謹んで愛する病友のご召天†のご報告をさせて頂きます。
昨日(2010年7月3日(土)午前5時46分)、親しい病友、山室弘さんが町田市民病院前にて、召天されました。83歳でした。
町田市のクリニックで初めてお会いしてから、7年間のお付き合いでした。
同じ肝臓病でした。C型肝炎、主治医も松浦知和先生。
相性がよく、お互いに、患者待合室で、血液検査結果を見せ合ったりしたものです。
数値が違うと「なんだろうね?」、私の血液検査結果が芳しくないと、「あまり気にしないで!」と慰めてもくれました。優しい心の持ち主でした。
ある時、山室さんに肝臓癌が見つかり何度か入退院を繰り返していましたが、「もう癌治療はやめる!あの俳優、緒形拳さんの様に自然の成り行きに任せる」と、私に告げました。「市民病院の先生にもお話しされたのですか?」「はい!」淡々としていました。
それからぽつりと、シベリア抑留の体験談を語り始めたのです。以前、オショチブログに書きましたから、割愛させていただきますが、苦しい闘病生活にも弱音を吐かない腹の据わったお方でした。闘病生活の勇者でした。
しかし、共通の話題は死。
何時か?誰にでも必ず訪れる死にどう向きあうか?
愛する家族との悲痛な離別に際して、心が挫けたら?哀しみにうちひしがれたら?
避けられぬ、死に対する不安、心の在り方などが、話題の中心になりました。
「人間の予測を越えた、神のみ手に、成り行きに、そのまま、お任せするしかありません。まな板の鯉と同じです。弱さも、死への恐怖も、なにもかも。繕いようのないそのままの姿を曝け出すしか今は思い当たりません?」
「しかし最期は神様が、人体に仕込まれた?最後の救済措置の痛みを和らげられる。何かが働くはずです?苦しみは神のみ手で取り除かれると信じます†」
漠然とした訳のよくわからない話に、彼は素直にうなずいてくれました。「神様は必ず助けくださいます」
「私が不思議に思うことは、私にとっても、あなたはかけ替えのない、お方!それも、前世から、現世、来世まで、愛する兄弟として、存在したことです!私は、山室さんを心の底から愛しています。天国で再会しましょう」
−お別れ−
昨日、病院からご自宅に帰られた直後、玄関脇の客間に静かに横たわる、山室さんに対面しました。
国税庁の仕事を果たし、同じ九州男児として、初対面から親しみを感じた、人生の先輩は、日頃から身だしなみの良い紳士でした。
目の前に眠るが如く、手を組んで横たわるさまは、まるで生きているように見えました。
素敵なポロシャツにメガネを掛けていました。
額に手を当て、山室さんのおでこに、私のおでこを当てた時ですが、彼の体から不思議な命の鼓動が伝わって来ました。
身体は冷たいのですが、命の鼓動は絶えることはない!感動的でした。
娘さんとご近所の親しいお方が傍におられ、私の不思議な仕草をじっと見つめていました。
ご家族の同意が得られ、讃美歌主よみもとに近ずかんを、ハーモニカで2番まで吹奏しました。
吹奏が終わり、ふと!見ると涙が見えました。
2階の、彼の生活がびっしり詰まったお部屋に案内されました。角部屋のバルコニーに並んだ綺麗な花たち、山室さんが咲かせた綺麗な花です?目の下には、山室さんが手入れした庭が息づいていました。
部屋はきちんと整頓され、故人のお人柄が偲ばれ胸に熱いものが込み上げて来ました。生前、人を入れたことがない!と、話していました。
話しは変わりますが、クリニックのパーキングに車を停めるとき、両側のスペースは寸法を測ったように正確に停めてありました。毎回です!
何事も、誠実正確に、ご家族のご苦労も考えると様々な人生模様が目に浮かびます。
−感謝状−
茶色の封筒を渡されました。娘さんが山室さんの机から手紙の束を出して来ました。
中に入っていた2枚の便箋に、主治医の松浦先生。看護師の高橋さん。私の名前。3人に当てた感謝状でした。日付変更がしてありました。
後の1枚もほぼ同じ内容ですが
死んだ後の連絡の仕方、ありとあらゆる、こまごまとした、抜け落ちが無いように娘さんに遺言状を含めてしたためていたのです。
相性がよく、お互いに、患者待合室で、血液検査結果を見せ合ったりしたものです。
数値が違うと「なんだろうね?」、私の血液検査結果が芳しくないと、「あまり気にしないで!」と慰めてもくれました。優しい心の持ち主でした。
ある時、山室さんに肝臓癌が見つかり何度か入退院を繰り返していましたが、「もう癌治療はやめる!あの俳優、緒形拳さんの様に自然の成り行きに任せる」と、私に告げました。「市民病院の先生にもお話しされたのですか?」「はい!」淡々としていました。
それからぽつりと、シベリア抑留の体験談を語り始めたのです。以前、オショチブログに書きましたから、割愛させていただきますが、苦しい闘病生活にも弱音を吐かない腹の据わったお方でした。闘病生活の勇者でした。
しかし、共通の話題は死。
何時か?誰にでも必ず訪れる死にどう向きあうか?
