2014-10-06

シラ書 45

【モーセ】
神はヤコブから慈悲深い人を起こされた。
彼はすべての人々から好意を持たれ、


神と人々に愛されていた。モーセがその人であり、
彼は祝福のうちに覚えられている。
神は御使いに等しい栄光をモーセに与えて、
彼を大いなる者、敵どもの恐怖の的とされた。
モーセの執り成しの言葉により、
神はさまざまなしるしを行い、
王たちの前で彼の名声を高めた。
彼を通して民に命令を与え、
また御自身の栄光の一端を彼に示された。
モーセの忠実と柔和のゆえに神は彼を聖別し、
すべての人の中から彼を選び出された。
神はモーセに御声を聞かせ、
黒雲の中に彼を導き、
顔と顔を合わせて掟を与えられた。
それは、命と知識をもたらす律法であり、
ヤコブに契約を、
イスラエルに御自分の定めを、
教えるものであった。

【アロン】
神はアロンをモーセに等しい
聖なる者に高められた。
彼はレビ族の生まれ、モーセの兄であった。
神は彼と永遠の契約を結び、
民の祭司としての権限を彼に与えられた。
神は彼を美しく装わせて、祝福し、
輝かしい衣をまとわせられた。
神は華麗な衣装を身に着けさせ、
権威の象徴として冠をかぶらせ、
亜麻布のズボン、長い服、
エフォドをまとわせられた。
衣の裾の回りにはざくろの飾りと
たくさんの金の鈴が付けられた。
彼が歩くたびに鈴が鳴り響き、
聖所にこだました。
それは、神が民を思い起こすためであった。
その聖なる衣服には、金、青、
紫の刺しゅうが職人によって施され、
真実を明らかにする
裁きの言葉が織り込まれていた。
それは職人が緋色の糸で織り上げたもの。
そこに付けられた多くの宝石は、
細工師によって
印章のように刻まれ、
金の台座にはめ込まれていた。
記念として刻み込まれた文字は、
イスラエルの部族の数に対応していた。
黄金の額当てがターバンの上に付けられ、
それには聖別の印が刻印されていた。
それは誇らしい豪華な傑作、
目をみはらせる飾り、
これほど美しいものはアロン以前にはなかった。
ほかの者は決してこれを身に着けることはなく、
ただ彼の子供と子孫だけが、
これを代々身に着ける。
彼は焼き尽くすいけにえの献げ物を
絶えることなく、日に二度ささげる。
モーセは両手に聖なる油を満たし、
それをアロンに注いだ。
これはアロンとその子孫に対して、
天の在るかぎり続く永遠の契約となった。
こうして彼は主の祭りをつかさどり、
祭司の務めを果たして、
御名によってその民を祝福する。
神は彼をすべての生けるものの中から選ばれた。
それは、主に供え物と
かぐわしい香りを記念として献げ、
民の贖いの儀式を行わせるためであった。
神はアロンに掟を託し、
律法を解釈する権限をお与えになった。
それはヤコブに主の御旨を教え、
イスラエルを律法の光で照らすためであった。
ある時、アロンの一族以外の者がねたみを起こし、
荒れ野で彼に逆らって立った。
ダタンとアビラムの一党であり、
怒りに狂ったコラの徒党であった。
主はそれを見て、快しとせず、
激しい憤りをもって彼らを滅ぼし尽くされた。
主は彼らに対して不思議な業を行い、
燃え盛る炎で彼らを焼き尽くされた。
こうして主はアロンに栄誉を増し加え、
代々受け継がれるものを彼に与えられた。
それは収穫の初穂の分け前であり、
神はまず彼の食物を十分に用意されたのだ。
それゆえ祭司たちは
主にいけにえとして献げられた物を食べる。
それは主がアロンとその子孫に与えられたもの。
だが、民の土地には
アロンの受け継ぐ分はなく
民の間で彼には何の分け前もない。
主は言われる。「わたし自身がお前の分け前、
お前の受け継ぐべきもの」と。

【ピネハス】
主の栄光を担う第三の人物は
エルアザルの子ピネハスであった。
彼は主を畏れ敬う熱心な人で、
民が背いたときには、
勇敢にも立ち上がり、
イスラエルのために罪の赦しを得た。
それゆえ、主は彼と平和の契約を結び、
彼を聖所と民の頭とされた。
こうして彼とその子孫は、
永遠に大祭司の職を継ぐ者となった。
ユダ族の出身のエッサイの子
ダビデと結ばれた契約では、
王の遺産は子から孫へと一人だけに受け継がれる。
しかしアロンの遺産はその子孫全体に及ぶ。

願わくは、主がお前たちの心に知恵を授け、
正義をもって主の民を裁かせてくださるように。
そうすれば民の繁栄がいつまでも続き、
その栄光は代々に輝く。

(シラ書44章23節
45章1〜26節)

2014-09-23

聖書物語

創世記

【エジプトにきたヨセフのきょうだい】

エジプトに穀物があると聞いて、ヤコブは息子たちに言いました。

「おまえたちは、なぜじっとすわって、顔を見あわせてばかりいるのか。エジプトにはたくさんの穀物があると聞いている。行って買ってきてはどうだろう。そうすれば、わたしたちは生きのびることができるだろう。」

そこでヨセフの十人のきょうだいたちは、穀物を買いにエジプトにむかいました。けれどもヨセフの末の弟のベニアミンだけは、あとにのこりました。「何かわざわいがふりかかってはいけないから」と言って、ヤコブが行かせなかったのです。

こうしてヤコブの息子たちは、穀物を買いにきたたくさんの人びとにまじって、エジプトにきました。ヨセフは、このときエジプトの大臣でしたから、みんなに穀物を売っていました。ヨセフの兄たちは、ヨセフの前で、顔を地につけておじぎをしました。

