九州、大分県、日田の山奥で生まれ、少年期を田舎で過ごした私にキリスト教は無縁の存在でしかなかった。
小学校のクラスメイトに一人だけ、日曜日になると、教会の日曜学校に行く米田君という、あまり親しくない男の子がいた。
−あん、十字の印はなんね?−と、聞くと
「イエス様のおらっしゃらるところたい!」
−イエス様って誰ね?−
「教会の先生が、イエス様は、救い主と言われるけん、神様じゃろう?」
他愛のない会話だったが、少年の私を惹き付ける不思議な響きがあった。
封建的な風土であるが、田舎暮らしは素朴そのもの、緑豊かな山々に囲まれた日田盆地は夏は暑く冬は寒かった。雪も、どっさり降った。
街は日田盆地を両側から挟むように、三隈川と花月川の清流が流れていた。
昔は、徳川幕府直轄の天領で、水郷日田の天然の恵みは幕府の貴重な資金源でもあったと言う。
更に日本三大杉の美林の一つに数えられ、木目の美しさは珍重されさまざまな木工芸品を産み出した。
三隈川から川上にさかのぼると、九州でも最高の品質を誇る、鯛生金山があった。
現在は過去の歴史に埋もれてしまったが。
産出する金。
質の高い漆工芸品、豊穣な土地。
温和な人々。
日田は美人が多いと言われる土地柄でもある。
美人が多い原因の一つに清流から、立ち上る、朝靄があげられる。
山々に囲まれた日田盆地は、特に、昼間と夜の温度差が、朝靄を発生させそのせいか?
肌理(きめ)の細かい色白の肌を作ると母に聞かされた。
徳川幕府の財源確保に欠かせない土地でもあった。
高名な、漢学者・広瀬淡窓を慕う弟子たちが全国から集まった。
四国から中津にきた福沢諭吉とは、全く質の異なる純粋な学者であったと言う。
小学校のクラスメイトに広瀬淡窓のひ孫がいて、私と机が隣り合わせであった。
勉強嫌いの私にはどうにも手の届かない秀才で、この違いは血統かもしれないと思っていた。
私の少年期は、日本が戦争を拡大し、太平洋戦争の真っ只中にありながら、しかし何処かのんびりした土地柄に守られていたように記憶している。
前置きが長くなったが、イエスのふるさとユダヤのパレスチナ北部の山岳地帯にあるガリラヤ湖を日田盆地と似ていると感じたからである。
ガリラヤの豊かな水源地は万年雪をいただくヘルモン山である。
ガリラヤと言う名は旧約聖書に数回しか出てこないが、「ゼブルンの地、ナフタリ地」などと呼ばれている。
ガリラヤ湖を中心にその周りに町々が並んでいる。その地形からガリラヤと言う地名がついた。
ガリラヤ→ノコギリの歯のように凸凹した地形が「輪・周辺」と言う地名にぴったり一致したのかもしれない?「聖書辞典一部引用」。
続きます。
愛の樹オショチ†
ピエロ・デッラ・フランチェスカ「イエスの受洗」(1440頃)
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