愛する家族との悲痛な離別に際して、心が挫けたら?哀しみにうちひしがれたら?
避けられぬ、死に対する不安、心の在り方などが、話題の中心になりました。
「人間の予測を越えた、神のみ手に、成り行きに、そのまま、お任せするしかありません。まな板の鯉と同じです。弱さも、死への恐怖も、なにもかも。繕いようのないそのままの姿を曝け出すしか今は思い当たりません?」
「しかし最期は神様が、人体に仕込まれた?最後の救済措置の痛みを和らげられる。何かが働くはずです?苦しみは神のみ手で取り除かれると信じます†」
漠然とした訳のよくわからない話に、彼は素直にうなずいてくれました。「神様は必ず助けくださいます」
「私が不思議に思うことは、私にとっても、あなたはかけ替えのない、お方!それも、前世から、現世、来世まで、愛する兄弟として、存在したことです!私は、山室さんを心の底から愛しています。天国で再会しましょう」
−お別れ−
昨日、病院からご自宅に帰られた直後、玄関脇の客間に静かに横たわる、山室さんに対面しました。
国税庁の仕事を果たし、同じ九州男児として、初対面から親しみを感じた、人生の先輩は、日頃から身だしなみの良い紳士でした。
目の前に眠るが如く、手を組んで横たわるさまは、まるで生きているように見えました。
素敵なポロシャツにメガネを掛けていました。
額に手を当て、山室さんのおでこに、私のおでこを当てた時ですが、彼の体から不思議な命の鼓動が伝わって来ました。
身体は冷たいのですが、命の鼓動は絶えることはない!感動的でした。
娘さんとご近所の親しいお方が傍におられ、私の不思議な仕草をじっと見つめていました。
ご家族の同意が得られ、讃美歌主よみもとに近ずかんを、ハーモニカで2番まで吹奏しました。
主よ御許に近づかん ハーモニカbyオショチ
吹奏が終わり、ふと!見ると涙が見えました。
2階の、彼の生活がびっしり詰まったお部屋に案内されました。角部屋のバルコニーに並んだ綺麗な花たち、山室さんが咲かせた綺麗な花です?目の下には、山室さんが手入れした庭が息づいていました。
部屋はきちんと整頓され、故人のお人柄が偲ばれ胸に熱いものが込み上げて来ました。生前、人を入れたことがない!と、話していました。
話しは変わりますが、クリニックのパーキングに車を停めるとき、両側のスペースは寸法を測ったように正確に停めてありました。毎回です!
何事も、誠実正確に、ご家族のご苦労も考えると様々な人生模様が目に浮かびます。
−感謝状−
茶色の封筒を渡されました。娘さんが山室さんの机から手紙の束を出して来ました。
中に入っていた2枚の便箋に、主治医の松浦先生。看護師の高橋さん。私の名前。3人に当てた感謝状でした。日付変更がしてありました。
後の1枚もほぼ同じ内容ですが
前略、なにかのご縁であなたと知り合ったのです。私の一生で心の支えとなってくれたのはあなただけでした。有り難うございました。感謝致しております。桜花咲く春とはいえまだまだ寒い日が続いております。お体を大事にして下さい。この手紙→感謝状は、早い時期に死を覚悟してしたためられたようです。平成22年4月 山室弘
死んだ後の連絡の仕方、ありとあらゆる、こまごまとした、抜け落ちが無いように娘さんに遺言状を含めてしたためていたのです。
後に続きます。
愛の樹オショチ†
愛の樹オショチ†
山室 弘さん
人は、なぜ死んで逝くのでしょう。人生の終わりに、悲しみが、あるのでしょう哀しいことです。ご冥福をお祈りいたします。
返信削除暑い中自宅にまで来てくださり 本当にありがとうございました(>人<) 愛川さんのハーモニカは、すごく心にしみわたり、さぞかし父も嬉しかったことと思います(>人<)♥きのう 南多摩斎場にて 家族と親戚で見送ることが出来ました。愛川さんもお大事になさって下さいね
返信削除山室さんのお話とお写真有り難く受け取りました。一人の方の人生が色々教えて下さるとあらためて思います。
返信削除古武士のような姿は、なかなか万人にはむりなありかたですが、清い亡くなり方でらしたと思います。
自分の死への迎え方はどうなるかわかりませんが、色々学ばせていただいております。ありがたいと思います。
お辛い中のブログを感謝致します。暑い季節の通院お大変と存じます。お気をつけてください。