2009-06-30

天路歴程(6)

イエスを慕い、彼の真理を確信した弟子たちの中でも、とりわけ使徒パウロやバニヤンのようにひたむきに生涯を賭けた生きざまに深く打たれます。

今年76歳になりながら、まだ先行く先、遥かなりの自分の姿を見ては、彼らの信仰は遥か彼方に聳え立つ霊峰です。

第一、試練、苦難の質が違います。

こればかりは自分で選べない道、神との道行きですから。

伝道をはじめたころの貧しさは今でも忘れません。

その貧しさのどん底に空腹の弟子たちが飛び込んできました。

あるだけの食事を与えましたが、彼らの腹を満たした後には、自分たちの空腹が待ち構えていました。

しかし、今、思い出します。

あの時、弟子たちの空腹を満たした幸せを!

今朝また夢に霊峰を二度視ました。

空に光り輝く白い霊峰が聳え立ち、文字がはっきり 読み取れました。

「愛、救い、平安、幸福」
と、刻まれていました。

不思議な啓示です。

私事ですが、この季節は体に負担が掛かります。

片腎臓ですから、思い通りに体は言うことを聞いてはくれません。

顔、足のむくみも気になりますが、4月の第三の人生の謎解きの始まりと、与えられた神からの使命は果たさなければなりません。

私の仕事、ネット教会の仕事は生涯賭けて取り組むものだと自覚しました。

天から私を見つめてくださるお方の存在を肌に感じます。

犠牲はつきものです。

神のご意志に従うなら!

続きます。

天路歴程(5)

ジョン・バニヤンも召命を受ける以前、何度も生命の危険に曝されています。

一度はベッドフォードの川でボートが転覆して溺れかけたり、またある時は、まむし の口を開けて指で毒牙を引き抜いたが、無事であったとか。

とりわけ彼が神に感謝せずにおれないほど深い感銘を受けた事件がおきました。

16歳で軍隊にはいった時のことです。

彼は敵の包囲攻撃に引っ張り出されました。

隊の仲間が彼の代わりを引き受け、戦地に行きました。

いよいよ包囲攻撃になり彼は歩哨に立ったところが頭を一発うたれて死んでしまいました。

当時、チャールズ1世と議会との間に内乱があり、その時の出来事でした。

除隊して、彼は20歳そこそこで結婚しています。

2人ともひどい貧乏で所帯道具、皿1枚さじ1本もない有様でした。

彼の妻は、父の形見の2冊の本を持っていました。

アーサー・デントの『凡人の天国への道』と、ルイス・ベイリの『信仰の実行』でした。

彼には新鮮な驚きを与える内容でした。

若い妻と2人で炉辺で読んだこれらの書物、また、彼女が語った父親の敬虔な生涯の物語には彼の胸の奥底に眠っていた宗教心を呼び覚ましたのでした。

神の召命には必ず、時、人、場所等が深く関わって来ます。

あの使徒パウロのようにです。

続きます。

2009-06-29

天路歴程(4)

私は良い人間関係を築くことの大切さを、イエス様と母から学びました。

信仰生活も基本は、神と人間の良い関係を保つことから始まります。

神との良い関係を保つことなしに、良い人間関係を保つことは難しいです。

苦しい時に私は生まれ育った故郷を思い出します。


今も母屋のあの懐かしい部屋の空気を優しい風をそのまま感じます

大切な想い出です。

“故郷は遠くにありて想うもの”を実感します。

私がイエス様に強く惹かれるのは、
魂の故郷が天に在るからだと確信しています。

渡り鳥が古巣を忘れないように、鮭が生まれた母の川に帰るように、私も魂の故郷を目指す旅人です。

ジョン・バニヤンが身近に感じられるのも、
イエス様を慕う魂の持ち主は、知らぬまに”天路歴程の旅人”になっていたのかも知れません。

ジョン・バニヤンは神との正しい関係を模索しました。

彼が人々に誤解され、罵倒されながらも、辛抱強く信仰を求め続けたの
も、人々にイエスの路が真の幸せの路だと気付いたからでした。

1660年の11月のことでした。

バニャンは国教徒の牧師でもないのに説教した、と言う理由で、ベッド
フォードの牢獄に閉じこめられました。

彼はここに6年間、1666年の夏まで入っていました。

続きます。

2009-06-26

天路歴程(3)

