小さい群れでも本気になれば不可能も可能となる。
クリオン、マニラの愛の樹の兄弟姉妹の困難に少しずつ支援の手を差し伸べることも出来た。
どや街の兄弟姉妹にも!
また、愛の樹教会の大切な役目。ネット教会のホームページ制作に皆が心血を注ぎ、暗い世の中にささやかな灯火を掲げることが出来た。
神の御名が崇められ†愛と平和の世の新しい年の始まりを皆で祈ろう†
2009/12/31
愛の樹オショチ合掌
今年最後のオショチブログです。ご愛読を心から感謝し、新しい年がすばらしい年になりますようお祈りいたします。
先生、良い新年をお迎えください†
お体の具合はいかがですか?
主人が10月に見た夢です。
朝目覚めると、主人が牧師さんの夢を見たと言うのです。私の家族は宗教の信者ではありません。私がおしょちのことをよく家族に話すので、牧師さんの夢を見たのかもしれないと言って内容を話し出しました。
公園のベンチの前に、本が落ちていたので、拾ってベンチに座って読んでいると、本の持ち主である牧師さんが、横からそっと一緒に読んでいらっしゃるのに気が付いたそうです。私の本だから返してとおっしゃらないで横から読んでいらっしゃるその牧師さんはなんて善い人だろうと思ったそうです。きっとおしょちです。今はもう夢のことを覚えていないようです。OM
私は夢を見ました。OMさん
夢の中の私は年老いていて病気です。灰色の服を着ています。友達はいません。病気に苦しみ絶望しています。 目覚めて鏡を見ました。日々を惰性で生きている初老のぼんやりした女の顔がありました。
神様が見せてくださった夢だと思います。
貴重なメールをありがとうございました。
老、病について私が見た夢はとても鮮明でした。
しかし誰でもが背負う試練であれば私も乗り越えます。OM
追伸:写真はソビエトのトゥトゥノフの幼年時代・初雪 油彩画です。リサイクル店で見つけた1975年三越現代ソビエト絵画の本のな かの絵です。孤独感があるとは気づきませんでした。 自分にしっくりくる絵です。夢の意味楽しみにしています。 主人が牧師さんの夢を見ました。 聞いた内容からきっとおしょちです。
私は次のことを提案したい。
人が変わり、成長する可能性は、私たちが思う以上に大きい。老年は停滞の年代と思われがちだが、むしろ内面性が成長する時期である。老人は病人のように扱われるべきではないし、その隠退を社会の第一線から長く退いてしまった状態、とみてはならない。
老年期こそ、それまでに感得しそこねた高い価値、身につけられなかった洞察力、顧みなかった叡智を得させる時だ、と言ってもさしつかえない。
その時期は実に豊かな可能性をもった人格形成期である。長い人生で知らないうちに身についた愚行をやめ、生来の自己欺瞞の偽りを見抜き、人を理解し、思いやる心を深め、誠実な心の領域を広げ、公正さへの感覚を精錬することができるのだ。
年輪を重ねた人は、大局的に物事を見、失敗の経験を積んでいるから、偏見と既得権益への飽くなき執着心を捨てることができる。その時に、もはや仲間を自分の前に立ちはだかる競争者と見ることはないだろう。
老人のための大学が必要である。その教育の目標は、老人を忙しくさせておくことではなく、一瞬一瞬が偉大になるための好機である、と気づかせることにある。内面の純化は、少なくとも趣味や娯楽と同じくらい重要である。心の中から、憎しみ、恨み、嫉妬の残渣(ざんさ)を取り除くことは、だれもが闘うべき確かな目標である。
ほとんどの人は、老年を迎える準備を青年期の日々になすべきだ、ということを自覚していない。
老年のために霊的備えをせよ。それをいかに深めるかを学べ。これは若いときから心すべき命題である。昔から、老いた者ほど叡智があると言われてきたが、
まさしくそうだ。しかし、年齢は叡智の保証書ではない。格言にいわく、
「賢い老人は年をとるに従って賢くなる。粗野な老人は、年をとるに従って愚かになる。」
セミパラチンスク18年後の現実
旧ソビエト連邦最大の核実験場、カザフスタンのセミパラチンスク。実験場閉鎖からすでに18年が経過したが、放射能汚染の影響はより深刻化している。
原題:Silent Bombs; A Cruel Wind Blows
制作:2009年国際共同制作:NHK/4 Square Productions (カナダ)
カザフスタン北東部のセミパラチンスクで、1949年から1989年までに約500回の核実験が行われた。 1991年の実験場閉鎖か ら18年が経過したが、 今なお放射能汚染の影響は続いている。核実験は、 なぜセミパラチンスクで行われ、 周辺に住む人々の 暮らしや健康をどのように脅かしていったのか。