ヨセフは、それが兄たちだと気づきましたが、まるで見知らぬ者のように、らんぼうにあつかいました。

「おまえたちはどこからきたのか。」

「食糧を買いに、カナンの地からまいりました。」

兄たちは、それがヨセフだとは気がつきませんでした。ヨセフは、むかし兄たちの夢を見たことを思いだしました。

「おまえたちはスパイだろう。このくにの秘密をさぐりだしにきたのだろう。」

「いいえ、とんでもございません。わたしたちは、ただ食糧を買いにやってきただけでございます。わたしたちは正直もので、けっしてスパイなどではありません。」

「いや、おまえたちは、この国の秘密をさぐりにきたのにちがいない。」

「わたしたちは十二人きょうだいで、カナンの地に住んでいます。末の弟は父といっしょにいます。もうひとりは、もう死んでしまいました。」

しかし、ヨセフは聞きいれず、こう言いました。

「だれか、いちばん下の弟をカナンからつれてきなさい。それまでは、おまえたちを牢屋につないでおいて、おまえたちの言ってることが、ほんとうかどうかためしてみよう。もし弟がこなければ、おまえたちはスパイにちがいない。」

こうして、ヨセフはきょうだいたちを三日のあいだ、へやにとじこめ、見はりをつけておきました。

三日めに、ヨセフはまた言いました。

「わたしは神をおそれるものです。もしおまえたちが正直ものなら、だれかひとりをこの牢にのこして、ほかのものは穀物を持って帰り、家族のものをすくいなさい。そのかわりに、いちばん下の弟をつれてきなさい。そうすれば、おまえたちがうそをついていなかったことがわかり、おまえたちは死なずにすむだろう。」

きょうだいたちは、おたがいに言いあいました。

「わたしたちは、むかし弟ヨセフのことで悪いことをした。弟が泣いてたのんだときに、弟の苦しみをよく知っていながら、聞こうともしなかった。だからいま、この苦しみがわたしたちの上にふりかかってくるのだ。」

ルベンはみんなに言いました。

「わたしは、ヨセフに悪いことをするなと言っておいたのに、おまえたちは聞こうともしなかった。いま、わたしたちは弟の血のむくいを受けなければならないのだ。」

きょうだいたちは、この話がヨセフにつたわっているとは夢にも知らず、くちぐちに言いあいました。ヨセフは、通訳をつけて話を聞いていたのです。

ヨセフは、きょうだいたちのところをはなれてひとりでなき、また帰ってきて、みんなと話をしました。それから、きょうだいたちのなかからシメオンをとらえて、みんなの目の前でしばりました。

つぎにヨセフは、けらいに言いつけて、きょうだいたちの袋を穀物でいっぱいにさせ、めいめいの袋にお金もかえしてやり、とちゅうのたべものもあたえました。

(つづく)

2014-09-18

エリさんから返信 9 月17=?iso-2022-jp?B?GyRCRnw8dT8uGyhC?=

カズコと愛の樹家族へ

オショチさんの闘病のその後の状況を知らせて下さって有り難うございます。
その記述からオショチさんがどんなに耐え難い程の辛さ、大変な状況を通ってきたか、が真に迫って伝わってきました。

しかし、そこからオショチさんが自分に合ったあり方を前向きに見つけようとし、今は希望が見えてきたことが感じられます。

病院の治療そして薬づけになること、から脱する決断をしたオショチさんの病への向き合いかたは、まさに偉大なる
『精神家の在り方』です。

彼は自分の全てを愛しているので、弱っている自分にも、そこからの回復にも、一心に真正面から立ち向かっているのです。
それによって自己免疫力を高めているのだと思えます。
愛の樹の家で、皆に囲まれ、その変わらぬ愛とお世話によってそれを実現しているのです。

大切なのは、その生涯をいつ全うするかではなく、今のような時点でも、その生を最大限最良に生きるということです。

それに考えたら、このことは皆にとって、励みであるし、楽しみすらある、のではないでしょうか?
さもなければ、神が、彼を心から補佐してくれる大変に良い医師と出会わせて下さったでしょうか?

丁度3日前に、癌患者達についての新聞記事を読んだばかりでした。
その人達は、病院医療と薬物治療から脱け出し、食生活を変え、日々の生活を自分に合った、ストレスを減らした生活にした結果、
癌細胞が小さくなった、という記事です。

今、オショチさんはこの癒しの道筋にいるのではないでしょうか。
そうであることを、神のお望みであることを、祷ります。

さて、私と家族のことですが、神のお恵みにより、特に大事はなく、無事に過ごせております。いつもお祷りの中に覚えていて下さり、有り難うございます。
ただ正直なところ、祖国と此所とを自由に往き来しているだけのことだったら、と、どれほど願うことがあるか。それだけのことですが。

しかし現実は、それだけではすみません。
私の安全や牧師の務めの問題だけではなく、私の人生のひとこまとしての意義も含まれていますから。

家族と離れて、今日の時点で、4年3ヶ月2日になります。その間に米国のシステムに、特に移民手続きに関することにずっと関わってきています。中断するわけにはいきません。

一方、妻や家族に会ったり、支えてやったりが出来ていないのです。しかし、我々を強めてくださるお方のお陰で、我々家族は皆何とかやれている、と言えます。

私を始め教会の者達、そして家族は、皆様のことを取り分けオショチさんのことを祷り続けます。

神の御祝福が皆様の上に豊かにありますように

エリ、プレシー、そして子供たち


Dear Kazuko-san and my Ainoki family,

Thank you very much for updating me of Oshochi-san's current struggle. I seem having vivid imagination of critical and excruciatingly alarming condition Oshochi-san has been going through the way you describe it. But it feels we have a good sign of hope that he positively reacts to the adjusted process of his theraphy now.

He is fighting his disease out now in the great "attitude of activism" as he stepped back from intensive hospital and heavily drug-dependent medication. Because he loves everything about himself and so he is very passionately engaged in squarely facing his own vulnerability and recuperability. So he seems activating his own immunity system in his body. He does it now at Ainoki home as you surround and sustain him with your unyielding love and caring. He may or may not outlive his term but more important is he lives his life to its full even at this point. But look, was it not encouraging and amusing also that you found, or was he given by the act of God, a very good doctor who is willing to assist him?

I was just reading from the newspaper here three days ago about cancer patients at some point have had regression from cancer cells when they got out of the hospital and drug-driven treatment and resorted to basic change of dietary, attitudinal and less stressful life style. I could not remember it in technical terms. But the point is Oshochi-san may now be going through that means of healing. And, I pray that may it be so, God willing.

As of my situation at the moment and of my family, we are surviving and doing well in God's grace. Nothing much to worry about me and my family. Thank you for continually holding us in your prayers. But admittedly at times how I wished that it was just a matter of whether I would stay on here or I will go back home. That's it. But the reality is it is more than that. Since it involves not only my security and ministry but also the meaning of this episode of my life.