今朝方、不思議な夢を見ました。

ある宗教を長年熱心に信じて最高位を極めた方が小さく萎んでいました。

ひどく疲れて病に侵されていました。

助けを求めてきました。

また後の夢では、幼い子が神の真理を人々に語っていました。

確信に満ちた話に大人たちは、「何故?この幼い子が神のみ心を解き明かせるのか?」と、感歎の声を上げていました。

気が付いたら光が窓ガラスから差し込んでいました。

霊夢でしょうか?昨夜までの、左足のひどいむくみが、かなり取れていました。

不思議夢でした。

私は聖書の中に今も息づいている人々の話を書き続けたいと願っていますが、なかなか大変な仕事です。

自分の心臓の鼓動に夜中目覚めることがあります。

並大抵では生きられないこの体が今も生かされていると、はっきり自覚させられる瞬間です。

神は83歳の日が訪れる日まで、「あなたを奪わない」と、若い日に誓願を立てた時に約束してくださいました。

私は神の約束を信じます。

ですから残された日々をいかに生きるか?自由な心で最善が尽くせたらと、静かに自分の心に語りかけます。

今、一番大切な事は何か?イエス様のみ言葉に耳を澄ませる日々です。

後に続きます。オショチ

2009-06-25

天路歴程(2)

ジョン・バニヤンは深刻な信仰的苦闘の最中で絶えず祈り、絶えず聖書を読み、ついに信仰を確立しましたが、勝利を得ましたが、その間、何度も苦難にあいました。

しかし彼は、ひるまず信仰を語り続けました。

彼の話しは聞く人々の胸を打ちました。

彼にキリストは人生のすべてでした。

私の知恵、義、聖潔、贖罪、彼は使徒パウロのように、主の功績、勝利、義、愛すべてが私と共にある!と確信したとき、彼の苦難の嵐は去りました。

まだ25歳の時でした。

彼が本格的説教者として立ち上がるまで5年の歳月が必要でした。

その後、政治が激動し王政復古の嵐が吹き荒れます。チャールズ2世の時代の始まりでした。

続きます。

2009-06-24

天路歴程(1)

入院中に、真剣に読んだ本があります。

ご紹介いたします。

正直な話しですが、今回はもう駄目かと内心覚悟を決めていました。

その中で聖書とジョン・バニヤンの『天路歴程』が大きな慰めになりました。

この話は病友にも少し話しました。

生い立ちが、鹿児島出身の吉冨愛泉先生によく似ていたのも私の気持ちを強く惹き付けた理由でした。

作者ジョン・バニヤンは1628年11月、英国ベッドフォード州の小さな村エルストウに生まれました。

父親の時代に家が傾き、貧しい、鋳掛(いかけ)屋でしたから、小さな学校で学んだ程度でした。

彼が育った土地は思想的に独立心が強く、ことに清教徒的信仰の熱烈な土地でした。

その北部は信仰の自由を求めてニュー・イングランドに新しい天地を開いたピルグリム・ファーザーズを最も多く出した土地でした。

このような背景の中からジョン・バニヤンは、貧しさに負けず、彼独自の信仰を深めていきました。

彼の生き方、信仰は容易には村人に受け入れてもらえませでした。

彼には生まれつきの強い想像力と、病的と思われるほどの鋭い感受性を持っていたと言われています。

それは宗教的な意味で恐怖心となり、恐ろしい夢や幻となり彼を脅かします。

私もよく夢、幻を視ますが、時には、そのせいか?

