右指にしがみついてきた。
細い足が指に食い込んで痛い。
小さなせみの細い足はしっかり私の指を掴んで離さない。
不思議な生命力である。
うっかり歩けない。
地面を小さな生き物たちがはい回っている。
道端の灌木の枝にとまらせようとしたが右指にしがみついてなかなか離れない。
せみの寿命は地上で10日間くらいと言われているが、このせみの命もその時がきて必死にしがみついているのかもしれないと思い可哀想な気持ちになった。
せみの細い足を折らないように気を遣いながら、やっと、木の枝ににのせた。やれやれである。
又、地面に落ちてしまうかもしれない?と思いながら、そこを離れた。
無数の命に囲まれて人間は今日も生かされている。
愛の樹オショチ†
先生のメールで、気持ちが、落ち着きました。
返信削除連日、頭痛めまい等で、仕事の疲れもあり、すぐ怒鳴る家族に切れて、もう心配させないでくれ、怒鳴る声は聞きたくない、生きていても何にも楽しくないと、怒鳴ったとき、メールが、来て見失う自分を立て直せました。
感謝します。生きていくのは、体力も精神力も必要すべてに力が、無くなる瞬間がある。今日は、早く横になります。
明日が、笑える日となることを願って、先生もご自愛ください。ありがとうございました。