I have been away from my family for four years and three months and two days at this point, And I have gone myself into the system in the US particularly in going through the immigration process. As far as I am concerned I don't like to abort it while on course. However, I would neither like to be remiss in seeing my wife and family and in supporting them. But I or we as family can do all things through him who strengthens us, this I can still say so.

I and our members here and my family will continue praying for you, Kazuko-san, especially Oschochi-san and the rest of Ainoki family. May God richly bless all of you.

Blessings,

Eli and Precy and children

2014-09-16

聖書物語

創世記

−ヨセフのしあわせ−

このときヨセフは、三十歳でした。ヨセフは王のもとをはなれ、エジプトのくにじゅうを見てまわりました。七年の豊作のあいだ、地には作物がたくさんできました。ヨセフは、この七年のあいだに、穀物をたくさん集め、ためておきました。それはとてもたくさんで、はかることができないほどでした。

ヨセフと、妻アセナテとのあいだに、マナセとエフライムのふたりの息子が生まれました。兄マナセの名まえは、 「わたしの苦しみと、わたしの父の家のすべてのことを、わすれさせてくださったから」といういみです。

また、エフライムというのは、「神が、わたしをなやみの地で、りっぱなものにしてくださったから」といういみです。

こうして、エジプトの地に豊作の七年がおわり、ヨセフの言ったとおり、不作の七年がはじまりました。どこのくにもみんな、ききんにおそわれましたが、エジプトだけには、たべものがありました。

そのうちに、エジプトにも、たべものがなくなったとき、人びとは、王にパンをくださいと、たのみました。すると王は、「ヨセフのところへ行くように」と言いました。

ききんは、世界じゅうにひろがりましたので、ヨセフは、穀物をいれた倉庫をみんなひらいて、エジプト人にたべものを売ってやりました。

また、このききんは、ほかのくにでは、もっとひどかったので、ほかのくにからも、たべものを買いにくる人が、たくさんありました。

(つづく)

血液検査結果

血液検査のご結果をどうもありがとうございました。慈恵医大でおしょち様が肝臓ガンを見落とされたのは信じられませんでした。しかし中井の病院での血液検査の結果を教えてくださり、諦めないかぎり道はあると思いました。私もおしょち様のようにメンタルタフネスになりたいと思います。それから砂糖はなるべくとらないようにしようと思います。おしょち様〓がお元気になられますように〓〓

みどり〓

2014-09-14

シラ書 43

【主の栄光】
澄み渡る大空はなんと高く壮大であることか。
天の姿はなんと栄光に満ちていることか。
太陽は現れ、燦然と昇り行き、宣言する。
いと高き方の御業はなんと驚嘆すべきものかと。
真昼になると太陽は大地を干上がらせる。
だれがその灼熱に耐えられよう。
かまどの火を吹く人は、灼熱の中で働くが、
太陽はその三倍の熱で山々を焦がす。
火のような熱気を吹き出し、
照り輝く光線は目をくらます。
太陽を造られた主は偉大な方。
主の命令によってそれは決められた道を急ぐ。
月も定まった時に現れ、
季節を分け、いつまでも時を示し続ける。
月によって祝祭日は定められる。
月の光は周期の終わりに弱まっていく。
月々の名前は、空のこの月によって付けられ、
月は驚くばかりに形を変え、満ちていく。
それは天の軍勢の合図の光、
天の大空にあって照り輝く。
光り輝く星は、夜空の美しい装い。
主の高き所できらめく飾り。
聖なる方の命令で、星は定められた場所につき、
見張りの務めを決して怠ることはない。
虹を見て、その造り主をほめたたえよ。
その輝く様はひときわ美しい。
それは天に栄光の弧を描く。
これはいと高き方の手が引き絞ったもの。
主は命令を下して吹雪を起こし、
主の裁きを行う稲妻を走らせる。
そこで、倉は開かれ、
雲は鳥のように飛び立って行く。
主は大いなる力をもって雲を固め、
粉々に砕いて雹にされる。
雷鳴のとどろきに大地はもだえ苦しみ、
主が現れると山々は震い動く。
主が望まれると南風が吹き、
つむじ風と北風が吹き荒れる。
舞い降りる鳥のように、主は雪をまき散らされ、
その落ちる様は飛び交ういなごの群れのようだ。
目はその美しい白さに驚き怪しみ、
心はその降りしきる様に恍惚となる。
主は塩のように霜を地上にまかれる。
それは凍って、鋭いとげのある花のようになる。
寒い北風が吹くと、
水の面は固い氷となる。
水のある所どこにでも吹きつければ、
水はあたかも胸当てを着けたようになる。
北風は山々を食い尽くし、荒れ野を焼き払い、
火のように若草を枯らしてしまう。
しかし、雨雲はすべてを速やかにいやし、
露は熱風を追い散らし、気分をさわやかにする。
主はその計らいによって地下の大海を静め、
島々をその中に据えられた。
海を旅する者たちは、海の危険について語り、
我々はそれを聞いて驚く。
そこには、不思議な驚くべき主の御業がある。
あらゆる種類の生き物や海の怪物がいる。
主の使いは、主の力によって務めを果たし、
主の言葉によって万物は秩序立てられている。
いかに多くを語っても、決して語り尽くせない。
「主はすべてだ。」このひと言に尽きる。
主の栄光をたたえる力をどこに見いだせよう。
主は御自分のすべての御業にまさって偉大だから。
主は恐るべき方、極めて偉大な方。
その力は驚嘆すべきもの。
主の栄光をたたえ、力を尽くして主をあがめよ。
主はなお、あらゆる賛美にまさる方。
全力を傾けて主をあがめよ。
うむことなく賛美せよ。
これで十分だということはないのだから。
だれが主を見たか、だれが主を語りえようか。
だれがふさわしく主をたたええようか。
以上のことよりまだ多くの偉大な秘義がある。
我々は、御業のほんの一部を見たにすぎない。
主は万物を創造し、
信仰深い人に知恵を与えられた。

(シラ書43章1〜33節)

