生まれてこない命とは肉体を持たない霊体。
目に見えない世界は、目に見える世界よりも生命が無限に存在する。
形になり、現れたものはやがて朽ち果てる。
しかし、形にならない生命=無限のエネルギー体=霊体には朽ちない。
ある日、神のご意思によって選ばれた生命体(霊体)が肉体に宿る。
それが即ち生き物、人間となる。
彼はあらゆる可能性を秘めている。
しかも、神のご意思に添う、幸せをもたらす生命体である(弁霊→霊を見分けよ)。
私は、形をとらない生命体から啓示を受けた。
預言者エゼキエルは、人間の肉体と霊をはっきり峻別している。
主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。
彼はわたしに谷の周囲を行きめぐらせた。見よ、谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。
わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。
そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。わたしが見ていると、その上に筋ができ肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。
時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。(エゼキエル書第37章1~10節)
神がお与えになられた生命体。
人はそれを完全には理解出来ない。
エゼキエルの預言の言葉には不思議な力。
大いなる謎が秘められている。
全ては解き得ない。
60兆個に及ぶ細胞はそれぞれ神の意思と働き、目的を持つて存在する。
生まれざる形なき命は、私にこう述べた。
たとえ人の手によって残酷に取り扱われ、闇から闇に葬られた命であっても、神はそのすべてを知り、その命を生かし、育み給う。
神は見捨てられない。
必ず救われる。
その命の個性を粗末になされない!
骨の骨、筋の筋、皮の皮でしかない物体が、真の生き物となるためには、神に息吹かれ温かい血が通い全身を巡るとき、神の血の霊を吹き込まれて初めて人となる。
その命は全能者の真の意思によってのみ、生命を全うする。
死んだように見えて死んではいない。
生きているようで生きてはいない。
『見よ!神の峻厳を!』人間の常識では理解出来ない。
ここに神の超在界が存在する。
我々は神に従う。
無知に支配されたくはない。
新しい生命に息吹かれ、価値ある未来を創造し、全ての生き物が幸せになる世を構築しなければならない!
神よ、その使命を全うし、あなたの御心に叶う道えお導きください†
アーメン・ハレルヤ†
愛の樹オショチ†
愛の樹オショチ†
「エゼキエルのヴィジョン」
ウィリアム・ブレイク画
ウィリアム・ブレイク画
今ある自分自身も、これからの自分も、わからないことばかりだが、亡くなった父と兄と母の魂と、共に守られ、生きてゆけるのだと、いつも感謝して、限られた人生を、与えられた、肉体と、魂に感謝して、生きていきます。ヾ(^▽^)ノ
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