シラ書21:15〜28
身を持するに堅い人は、知恵ある言葉を聞くと、これを称賛し、更に言葉を添える。
放蕩に身を持ち崩す者はこれを聞くと嫌になり、
背後に投げ捨てて顧みない。
愚か者の解説を聞くことは、
重い荷物を背負った旅のようなもの、
聡明な人の唇から出る言葉は、人の心を喜ばせる。
集会では、分別ある人の意見が求められ、
人々は、彼の言葉を心の中でかみしめる。
愚か者にとって、知恵は、
崩れた家のように役立たず、
聡明でない者の知識は、
筋道の通らない話のようにずさんである。
頭の鈍い者にとって、教訓は足枷、
右手にかけられた手錠のようなものである。
愚か者は、大声で笑い、
賢い人は、笑っても、もの静かにほほ笑む。
分別ある人にとって、教訓は金の飾り、
右腕にはめる腕輪のようなものである。
愚か者は、すぐに家の中に入り込むが、
経験に富む人は、門前で遠慮深くたたずむ。
分別のない者は、戸口から家の中をのぞき込むが、
教養ある人は、外で立って待つ。
戸口で聞き耳を立てるのは、
教養のない人間のすること、
分別ある人は、それを耐え難い恥と考える。
他人の唇は、これらのことを語る。
しかし、分別ある人は、言葉を吟味する。
愚か者の心は口にあり、
知恵ある人の口は心にある。
不信仰な者がサタンを呪うのは、
自分自身を呪っているのだ。
告げ口をする者は、自分自身を汚し、
近所の人たちから憎まれる。
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