快活な気分が粉々に打ち砕かれる経験を何度もしました。

後に続きます。

2009-06-23

無理して頑張らない生き方

辛いときは、素直に辛さを伝えます

辛さを、笑顔でつつむのはやめました

頑張らない生き方を選んで何故か嬉しい朝です

神様、山の峠で疲れたときはそこで休みます

私もモーセのように、カナンの地に入れなくても幸せです

あなたの愛に従いましたから

頑張らない生き方を選んだ今朝は嬉しい朝です

2009-06-22

優しい診療所

静かで優しい赤髭先生から時々治療を受けます。

片田舎の畑と緑の中に囲まれ、ひっそりしたたたずまいの診療所です。

私は「風のガーデン診療所」と、心の中で呼んでいます。

築30年経った建物ですが古びず、しっかりしています。

質素な診察室の患者さんの治療室の枕もとからサンルームの屋根越しに、柔らかいかい日差しがさしこんでいました。

赤髭先生が育てている、様々な、蘭の花たちが、傷んだ心身を癒してくれます。

昨日、初めて二階の部屋を見せていただきました。

窓越しに緑の山並みが目に飛び込んきました。

はっきりは見えませんでしたが、緑の窪みの辺りにはホタルが飛びかう綺麗な川が流れているそうです。

癒しの治療の原点は改めて、人の心と環境にあると、しみじみと感じました。

先々月入院した慈恵医科大学付属第三病院の中庭にも癒しのガーデンがありました。

島田貴先生が教えてくれました。

親しかった病友Kさんのお気に入りの場所でした。

赤髭先生の二階の窓から素晴らしい景色を眺めながら、今は天国の住人になられた、Kさんを偲んでいました。

懐かしさがこみあげてきたひとときでした。

癒しの場所には、優しい癒しの人が住んでいでいました。

2009-06-20

がん予告から1年が経ちました

一年前に、多摩南部地域病院泌尿器科の北原聡史先生の診察で、右腎臓にガン?と、多発性リンパ腫の疑いがあり、余命1年と言われましたが、振り返ってみると、生き延びるためには有り難い診断でした。

予告を受けてから、肝臓内科の主治医松浦知和先生のアドバイスを受けて、慈恵医科大学付属第三病院の血液内科の島田貴(たかき)先生の診察結果、先生のアドバイスで、同大学病院、泌尿器科の池本庸先生から右腎臓と胆嚢の摘出手術を受けました。

4月13日でした。

ガンではなく?がんもどき?でした。

お陰様で順調に回復しています。

今日は感謝の気持ちをお伝えし、また、北原先生の1年目の診察を受けました。

エコー診断では残った左腎臓がしっかり働いていますと言われました。

更に一昨年北原先生から受けた、左尿管狭窄症のオペの経過も問題なしでした。

あと自己の健康管理についてアドバイスをいただきましたが、尿酸値が少し高いので食生活に気をつけるように言われました。

左腎臓が少し腫れていますが、尿管狭窄症の手術をしているので、この程度なら大丈夫です!とのことでした。

まだまだ暫くは教会の務めもできます!

主治医を、お願いている先生方に食生活、健康管理につきましては度々ご注意を受けていますので真剣に受け止めました。

神様の使命を果たすためにも大切な1日でした。

以上です。

最後になりましたが、皆様、お体お大事にお過ごしくださいますように!

祈りのうちに!
オシヨチ

2009-06-18

聖なる御方に触れて

人間、聖なる御方に触れて、人間性が、がらっと変わることを前述しましたが、最近の世情を見ていますと、その思いが強く感じられます。

話は変わりますが、昨日、長年使い慣れた携帯に別れました。

もう機能性を失いました。

身近なものとの別れは、たとえ携帯でも互いに親しみあい、助けあった仲だと淋しいですね!

これが人間の素朴な姿かな?と、感じました。

76歳になり、おまけに、大手術のあとですから、複雑な携帯電話器は、ひどく疲れます。

もう自分の限界かな?と、思いが胸の奥底に潜んでいますが、若い日に神と交わした(立てた )誓願は、いまも息づいています。

加齢による衰えは、誓願を果たす役割で補うことを知らされました!

有り難いことです。

体は確かにくたびれますが、効果もあります!

指先が活性化してきました。

諦めたらその通りになるでしょ!

私の前世は神に仕える定めにあると、時折感じます?

人間には限界がありますが、神は全能の神です!

愛の生命に触れて、人生が、がらっと変わった聖書のなかの人々の生活の息づかいを、
私なりにお伝えできたら幸いです。

今日はこれまでにします。

2009-06-16

預言者・祭司・士師・主について

分かりきったようで、分かりにくい役職と役目を簡単に記述しておきます。

預言者

神の霊感を受けた人が語る言葉。神のために代わって語る。神の意思の代弁者(使徒3:22、マタイ1:22、2:5)。


祭司

神と人との仲介者、すなわち人々のために、人々に代わって、神に礼拝と供え物をささげ、祭儀をつかさどる人。
旧約ではレビ人がその役目を果たした。新約ではエルサレム神殿の宗教儀式をつかさどる聖職者たちを指す。祭司長はその頭。


士師

本来は「裁く」という動詞の分詞形から「士師」と訳され、イスラエルの歴史においてカナン占領から王国設立までの期間、神によって起こされ、イスラエル人たちを敵の圧迫から解放する軍事的、政治的指導者を指す。士師記には12人の名が上げられている。


全能者

語源は「シャダイ」または「エル・シャダイ」。これはイスラエルの神の古い名称の一つである。山に住む神。山は神の居住と考えられていた。シャダイは全能者、エル・シャダイは全能の神と呼ばれている。
70人訳ギリシア語聖書では「全能者⇒パントクラトール」と訳され、新約のヨハネの黙示録でもその呼び方が使われている(黙示1:8以下9回)。

これから時々ブログに登場しますので、あえて記述しました。

2009-06-15

悔い改め

密かに悪事を企み悪事を行う者の魂の救いのために、次の神の警告を贈ります!

