親愛なる我が病友も、この暑さに必死に耐えています。
今年の夏は殊更厳しい夏になりそうです。
右腎臓と胆嚢摘出後、初めて迎える、3ヶ月経過中の夏です。
主治医から術後3ヶ月は気をつけて、水分の補給を十分摂るように、また休息を勧められました。
許すかぎり気をつけています…
病も、生きる友と考えて見ると、正に生きている恵みそのものの証だと、しみじみ感じられる今日この頃です。
自然の成り行きとして受け容れています。
また、神様からの幸せの知恵を借りて、弟子たちを幸せな人生に導く私の使命を果たす絶好のチャンスでもあります!
辛い、今だからこそ、掛け値なしの真実が心の奥底から沸き上がってきます。
愛する弟子たちに、残せる言葉が与えられ、そのままを伝えました。
先週の土曜の夜と、日曜日の朝に。
病むことで、生かされている意味が、さらに深められ生きる意味が一層理解出来るようになりました。
限り在る命の日々を思わずにはいられません。
伝える価値の在るものは見逃さず余すことなく、伝える使命があることを確認しました。。
弟子たちの、信仰を養う以前、肉体を持った人間としての在り方。
心身の自己管理の仕方。
生活習慣の誤った過ごし方の修正など交えて。
自分で摂生が出来ず、後々思わず落ち込む病の罠の恐ろしさ等々、
我が身の健康を損ない、人の幸せを願うことも出来ましょうが、やはり心身共に健康であるべきです!
具体的に私の、今までの体験をつぶさに語りました。
良くも悪くもなし。
これが私の事実だと伝えました。
愛の樹の使命は、私の死で終わるものでは、ありません。
これは、始まりです。
神が人の幸せを願う新しいシナリオに基づくドラマの幕開けです。
弟子たちの育成は、その大事な役目を引き継いでもらうために、欠かせません。
私に課せられた使命です。
昨日は珍しく、教会の夏休みでした。
がらんとした、小さな礼拝堂に、残っていた3人の弟子たちを集め、キリストがその昔、弟子たちに親しく語りかけられた様に私も語り掛けました。
「人間の幸せとは何か?簡潔明瞭に!」
「人の幸せを、自分の幸せと確信して尽くすこと!
己の幸せは、人の幸せを願う、そのただ中にある。
生きる力はこの中にある!私はキリストに従い自分の生涯を閉じるが、悔いは一切ない!
尽くし切り、充足感と幸福感に浸っている!」と。
時折、自問自答します。
もし?自分だけのこと、利己的なことしか、眼中に無かったと、仮定したら?。
私の人生は、虚無感、孤独感、敗北感に襲われて、ここ迄は、生きられなかった?と、実感しています。
改めてキリストの、僕(しもべ)で居られた事に感謝の思いは尽きません!
トルストイではありませんが「幸福とは他人のために生きることである」。
人の幸せを願い、人の幸せな姿を見て、自分が無常の歓びによって生きられる。
生きる力と勇気を得た。険しい人生を生き貫く。
これは天の摂理だと観じます。
天界は愛の故郷です。
人の幸せを願う魂に自然に宿るそのために心を尽くす。
弟子たちは昼夜二度にわたる話を真剣に受け止めくれました。
険しい人生の峠道に差し掛かり、病を恵みと思いながらも、まだ果たしきれない使命の一旦を伝えられ、至福のひとときでした。
40年間私に付き添い、キリストとを信じて、不肖の師を見限らずに、今も天路歴程を共にする、弟子の真心に応える道はまだ遥か彼方です!