2014-09-10

聖書物語

創世記

−王、ヨセフに夢をつげる−

王は、二つの夢をヨセフに話しました。それを聞いたヨセフは言いました。

「その二つの夢は、同じことをあらわしています。神がこれからなさろうとすることを、王さまにおしめしになっているのです。

七頭のりっぱな牛と、みのった七本の穂は、七年の豊作です。そのあとにつづいた七頭のやせた牛と、かれた七つの穂は、七年のききんのことです。

わたしが王さまに申しあげたいことは、こうです。神さまは、エジプトじゅうに七年の大豊作と、つづいて七年の大ききんとをもたらすでしょう。そのききんは、とてもひどくて、いままで豊作の年があったなどとは、だれも思いだせないほど、たいへんなものです。

二度もおなじ夢をごらんになったということは、神さまがこのことを、はっきりとおきめになっているのだと思います。

ですから、王さまは、いまから、かしこくて考えぶかい人をさがしだして、その人にエジプトをおさめてもらうようになさい。そして王さまは、その人に役人をえらばせて、豊作の七年のうちにできた作物の五分の一を集め、町々にたくわえて、あとのききんにそなえなさい。そうすれば、この国がききんでほろびることはないでしょう。」

王も家臣たちも、すばらしい計画だと思いました。

「わたしたちは、この人のように神の霊にみちた人を、ほかにみつけることはできまい。この大役には、この人こそ、いちばんふさわしい」と、だれもが考えました。

−王、ヨセフにむくいる−

それから王は、ヨセフに言いました。

「あなたのようにかしこく、考えぶかいかたは、ほかにはいません。どうかこのくにを治めてください。わたしのけらいも、みんなあなたのことばにしたがうでしょう。わたしは、王の位でだけ、あなたより上です。わたしは、あなたにエジプトじゅうを支配する権利をさずけましょう。」

王は、自分の手から指輪をはずして、ヨセフの手にはめました。そして、すばらしい亜麻布の服をきせ、首に金のくさりをかけ、王さま用の車にのせました。人びとはみんなヨセフの前にひざまずきました。

このようにして、ヨセフはエジプトじゅうでいちばん高い位にのぼり、王が「わたしは、あなたがいなくては、手足一本でもうごかすわけにはいきません」というほどになりました。

こうして王は、ヨセフにザフナテ・パネアというエジプト名をあたえ、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻としてあたえました。

(つづく)

2014-09-09

神と人間関係

‖神と人間と愛‖

私も時には独りきりになる必要もある。

正気を保つために、独りにならなければならない場合もある。

黙って考えをまとめ、自分を高めるための時間を持つべき場合もある。

だが人間に欠かせないもののうち、これだけは欠かせないもの、トップは、やはり人と人の繋がりだろう。
それは「愛」だ。


人間幸せに成るためには、どうして「愛」が欠かせない。
人間とはそういう生き物だ。 わたしたちは生まれながらにして社会的な動物だと言うことになる。

その証拠は人類の歴史の始まりから与えられている。

創世記を信じるにせよ、信じないにせよ、そこに記述されている大事な点の一つは、神が最初の女イブを造ったのは最初の男が孤独だったから、と言うことだ。神はアダムを独りにしておけなかったのだ。

神は自分に似せて人を創造した。
わたしたちキリスト教徒にとっては、聖書、
説教でおなじみのことだが神は「父とみ子と聖霊が一つになった存在である」 これは「三位一体の玄義」 と呼ばれている。 神ご自身が→「社会的な存在であることにお気遣き」 だと思う。 神はただ一つの実体からなっている。それでもなお三つの品格を備えている。

中井の教会施設で、寿命に逆らえないが、残された余命を楽しんだ今日の心の日記でした。

皆様良い夢路に向かってください〓目覚めが祝福で満たされますように〓

愛の樹オショチ†

2014-09-06

シラ書 42

耳にしたことをそのまま口にしたり、
秘密を漏らしたりすることを恥じよ。
そうすれば、真に恥を知る者となり、
人望を集めるであろう。

【恥じる必要のない事柄】
しかし、以下の事柄は恥じる必要がない。
他人の思惑を気にして罪を犯してはならない。
いと高き方の律法と契約、
不信仰な者への正しい裁きを恥じるな。
仕事仲間や旅の道連れと勘定を清算すること、
他の相続人と遺産を分け合うことを恥じるな。
秤と分銅とが正確なこと、
収益高の多いこと、少ないこと、
商売をして得た利益を恥じるな。
子供を厳しくしつけること、
悪い召し使いのわき腹を血が出るほどに
打ちたたくことを恥じるな。
妻が信用できないときは物に封をするのが良い。
人の出入りが多い所では物に鍵をかけよ。
物を預ける場合には、数と重さを確認し、
収支はすべて書き留めておけ。
物分かりの悪い者や愚かな者、
みだらなふるまいをする年寄りを、
たしなめることを恥じるな。
そして、お前は真に教訓を身につけた者となれ。
そうすれば、すべての人から称賛を得るであろう。

【父親と娘】
娘は父親にとって、人知れぬ不眠のもと。
娘への心配で彼は夜も眠れない。
若いときには、婚期を逃しはしないか、
結婚すればしたで、夫に嫌われはしないかと。
またおとめのときには、父の家にいるうちに
辱めを受けて、子供を宿しはしないかと。
夫を持てば持ったで、過ちを犯しはしないか、
結婚してからは、子ができないのではないかと。
わがままな娘には厳しい監督が必要だ。
さもないと、お前は敵の笑いものになり、
町中のうわさの種、野次馬の群がるもととなり、
公衆の面前で恥をかくことになる。

【女に気をつけよ】
どんな人の美貌にも見とれてはならない。
また、女たちの間に座を占めるな。
衣類からしみ虫が出て来るように、
女からは女の邪悪も出て来る。
男の悪行は、女の善行よりましだ。
女は恥知らずで不名誉をもたらす。