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
詩編1:1−6

もう一言、人々に伝えたいパウロの言葉を紹介します。

人類は今までの政治手法、手段、価値感に行き詰まり危機に直面しています。

人類自ら作り出した結果です。

終末の危機です。

使徒パウロの書簡は弟子テモテへ宛てたものですが、現代のわたしたちにも当てはまる警告です

終りの時の人々の有り様
しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、とりこにしている者がある。彼女たちは、常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない。ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。 しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、多くの人に知れて来るであろう。
Ⅱテモテ3:1-9

人々の平凡で細やかな生活、人権、人間の尊厳を否定し破壊する悪人に神の公正な裁きが下ることを切に願い祈ります!

聖日礼拝にて

今日の聖日礼拝は神の正義と愛について語りました。

また、目に余る政治の在り方にも触れました。

また、人々の不幸につけこむ宗教屋?にも憤りを感じました。

真理が全うされ、苦しんでいる人々に、掛け値無しの救いの手を差しのべる、労りを是非伝えたいのです。

豊かな人々に神は無縁の存在かもしれません。

ギリシャ語に“プトコース”と言う言葉があります。

意味は、「貧しい者⇒霊の乞食(こつじき)」です。

キリストは説きました。

「心の貧しい者は幸いである」。

高ぶった傲慢な人間は平気で不正を働きます。

神の御前にへりくだった人間は悪事は働きません!

2009-06-13

暫しの憩いと癒し

by Oshochi

道端の草花、森の木々の新鮮な若葉。

逞しい雑草たちを眺めていると力がきます。

癒しが与えられます。

身じかな草花からエネルギーをもらいました。

梅雨入りです。

ネット教会の皆さまくれぐれもお体大切にお過ごし下さいます様に。

お幸せに!

祈りのうちに

梅雨の花

by Oshochi
途中見掛けた梅雨の花、
紫陽花が今日の主役です。

阿蘇・地獄谷での祈り(2)

今も昔も貧乏暮らしは変わりませんが、あの時は阿蘇山に行くガソリン代がなくて、神様、ガソリン代を工面して下さいと、祈りました。

祈り求めていた数日後思いがけないお方から、伝道活動費にと献金をいただきました。

片道分でしたが、喜び勇んでぽんこつ車に乗り、一路、阿蘇山を目指してひたすら走りました。

車で仮眠をとり、あんパン一個に牛乳一本が一日分の食事です。

苦労しながらやっとたどり着き、地面に膝まずき祈りました。

地熱で足が焦げそうです。

しかしなんの応答もなく一夜が明けました。

はるばる祈りに来た私の“聖地”はただ白い湯煙にかすんでいました。

しばらく経った時、光が差し込んできました。

祈りの手を休めて、山の斜面を何気なく見た時です。

かすみの中に人影らしい姿を見ました。

空中に浮き上がって私を見下ろしています。

合掌している姿でした。

不思議な瞬間でした。

消えたあとに湯煙の音も消え、静寂に包まれていたのです。

はるばる来て良かった!涙がとまらないのです。


地獄谷に別れを告げて下山しました。

帰路、琵琶湖に行けと言われて、行き先が分からぬまま車を走らせました。

ある一軒の農家を訪ねました。

牛たちが、見知らぬ訪問者を迎えてくれました。

やがて主がUさんと言うお方があらわれ、通された部屋の仏壇に手を合わせた時、扉を開いてくれました。

中には位牌の隣に†字架が見えます。

彼が灯りをともしました。

それはクリスマスのイルミネーションでした。

ずいぶん変わったお仏壇ですね?と尋ねますと、彼は「わたしは隠れキリシタン見たいなものです」と淡々と話してくれました。

いとまごいをする時、真顔になり、「あなたが訪れることがわかってお待ちしていました」と話してくれました。

さらに「帰りのガソリンを満タンにしましょう」と言われ、予備タンクからガソリンを入れて下さったのです。

聖霊に導かれる不思議な体験の旅でした。

2009-06-12

阿蘇・地獄谷での祈り(1)

阿蘇山の麓に小さな温泉宿があります。

その裏山に地獄谷があります。

白い湯煙がいたるところからごうごう!と地響きを立てていました。

地球の赤々と燃えるマグマ、心臓の鼓動を身近にかんじられます。

ぽんこつ車に乗り、横浜の集会場から1500キロくらいありますか?