カナダの制作会社との国際共同制作によるこのドキュメンタリーは、実験場に隣接するサルジャール村、カイナール村を中心に、 放射能汚 染の実態を丹念に取材。村ではこの数年間、 さまざまな障害を持つ子どもの出生が続き、 10代の自殺が急増するなど、 世代を 超えたより深刻な被害が明らかになっている。番組では、 被爆による重い健康被害を抱える人々の怒りと叫びに向き合い、 核の恐怖と残酷 さを明らかにしていく。
さらに番組は、旧ソ連の原爆研究者や医師の証言をもとに、セミパラチンスクにおける核実験の歴史を辿る。 住民たちは核実験の事実を知 らされず、 健康被害が明らかになったあとも旧ソ連によって沈黙を余儀なくさ れた。実験場周辺では、 今なお正常値を大幅に超 える放射線が測定されており、 核の脅威はカザフスタンの人々の生活を静かに、 しかし確実に脅かしている。
セミパラチンスク核実験場
セミパラチンスク核実験場(Семипалатинский ядерный
полигон)は、旧ソビエト連邦の核実験場のひとつであった。カザフ共和国(現カザフスタン)の北東部、セメイの西方 150kmの草原地帯にあり、面積は約18,000km²(四国の面積にほぼ等しい)。
1949年から1989年の間に合計456回の核実験に使用された。施設は最初の核実験からちょうど42年目にあたる1991年8月29 日に正式に閉鎖された。
核の負の遺産(PA Perron)
概要
1947年にラヴレンチー・ベリヤによってこの場所が選ばれた。核実験の準備に伴い、実験場郊外に秘密都市セミパラチンスク-21(現在のクルチャトフ市)が建設され、関係者が集められた。
ソ連最初の核実験RDS-1は 1949年8月29日に行われた。実験を指揮した核物理学者のイーゴリ・クルチャトフは、後に、もし核実験が失敗したらスターリンの命により銃殺刑に処されることを覚悟していた、と述懐している。
その後、1953年8月12日の水爆装置実験RDS-6(核融合そのものは失敗)、1955年11月22日の初の水爆実験RDS- 37、核の平和利用実験(下記参照)などが行われた。なお、RDS-6の実験に当たっては、付近の住民のうち一部の成人男子を放射能汚染地域に滞在させた。これは人体実験だと見られている。またベトナムの枯れ葉剤のようにここでも奇形児が生まれ、ホルマリン漬けで保存されている。
その後放射能汚染による住民の健康被害が次第に広がり、地元の研究者たちによる調査が行われたものの、核実験を優先するソ連当局に黙殺され続けた。ソ連末期のグラスノスチにより実験の実態が明らかになると国際的な非難が高まり、1991年8月29日に実験場は正式に閉鎖された。
オショチ様
こんばんは。いつもお祈りいただいてどうもありがとうございます。ゲッセマネのキリスト様像はすばらしいと思いました。
今朝夢にオショチが出てきて下さいました。あちこち案内していただいているような不思議な夢でした。
おかげさまでこちら皆元気です。先だって子どもたちがインフルエンザA型になり、不覚にも一緒に私もかかってしまい、一時3人で寝ていました。幸い夫は大丈夫でした。子どもたちは熱が下がるとすぐぴんぴん元気になったので、夫に食事のことなどしてもらいました。私は2日間熱で寝込んでいました。もうすっかり元気です。
ご報告ですが、以前ご相談した虫垂ガンの友人は、11月半ばに腹膜播種の転移を除去する手術を受ける決意で入院しました。先週メールが来て、手術は成功して年内に帰れる予定とのことでした。たくさん祈ってくれてありがとうと書いてありました。
これから再発せずにリハビリが進むようがんばると気持ちは大変前向きでした。まだまだこれから多難かもしれませんけれど、ともかく一つの山を越えたようです。オショチにも祈っていただき、どうもありがとうございます。
いろいろオショチご自身が大変なときに、いつもお願いするばかりで恐縮です。ホームページもブログも毎日読ませていただいております。感謝です。
どうぞくれぐれもお大事なさって下さい。
とりいそぎご報告と御礼まで。
おしょち様、メールありがとうございます。聖日の御礼拝の許可良かったです。
でも、感染症には本当にお気をつけてくださいませ。
私のために祈ってくださいまして、ありがとうございます。
でも、そのためにおしょち様の具合が悪くなったらいけないです。
お送りいただいたキリスト様の彫像を見て、この苦悩は他人の重荷を代わりに背負ったためのものだ。
おしょち様を苦しめてはならないと思いました。
私は心が弱いので自分のなすべきことがわかっていても実践できません。
おしょち様や愛の会の方々の愛は本物で厳しさを感じます。
私の今の課題は、年老いた親のためになにをするかです。
思っているだけではいけないです。
寒いので暖かくお休みくださいませOM