【主の業】
わたしは今、主の業を思い浮かべ、
わたしの見たことを詳しく語ろう。
主の言葉によって御業は成り、
〔御旨のままに定めが実現した。〕
光り輝く太陽は万物に目を注ぎ、
主の業はその栄光に満ちている。
主はすべての驚くべき御業を語ることを、
天使たちにさえお許しにならなかった。
全能の主は、万物を揺るぎなく据えられた。
万物を主の栄光で満たし固められた。
主は地下の海も人の心も究め尽くし、
その見事な仕組みを知り尽くしておられる。
いと高き方はすべてのことに精通し、
時の徴に目を留められる。
主は、過去と未来を告げ知らせ、
隠されたものの形跡を明るみに出される。
いかなる思いも、主は見逃さず、
一言半句も主は聞き逃されない。
主は、御自分の知恵による壮大な業を秩序立て、
永遠から永遠にわたって変わらぬ方であられる。
主には、付け加えるものも取り去るものもなく
主はいかなる助言者も必要とされない。
主のすべての業はなんと見事なものであろうか。
目に映る小さな火花に至るまで。
これらすべてのものは永遠に活動を続け、
すべての必要を満たし、すべてに応じる。
すべてのものは対をなし、一方は他に対応する。
主は不完全なものを何一つ造られなかった。
一方は他の長所を更に強める。
だれが主の栄光を見て飽き足りたといえようか。

(シラ書42章1〜25節)

2014-09-03

聖書物語

創世記

【王の夢】

まる二年がたちました。ある晩、王は夢を見ました。夢のなかで、王が川のそばに立っていますと、七頭のすばらしくこえた雌牛がナイル川からあがってきて、野原で草をたべていました。するとこんどは、七頭のやせて骨ばかりの雌牛が川からあがってきて、川岸にいたこえた雌牛を、七頭ともみんなたべてしまいました。ここで王は、ふと目がさめたのです。

またうとうとすると、こんどは、こんな夢を見ました。夢のなかでは、七つの麦の穂が一本の茎からはえておりました。この穂は、ちょっと見ただけでも強く、りっぱでした。ところが、そのあとから、ひょろひょろした、いまにもかれそうな七つの穂があらわれて、あの強くみのった穂を、みんなのみこんでしまいました。王は目をさまして、これが夢だったことを知りましたが、しんぱいで胸がどきどきしました。

つぎの朝、エジプトじゅうの賢者や魔術師をよびよせて夢の話をしましたが、それをときあかすものは、ひとりもありませんでした。

するとそのとき、あの給仕人がヨセフのことを思いだし、王に言いました。

「ああ、わたしは悪いことをしていました。まえに、わたしたちは、王さまの怒りにふれて、親衛隊長の家の牢にいれられたことがあります。そのとき、わたしと料理人は、めいめいちがった夢を見ました。しんぱいしていると、親衛隊長の召使の若いヘブル人が、その夢をといてくれたのです。そして、その男の言ったとおり、わたしは、もとの地位にもどり、料理人は、しばり首になりました。」

それを聞いた王は、いそいでヨセフをよびにやり、地下牢からつれだしました。ヨセフはひげをそり、きものをきかえて王の前にでました。

王はヨセフに言いました。「わたしは、ふしぎな夢を見た。それをとくものがいないのだが、おまえはそれができるらしい。ひとつやってみてくれないか。」

ヨセフは王に、「それは、わたしの力でできることではありません。神が王に答えをだされるのです」と答えました。

(つづく)

2014-08-29

シラ書41

【死】
死よ、お前のことを思うのは、
なんと苦痛に満ちたことか、
裕福で平穏無事に暮らしている者にとって、
また、心を悩まさず、すべてがうまくいき、
まだ楽しみを味わえる力を持つ者にとっては。
死よ、お前の宣告はなんとありがたいことか、
生活に困り、力衰えた者にとって、
また、老け込んで、あらゆることに心を悩まし、
頑固になり、忍耐を失った者にとっては。
死の宣告を恐れるな。
先に死んだ人と、後から来る人のことを考えよ。
この宣告は生あるものすべてに主から下される。
なぜお前は、いと高き方の御旨に逆らうのか。
お前が十年、百年、または千年生きたとしても、
陰府では、寿命の長さは問題とされない。

【不信仰な者】
罪人の子らは忌み嫌われる。
彼らは不信仰な者の巣窟で育てられる。
罪人の子らは財産をつぶし、
その子孫は絶えず非難を被る。
不信仰な父親を、その子らは責める。
父親のせいで彼らが非難されるから。
不信仰な者たちよ、お前たちは禍いだ。
いと高き方の律法を捨てたからだ。
〔お前たちの子孫が増えるのは、滅びるため、〕
お前たちが生まれたのは、呪われるため、
お前たちが死ぬのは、呪いを受けるためなのだ。
土から出たものは、みな土に帰るように、
不信仰な者たちは、呪いから滅びへと至る。

【名前】
人は、肉体の死を嘆き悲しむが、
罪人たちの名は悪しきものとして抹殺される。
名を重んじよ。それは後々まで残り、
金の詰まった幾千の大きな宝箱にもまさる。
幸せな日々には限りがある。
しかし、名は永久に残る。
子らよ、穏やかな心で教訓を守れ。
隠された知恵と埋もれた宝、
それが何の役に立つのか。
自分の知恵を隠す人よりは、
自分の愚かさを隠す人の方がましだ。
それゆえ、わたしの忠告に従え。
いつも卑下すればよいというものではない。
皆がすべてのことを善意で受け取るとは
かぎらないからだ。

【恥ずべき事柄】
みだらなふるまいを、父や母の前で、
偽りを、支配者や王侯の前で恥じよ。
犯罪を、裁判官や行政官の前で、
不法を、会衆や民の前で、
不正を仲間や友人の前で恥じよ。
盗みを、近所の人々の前で恥じよ。
神の真理と契約の前で恥じよ。
食卓にひじをつくような行儀の悪さ、
物をもらったり、与えたりするときの
無礼な態度を恥じよ。
挨拶されたのに知らぬ顔をすること、
娼婦にみだらな目を向けることを恥じよ。
身内の頼みを拒絶すること、
他人の取り分、他人に渡す分を着服すること、
人妻に言い寄ることを恥じよ。
他人の召し使いに手を出すことを恥じよ。
彼女の寝床に近寄ってはならない。
友人に非難の言葉を浴びせることを恥じよ。
施しをした後で小言を言ってはならない。

(シラ書41章1〜22節)

2014-08-27

聖書物語

創世記

−二つの夢−

その後、エジプト王の給仕人と料理人が、エジプト王の怒りにふれて、ヨセフのいる牢にいれられました。親衛隊長は、ふたりをヨセフにひきわたし、ふたりのせわは、ヨセフがすることになりました。