箱根にも大湧谷がありますのに、わざわざ九州の山奥まで何故祈りに来たのか?

途中で疲れて寝込んでいたときでした。

雲ひとつない青空が一転かき曇り、まもなく大粒の雨が激しく降り始めました。

山の斜面から茶色の濁り水が押し寄せてきます。

必死の思いでぽんこつ車を動かし難を逃れました。

雷が光った途端づしん、びりびりと肌に雷の放電気が伝わってきました。

見ると鳥肌が立っていました。

1時間くらい降り続きましたが、あっと!いう間に晴れ上がり、青空が見えました。

夏の日差しが眩しく、霊光に打たれた思いでした。

祈り求めてさ迷い歩いた時ですから、示されたら何処に行くのか自分でも見当がつきませんでした。

ただ素直に従うのが自分に出来ることぐらいは理解出来ましたが。


雨上がりの山道は滑ります。

やっとたどり着いた地獄谷はますます激しく白い湯煙を吹き上げていました。

足元が熱いです。

祈りました。

死を恐れない信仰(3)リーダー

彼の伝道活動は、復活のキリストの聖霊が愛の働きであり、この 聖霊が人々を愛の業へ導きだすと説き続けたことにあります。

今時会うことのできない人物です。


〇〇教、△△教そのものあり方が一部の信者を除き普遍性を欠き、政治に関与するやり方は国民の幸せには結びつきません。

キリストは弟子たちに

“神の物は神に、カイザル⇒皇帝の物はカイザルに”
と、はっきり区別しました。

国家と宗教の存在価値、根元的な質の違い役割の違いをはっきり指摘されたのです。

『舞い降りた天使たち』に次のように記述しました。

リーダー

徳望のある人物が、その国のリーダーとなり、国民も又、そのリーダーに絶大な信頼を与えて国家の運営を任せる。彼は地球国家と人類、国民の幸せのために全力を尽くす。

中略

彼らはその時々の歴史の中で、非常な困難と戦い、それを乗り越えた人生の勇者たちである。哲人ベルグソンの言葉をかりれば、進化の壁を突き破って、彷徨変異を遂げた人々である。
単に最善を尽くしただけではない。国家的、あるいは人類の危機に立ち向かった彼らには、熱い熱い愛があった。それゆえ、私心を捨てて人類に、国家に、社会に身を捧げることが出来たのだった。

今の青少年たちに、このような偉大な人格に接し、その優れた影響を受ける教育が是非必要であると、私は痛感している。
今、 はびこっている、私益、省益に目の色を変え、又、党利、党略にうつつをぬかす官僚や政治家たちのようなダメ人間ではなく、高潔な、高邁なしっかりしたビ ジョンをもったリーダーが待ち望まれる。私が少年の頃あこがれた偉人たちには、人々の心をひきつける特徴的な共通性があった。それは自己の利益のために何 かをしたということではない。天命というか、天の声に動かされ、その使命に全身全霊を捧げた人々である。殉教者である。とにかく立派だった。
私は単純思考の人間であるから、この先人たちの純粋な生き様に深い感動を覚える。彼らは、神や仏ではなかった。イエス・キリストや釈迦とは違う。
しかし、その生き様は、まさに聖者を彷彿とさせるものがある。
もし、一国を自分の思いのままにあやつろうとする邪な人物がいたとしても、真実でないもの、神に祝福されないものの栄華の時世は長続きせず、たちまち
過ぎ去る。

人間が欲のために作り出したものは、何一つ永続するものはない。心に深く思うことがないから、ただ目先の利益や権威におぼれる。

すべては移り変ることを彼らはうっかり忘れているのだ。彼らを待ち受けているものは敗北である。

過去のリーダーの中で、財貨や色欲を貪り、眼前の快楽におぼれた人物やその国家、社会は滅びた。

私たちは真実の道を求める。健全な道を求める。それは朽ちることのない永遠の生命を願うからである。人間の浅はかな煩悩にふりまわされて、困っている人を助けず、その国を見捨て、神の恵みを分かち合うことを知らない私たちで終わりたくはない。

この愛する国、日本が、そこに住む私たちが、いつでも、苦しんでいる人々に手を差しのべるような国でありたい。また率先してそのことを大胆に実行出来るリーダーを持つ国になりたい。

舞い降りた天使たち 英日対訳版

死を恐れない信仰(2)使徒パウロの使命

聖書は、2000年以上の長い時を経て、なお新鮮さを失いません。

旧約聖書の記述を遡れば、膨大な時空を越えなければ理解出来ません

天地創造が出発点ですから。


新約聖書の中身を一箇所取り上げても、キリストの神秘性、聖霊の働きを人間が文字で説明することは至難の技です。

パウロの布教活動は、私の能力では100年書き続けても伝え切れません。

断片的な書き込みしか出来ませんが、
ネット教会を立ち上げた以上、責任があります。

前にも話しましたが、今回の入院がきっかけとなりました。

体力の低下は否定出来ません。


腹を真横に切ると筋肉を断ち切ることになります。また神経も切断されますから、なにも感じない部分がでます。

腹の傷跡の腫れが、ある程度引いても、神経が断ち切られていますから、なかなか元には戻りにくいです。

したがって腹に力が入らないのです。

パウロの話が脱線しましたが、何か余程の理由が無いと人間に転機は訪れないようです。

パウロの転機は前にも記述しましたが、キリスト教徒の迫害が、彼の重大な人生の転換点になりました。

彼の伝道活動範囲は、イスラエルの首都エルサレムからカイザリア、昔のマケドニア、最近までの地名ではバルカン半島、ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリアからギリシヤ、クレテ、シチリア、イタリア ローマ、小アジアのアンテオケが第1回目の出発地でした。

彼はバルナバとマルコを伴いました。

使徒行伝には、エーゲ海を渡り、ヨーロッパに上陸し、マケドニアからギリシャのアテネから地中海沿岸を精力的に伝道活動しています。

幾多の迫害に遭ってもめげず、キリストの真理を確信して、30年に及ぶ伝道旅行に明け暮れました。

彼は天幕作りで生計を支えました。


伝説によると、人間的には健康に恵まれず、またその容貌もみすぼらしく、しかし信仰の豊かさにおいて人間的な欠陥は解決されたと。(コリントⅡ10:10、使徒行伝18:3、ピリピ4:11-13)に記述されています。
(つづく)
デューラー「四使徒(部分)」右がパウロ

2009-06-11

死を恐れない信仰(1)

国籍を天に持つ、と信じた信徒には、ローマの皇帝ヘロデさえ驚きました。

内心、恐怖心を覚えたはずです。

我が国でも長崎の26殉教者、聖人の中には、幼い少年まで含まれていました。

さすがに見かねた死刑立ち合いの役人が、少年に死刑になることをやめて欲しいと懇願したと言い伝えられています。

幼い少年の、死を恐れぬ態度に戸惑いを隠せなかった役人たちの驚きの声が聞こえてくるようです。

あのダビデ大王でさえ、迫りくる身の危険死を恐れました。

「主よ、立ち帰りわたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしくわたしを救ってください」

死の国へ行けば、誰もあなたの名を唱えず陰府(よみ)
に入ればだれもあなたに感謝をささげません」(詩編6:5-6)

神に向かってずいぶんはっきりしたもの言いです。


まだこの時代にはヤーウエの神は恐ろしく厳しい裁きの神のようでし
た。

しかし、このダビデの末裔から神の御子キリストが出現しました。

ダビデとの血縁関係はありませんでしたが、神の予言による誕生でした。

このキリストの出現により、死の恐怖を越える力がキリストを信じる
者たちに宿り、支えになりました。

死を恐れない者はいない時代に、信じるお方に全身全霊を捧げて、殉教をものともしなかった人々は何故?信じる力信仰心がこれほど強いのか?

当時のイスラエルの司祭たち、またイスラエルを支配した強国ローマ帝国の支配者たちには理解不能、脅威でした。

聖パウロ(以下パウロと呼びます)の伝道活動は広範囲でした。
(つづく)