ある晩、王の給仕人と料理人は夢を見ました。朝になってヨセフがふたりにあうと、ふたりとも、悲しそうにしておりました。ふしぎに思ったヨセフは、「きょうは、どうしてそんな悲しそうな顔をしてるのですか」とたずねました。

「夢を見たのですが、だれもその夢をといてくれません」と、ふたりは答えました。

「夢をとくのは神です。わたしにその夢の話をしてください」とヨセフは言いました。

そこで給仕人は、自分の見た夢を話しました。

「夢のなかでは、ブドウの木が一本はえていました。そのブドウの木には三本の枝がでていました。ちょうど芽をだし、花がさき、ブドウのふさが熟したように見えました。

そのとき、わたしは王のさかずきを持っていましたので、ブドウをもぎとってそのさかずきにしぼり、王にささげました。」

ヨセフはその男に言いました。

「あなたの夢のときあかしはこうです。三本の枝とは、三日のことです。三日ののち、王は、あなたをゆるして、またもとの役目につかせてくださるでしょう。そしてあなたは、前とおなじように、その手でさかずきをささげることでしょう。

あなたがしあわせになられましたら、どうか、わたしのことも思いだしてください。わたしのことを王さまに話して、ここから出られるようにしてください。じつは、わたしはヘブル人で、さらわれてここにきたのです。ここで、いっしょうけんめいはたらきました。この地下牢にいれられるようなことは、何もしておりません。」

−料理人の夢−

料理人は、給仕人の見た夢のときあかしがよかったので、ヨセフに言いました。

「わたしも夢を見たのです。わたしは、白パンのはいった三つのかごを、頭にのせていました。いちばん上のかごには、王さまにさしあげるために料理された、いろいろなごちそうが、はいっていました。ところが、どこらか鳥がとんできて、このごちそうを、みんなたべてしまったのです。」

ヨセフはこれに答えて、「あなたの夢のときあかしはこうです。三つのかごは三日のことです。三日のうちに王さまがあなたをおよびになって、木にかけて、しばり首にするでしょう。そして、鳥があなたの肉を食べられなかったり、しまうでしょう」と言いました。

三日めは、ちょうど王の誕生日でした。王は、家臣をみんな集めて、お祝いの会をひらきました。給仕人も料理人もよびよせました。給仕人はもとの職について、前のように王のためにさかずきをささげましたが、いっぼう料理人のほうは、しばり首にされました。ヨセフの言ったとおりになったのです。

しかし、給仕人はヨセフのことを、すっかりわすれてしまいました。

(つづく)

2014-08-24

シラ書40

【人間に共通する惨めさ】
つらい労苦は、人間だれしも避けられないもの。
重い軛がアダムの子孫にのしかかっている。
母の胎を出た日から、
万物の母なる大地のもとへと戻るその日まで。
人の悩みや心の恐れは
死の日を思っての不安。
華麗な王座に座している者から、
塵と灰の中にはいつくばっている者に至るまで、
紫色の衣装をまとい、王冠をいただく者から、
粗布にくるまった者に至るまで、
怒りとねたみ、困惑と動揺、
死の恐れ、憤り、それに争いが付き物だ。
床の中で憩うときも、
夜眠るときも、それらは人の思いをかき乱す。
休息はあってもなきに等しく、
たとえ寝ても、昼間のように疲れ果て、
戦いを前にして逃げ出した兵士のように、
悪夢にうなされる。
捕まったと思った途端に目が覚め、
何も怖がることはなかったのに、といぶかる。
人間から動物に至るまで、生あるものはすべて、
——罪人は更に七倍受けるのだが——
死と流血、争いと剣、
災難と飢饉、破滅と鞭打ちとを受ける。
これらはみな不法な者たちのために用意された。
あの洪水が起こったのも彼らのせいである。
土から出たものはすべて土に帰り、
水から出たものはすべて海に戻る。

【悪のもたらす結果】
わいろと不正はすべてぬぐい去られ、
信実な行為は永遠に続く。
不正な者が得た富は、渓流のように干上がり、
雨の中でとどろく雷鳴のように消えていく。
施しをする人は喜びに満たされ、
掟に背く者は滅びに終わる。
不信仰な者のひこばえは若枝を増やさず、
その汚れた根は切り立つ岩にしがみついている。
あらゆる水辺や川岸の葦は、
どんな草よりも先に引き抜かれる。
しかし慈しみは、祝福に満ちた楽園のようなもの。
施しは永遠に残る。

【いずれにもまさるもの】自立した生活も、雇われの生活も楽しい。
だが、いずれにもまさるのは、宝を見つけること。
子をもうけても、町を築いても、名声を高める。
だが、いずれにもまさるのは、
非のうちどころのない妻である。
酒も音楽も心を陽気にさせる。
だが、いずれにもまさるのは、知恵を愛すること。
笛も竪琴も快い調べを奏でる。
だが、いずれにもまさるのは、楽しい会話。
愛らしさや美しさを、人の目は慕い焦がれる。
だが、いずれにもまさるのは、野に生える若草。
友人や仲間との出会いはいつも楽しい。
だが、いずれにもまさるのは、
妻が夫と共にいることである。
兄弟や援助者は、不幸の時に頼るもの、
だが、いずれにもまさる助けは、施しである。
金も銀も人の足もとを固めてくれる。
だが、いずれにもまさる支えは、良い助言である。
富と力は、人の心を自信にあふれさせる。
だが、いずれにもまさるのは、主を畏れること。
主への畏れがあれば、何物にも事欠かず、
ほかに助けを求める必要はない。
主を畏れることは、祝福された楽園のようだ。
どんな栄誉にもまさって、その人を覆い守る。

【物乞い】
子よ、物乞いをして一生を送るな。
そうするくらいなら、死んだ方がましである。
他人の食卓をもの欲しげに眺める者、
その生き方はまことの人生とは言い難い。
人の食べ物で暮らすなら、彼の性根は腐れきる。
良識と教養を備えた人は、
そのような生き方を避ける。
破廉恥な者は、物乞いの気楽さを口にするが、
やがて、その腹の中で滅びの火が燃えるのだ。

(シラ書40章1〜30節)

2014-08-21

お陰様で!

みどりさんこんばんは☆彡

キリスト様の霊界は
完全された世界です。
肉体を脱ぎ捨ててから与えられる、霊体は全てが、
自由で肉体から解放された世界。霊魂に最高のエクスタシーが与えられます!