究極は魂の救済

いろいろ人間を生きて見ると、最後は人間の死にたどり着きます。

如何に優れた人物でも、死と時間は人間に平等にあたえられますから、避けては通れません。

怖いからと言って、目をつぶっても、容赦なく時間は進み、死が訪れます

「若い日にあなたのつくり主を覚えよ」です。

御子キリストの出現は、驚天動地の出来事です。

他人の罪を被り、他人の悪の為に†字架にはりつけになる、考えられない出来事でした。

イエス・キリストの昇天、復活後、キリスト教徒に対する猛烈な迫害、大量殺戮が起きますが、彼らは屈しなかったばかりか、勇敢に死に就きました。

人間の救済と憧れ

古代ギリシャ人は、人間性の究極を「真・善・ 美」に求めました。

人間性を昇華させて行き着いた終着点です。

ギリシャの神々には人間の憧れ、が作り出した様々な表情、彫刻を通して現代人に語りかけてきます。

ミロのビーナス、パルテノンの神殿など、人類史に残る生命の永遠性を求めた証が時代を越えて人々を惹き付けます。

現代人の前に古代への郷愁をかきたてます。

私は若い頃、密かに考古学に憧れましたが目の前の生活に追われて、諦めました。

古代人の生活に、また私の命は何処からきたのか?など、謎が知りたくてたまりませんでした。

西洋美術史に夢中になり、夜更けまで読みながら、古代の人々の生活の息遣いに触れようとしました。

建築家をめざしたのも、動機は西洋美術史が入り口でした。

わたしたち建築家が愛用した分厚い本があります。

建築家のバイブルと呼ばれた建築学便覧です。

数学から度量衡、気象、火葬場から飛行場 、港湾からホテル、宗教施設など網羅していました。

その中で、目が釘付けにされたのが教会建築の精密さでした。

大寺院の聖壇、聖人の彫像に心が奪われました。

なんとか頑張って果たせなかった古代学の片鱗に触れたい青年の情熱が全身にたぎっていたのです!

それが牧師の召命に、後年繋がりました。

神の御心は、はかりしれません。

確かに大宇宙には説明つかない現象が見られますが、ミステリーの世界こそ、神聖な神の領域なんですね。

ちっぽけな人間の知恵が届くのは、お釈迦様の手のひらの中止まり、と考えたほうが正しいのかもしれません。

我が国でも、古くは神武天皇の神話が歴史に記録され、この国の生い立ちに雄大なロマンを与えています。

大祭司の重要な役目を負われ、高千穂(宮崎県)の高峰にお立ちになり、この国の平安祈願から始まった国作りは、勇壮で神秘に満ちています。

母なる祖国の歴史を知らずして他にのめり込むにはまだ若い私なりに自分への抵抗感が芽生え苦しんだ時代がありました。

太平洋戦争(我が国では大東亜戦争と呼ばれた)日本の敗戦、戦後復興、この国は目茶苦茶にアメリカ政府の敵意剥き出しの犠牲になり破壊され、多くの尊い犠牲者が出ました。

犠牲者を出さなかった国民はいないはずです。

戦後復興の担い手を目指し建築家の道に入りましたが、好きな考古学との差に正直大きな戸惑いが生じました。

そこで西洋美術史と日本の建築史を並行して勉強しなおしたのでした。

若い情熱が推進力になりました。

キリスト様のしもべになる準備期間だったのです。

聖パウロ像

来月中半ごろ、中井の教会に背丈115センチの聖パウロの像が来ます。

長崎の中田ザビエル工房にお願いしました。

一昨年夏、キリストの聖像が中庭に建ちました。

去年秋には聖母マリア像が礼拝室に安置されました。
今年の夏には聖パウロ像が二階の廊下の突き当たりに安置されます。

中田ザビエル工房の中田三穂さんのお話では、「長崎のカトリック教会では聖パウロを記念して去年の6月29日から今年の6月28日までの一年間を聖パウロ年として設定し、聖パウロの福音宣教の情熱、勇気、神への愛を認識させられた次第です」との連絡を受取りました。

神の使命を全うした聖パウロはすごいですね。

長い歴史の中で活き活きと語り継がれます。

人間の心の奥底に共鳴、共感する篤い命に触れるんですね。

清らかな存在、人々の魂に安らぎと勇気、優しさを与え続ける聖なる存在に人々の心は惹き付けられます。

ネット教会の使命を深く噛み締めています。

暗い世の灯を消さないで
守り続けたい気持ちが強くあります。

使命だと受け止めています。

人生苦にあえいぎながら、希望を捨てず頑張っておられる兄弟姉妹の方々に少しでも、生きる希望を分かち合えたらと願い祈ります。

肝臓兄弟と希望

いつもかかりつけのクリニックで、病友のYさんご夫妻に会いました。

話題は病状のことですが、気心が知れて、家庭の話、過去の元気な時代の話など多彩です。

私より6歳年上のお方ですが、弱音を吐いたことがありませんでした。

が、珍しく今、受けている抗がん剤の治療の辛さを聞きました。

市民病院に入院して一週間、毎日、抗がん剤を器械で自動的に適量点滴するそうです。

始めて2日目に40度の高熱が出て、がたがた震えたそうです。

また近々入院して、抗がん剤の治療を受けるのに、ためらいがありました。

そんなに辛いなら止めたら?と、話かけましたら、今度同じことが起きたら止めたいと呟いていました。

私の病状を聞かれました。

もし自分なら、多分抗がん剤治療は受けないで、なりゆきにまかせると答えました。

遺書も書き、献体手続きも済ませた身軽な立場ですから、こんな話が出来たのかもしれませんが…

私は、肉体は一時のこの世に生きるための借り衣だと考えるようになりました。

やがて帰り行く天国を想います。

ですから生かされている間は、喜びも悲しみも同じくらい大切だと思います。

入院中の辛かったとき、クリオン島の子どもたちのつぶらな瞳が目に浮かび、心の支えになりました。

愛の樹の家族です。

希望です!