移動は瞬間に行きたい場所に行けます〓


ほんの一例に過ぎません〓

「神の創造された世界では わたしたちは学ぶ機会を無限に得る事が可能です。

ジエームズ・ヒルトンの「失われた地平線」の中でのシャングリラ→理想郷に暮らす、不老不死に暮らす人々は何世紀も掛けて外国語を学んだり、新しい趣味をマスターしたり、未知の学問を身に付けたり自由を謳歌しています。」
天国もそれと同じように考えてみたらと思います†

新たな発見は素晴らしい体験です!
「アンソニー・デステフアーノ」

お休みなさい☆彡

愛の樹オショチ†

お陰様で!

おはようございます。 先生は、いつでも、必ず、自分の道を、信じた道を歩み始める。ご自分の今ある自分と、これからであうだろう自分を悟られる強い意志が、毎日不安な気持ちで、おびえていた私に、気持ちをたちなおしていただきました。感謝です!ご自愛ください。ありがとうございます。ヾ(^▽^)ノ
恵子

お陰様で!

お陰様で!

"目の前の一つ一つを越えて行く生きる力はあなたから"
(拙句)

えぇ-!そうなんです。 しみじみと暖かい
心に触れ、真心から滲み出る無心な笑顔に触れ癒されました。 医学から見放された肝臓癌末期、悪性リンパ腫の現状を見つめていると、いろいろ考えますが、この体験にも深い意味が隠されていると感じるようになりました。お陰様です!


生きていると言うことで、心の動きは重い肉体に縛られていましたが、解放された後の天国での生活は全く違うと今更、思い初めました。


この世では、一人の人間の中に善と悪が混在しています。 ちょっとしたことですぐ不機嫌になったり落ち込んり、怒りぽっくなったりして、まわりの人々を困らせしまう。

これが偽りのない姿だと、素直に受け止ました。

天国に移され霊体になった時、現世では、謎だらけの行動がどんな理由でそうなったのか?すべて神が明らかにしてくださると以前より強く感じます。


私は自分の弱さと、やっと向き合える心境になりました。

現世では汚れたガラスの窓越しにぼやけていたもやもやした感じでした。

自身の間にぼんやりした壁をいつの間にか築いていたのです。

そうなんです。身体が弱ったとき、気持ちの波や環境、過去の経験(若く健康的)に弱さが割り込んできました。
自分では十分見込んだものがこんなに脆いとは意外でした。祈っているとき、"傲慢不遜"の文字が浮かんできました。ハット胸の奥底を突かれました。

天国ではこれら全てが完全な物に変えられる確信が与えられました!今日一日の締めくくりの感謝の気持ちです〓

明日の感謝に向かって合掌いたします†

中井町ふるさとの家教会施設から。
フェイスブックの愛する皆様へ!
お休みなさい☆彡


愛の樹オショチ†

2014-08-19

お陰様で!

お陰様で!

"目の前の一つ一つを越えて行く生きる力はあなたから"
(拙句)

えぇ-!そうなんです。 しみじみと暖かい
心に触れ、真心から滲み出る無心な笑顔に触れ癒されました。 医学から見放された肝臓癌末期、悪性リンパ腫の現状を見つめていると、いろいろ考えますが、この体験にも深い意味が隠されていると感じるようになりました。お陰様です!


生きていると言うことで、心の動きは重い肉体に縛られていましたが、解放された後の天国での生活は全く違うと今更、思い初めました。


この世では、一人の人間の中に善と悪が混在しています。 ちょっとしたことですぐ不機嫌になったり落ち込んり、怒りぽっくなったりして、まわりの人々を困らせしまう。

これが偽りのない姿だと、素直に受け止ました。

天国に移され霊体になった時、現世では、謎だらけの行動がどんな理由でそうなったのか?すべて神が明らかにしてくださると以前より強く感じます。


私は自分の弱さと、やっと向き合える心境になりました。

現世では汚れたガラスの窓越しにぼやけていたもやもやした感じでした。

自身の間にぼんやりした壁をいつの間にか築いていたのです。

そうなんです。身体が弱ったとき、気持ちの波や環境、過去の経験(若く健康的)に弱さが割り込んできました。
自分では十分見込んだものがこんなに脆いとは意外でした。祈っているとき、"傲慢不遜"の文字が浮かんできました。ハット胸の奥底を突かれました。

天国ではこれら全てが完全な物に変えられる確信が与えられました!今日一日の締めくくりの感謝の気持ちです〓

明日の感謝に向かって合掌いたします†

中井町ふるさとの家教会施設から。
フェイスブックの愛する皆様へ!
お休みなさい☆彡


愛の樹オショチ†

2014-08-15

聖書物語

創世記

【エジプトのヨセフ】

ヨセフはエジプトにつれてゆかれ、エジプト王の役人で、親衛隊長のポテパルという人に買いとられました。

神がヨセフといっしょにおられたので、ヨセフは、その家のみんなにかわいがられていました。ヨセフの主人も、神がヨセフとともにおられ、そのすることが、なんでもうまくいくのを見て、ヨセフをたいへんかわいがり、家をとりしまる役につけて、ぜんぶの財産をヨセフに管理させました。

神はヨセフのために、その主人の家もおめぐみになり、家や畑のものまで、おかげをこうむりました。それで主人は、ヨセフに財産ぜんぶをまかせ、自分の食べるもののほかにどんなものを持っているかさえも知らないほどでした。

さて、ヨセフは美しい若者でしたので、主人の妻はたいへんヨセフがすきになりました。しかしヨセフは、その愛をうけいれませんでした。

「ごらんください。ご主人さまは、家のなかに何があるかもごぞんじないほど、何でもわたしにまかせてくださっています。この家で、わたしよりえらいものはないほどに、わたしをひきあげてくださいました。ご主人は、あなたのほかは、何でも、わたしのすきなようにさせてくださいます。なにしろ、あなたはご主人のおくさまです。こんなにわたしを信じてくださっているのに、どうしてあなたを愛することができましょう。罪をおかして、神にそむくことはできません」と言いました。

すると、その女は夫のところへ行って、「あなたがつれてこられたヘブル人の召使が、わたしにいたずらしようとしました。大声でさけびましたら、にげだしましたけど」と、ヨセフの悪口を言いました。

主人は妻のことばを聞いておこり、ヨセフをとらえて、囚人たちのつながれている牢にとじこめました。

しかし、神はやはりヨセフとともにおられ、おめぐみくださったので、牢の番人は、ヨセフにしんせつにしてくれました。そしてヨセフに牢の囚人たちをまかせ、監督させました。

牢番は、神がヨセフといっしょにおり、ヨセフのすることは何でも栄えたからです。

(つづく)

2014-08-13

シラ書

彼はいにしえのすべての人の知恵を詳しく調べ、
預言の書の研究にいそしみ、
高名な人々の話を心に留め、
たとえ話の複雑な道へと分け入り、
格言の隠れた意味を詳しく調べ、
たとえ話のなぞをじっくり考える。
彼は身分の高い人々に仕え、
為政者たちの前にも出入りする。
見知らぬ人々の国を
旅し、
人間の持つ、善い面、悪い面を体験する。
彼は早起きして、
自分を造られた主に向かうように心がけ、
いと高き方にひたす
ら願う。
声を出して祈り、
罪の赦しをひたすら願う。偉大なる主の御心ならば、
彼は悟りの霊に満たされる。
彼は知恵の言葉を注ぎ出し、
祈りをもって主を賛美する。
彼は正しい判断と知識を身につけ、
主の奥義を思い巡らす。
彼は学んだ教訓を輝かし、
主の契約の律法を誇りとする。
多くの人々は彼の悟りを褒めそやし、
彼は永遠に忘れ去られることはない。
彼についての記憶は消え去らず、
その名は代々に生きる。
諸国民は彼の知恵を語り、
集会は彼の誉れを告げる。長生きすれば、千人にまさる名を残し、
たとえ早く死んでも満たされる。

【主とその御業への賛美】
思いを巡らし、更に語ろう。
わたしの心は、満月のように満ちている。
わたしの語ることを聞け、敬虔な子らよ、
流れのほとりに育つばらのように、若枝を出せ。
乳香のように香りを放ち、
ゆりのように花を咲かせ、
声をあげて、共に賛美の歌をうたえ。
すべての御業のゆえに主をほめたたえよ。
主の御名をあがめ、ひれ伏せ。
賛美の声をあげ、竪琴を弾き、
主を大いにほめたたえよ。
賛美して、こう言おう。
「主の御業は、すべてすばらしく、
命じられたすべてのことは、
時が来れば実現する。」
軽々しく、こう言ってはならない。
「これは何か」「これは何のためか」と。
いずれの問いにも時が来れば答えが与えられる。
御言葉によって水は盛り上がり、
その口から出る言葉によって水はためられた。
主が命じられると、すべて御心のままに実現し、
その救いの力を弱める者はだれもいない。
すべての人の業は主の前にあり、
主の目から逃れるものは何もない。
主は永遠から永遠まで目を注がれ、
主にとって驚くべきものは何もない
軽々しく、こう言ってはならない。
「これは何か」「これは何のためか」と。
それぞれ目的があって造られたのだから。
主の祝福は川のようにあふれ、
乾いた大地を洪水のように潤す。
真水を塩水に変えたように、
主の怒りは諸国の民の遺産となる。
主の道は敬虔な人たちには平らであり、
不法の者たちにはつまずきとなる。
良いものは、初めから良い人々のために造られ、
悪いものは、罪人たちのために造られた。
人間が生きていくうえで何よりも必要なものは、
水と火、鉄と塩、
小麦粉、牛乳、蜂蜜、
ぶどうの汁、オリーブ油、それに衣類。
これらすべては、信仰深い人には良いもの、
罪人たちには悪いものとなる。
刑罰の道具として造られた風がある。
それらの風は怒りを発し、その鞭を激しく振る。
終末の時に、その力を存分に発揮し
造り主の怒りを静める。
火と雹、飢饉と死、
これらすべては刑罰のために造られた。
きばをむき出す野獣、さそり、蝮、
不信仰な者たちを滅ぼす罰の剣。
彼らは主の命令に喜んで服従し、
いざという時のため、地上で待ち構えており、
時が来ると、命令に背くことはない。
わたしは初めから、以上のことを確信し、
思い巡らした後、こう書き残した。
「主の御業はすべて良く、時が来れば、
主は必要なことをすべて満たされる。」
「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。
どんなものも時が来ればその良さが証明される。
さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。
主の御名をほめたたえよ。

(シラ書39章1〜35節)

2014-08-08

聖書物語



 



創世記

−ヨセフ、穴のなかに投げこまれる−

こうして、ヨセフが兄たちのところへやってきたとき、兄たちはヨセフの着ていた色とりどりの美しい服をはぎとり、ヨセフをひきずっていって、穴のなかにほうりこみました。その穴には、水も何もありませんでした。

それからしばらくして、兄たちがパンをたべていますと、香料、香液、もつ薬をラクダにのせた隊商がやってきました。かれらは、ギレアデからエジプトに荷もつをはこんでいるイシマエル人でした。

それを見たユダが「弟を殺して血をかくしたってしかたない。それよりも、イシマエル人にヨセフを売りとばしたほうがいいじゃないか。なんといっても、ヨセフはわれわれの肉親なのだから」と言いますと、ほかのきょうだいたちも賛成しました。

そこでヨセフを穴からひきあげて、銀二十枚でイシマエル人に売りました。こうしてヨセフは、商人たちの手でエジプトにつれてゆかれたのです。

そのときそこに居あわさなかった兄ルベンは、もどってきて、穴がからっぽなのを知り、たいへん悲しみました。「あの子は穴のなかにいない。ああ、わたしはどこをさがしたらいいんだろう」と、きものをひきさいてなげきました。

きょうだいたちは、若いヤギを殺してヨセフのきものをその血にひたし、父に「お父さん、こんなものが見つかりましたよ。ヨセフのきものではないか、よく見てください」と言いました。

父はこれを見て、「これは、たしかにヨセフのきものだ。あの子は、けものに食い殺されたのか。すたずたにひきさかれてしまったのか」と、なげき悲しみ、あら布のもふくをきて、なんにちもなんにちも、息子の死んだことを悲しみました。

息子や娘たちが、父をなぐさめようとしましたが、ヤコブはききいれようとせず、「わたしは、死ぬまであの子の死をなげきかなしもう」と、いつまでもなきつづけました。

(つづく)