病とクリオンの子どもたち

「あなたへ
生きること
全てに
価値がある
諦めないで」

明るい気持ちになれば深刻な状況が一変することがあります。


気持ちの切り替えが簡単にいかない、苦しいときこそ、過去の楽しい想いでを繰り返し思い浮かべてください。

そのうち知らず知らずに、自己免疫力が上がります。

体温も上がります。

明るい前向きな気持ちが持てるきっかけ、楽しいこと。

静かに美しい音楽を聞くことも効果があります。

それから深刻な話は夜は避けて下さい。

朝、明るい日差しの中で語り合うことは、深刻にならず、免疫力を高める効果があります。

自分の体験からもお薦めいたします。

私の人生は怪我と病を切り放しては存在しなかった、これが事実です。

牧師の召命もハンセン病の孤島フィリピン・クリオン島の恵まれない子どもたちの支援も、病が与えてくれた結果でした。

18年間て1万人を越える子どもたちが識字教育を受けました。

フィリピン大学などに進み、今ではかなりの子どもたちが立派に成長しました。

子どもたちに託した国作りの夢は、少しずつ進んでいます。

この力の源は、足長おじさんおばさんのご協力を得たことから始まりました。

どうせ死ぬなら何かひとつくらい良いことをしたい!これがきっかけでした。

あれから20年経ち、今も生きています。

2009-06-09

『免疫革命』から

新潟大学大学院医学部教授の安保徹先生の著書に「ガンの自然退縮の特徴」という記事が目に付きました。

少し長い記事ですが、頑張ってメールに書き写して見ます。

実は去年、愛の樹の嘱託医の町田先生から、腎臓ガンのことを含めて診察して頂いた折り、先生ご自身が片腎臓だと話して下さいました。

その時ガン、腎臓の自然退縮のお話が出ました。

今後の自分の病状など、気持ちを整理して対応を考えました。安保先生のお話が、病友の皆様への一助になればと心から願います。

ガンの自然退縮のときに何がおこるかといいますと、ガンが死ぬときに、腫瘍マーカーが上がるんですね。
腫瘍マーカーはガン細胞の抱えている、膜とか細胞質の構成成分ですから、ガンが死ぬときに腫瘍マーカーが上がるときがあります。
ですから体調さえ良ければ、腫瘍マーカーが上がると、喜ぶくらいの感覚でないといけません。

あとCTなどで検査して、ガンのサイズが急に大きくなって、びっくりすることがあります。
このときはガンはガンの中が壊死して治っている、ということも、長崎の田嶋先生が症例を報告していらっしゃいます。
みかけが大きくなって、中が壊死する、繊維が強いときはそのまま空洞化して治るし、弱いときはそのあとで潰れるという形をとるんです。
だからあんまり、腫瘍マーカーがあがったり、ガンのサイズが大きくなったといって怯えて、せっかく体にいいことやって、さらに体調もいいのに、また体を痛める治療に引き込まれる人も多いです。
そこは注意をしたほうがいいですね。

あと京都研究所の福田先生は、転移したあとに、いい結果がでるという症例をいっぱいもっていらっしゃいます。
やはりリンパ球が働きだすと、原発層は悲鳴をあげて、ガンが散らばっていくんですね。
そして散らばつた後にすっと消えていく。
意外と、肺転移、肝転移、骨髄転移した後に消えていることがある。
転移をあまり気にすることはないですね。

あともうひとつ、治るときに通る、知っておかないといけないことがあります。
暖めて暖めて、あるところまでは、外から熱を加えて体温を上げているんですけれども、さらにすすむと自分の力で体温を上げる反応が起こりだす人が結構います。
それが、腫瘍熱とか房腫瘍症候群、と言われています。
実は、そのときにリンパ球が最高の働きを示すわけです。

ただそのときの発熱の注意というのは、熱は副好感神経優位の極限でおこるために、熱が出たときにとても、だるいんですね。
痛みも出ます。
そうなると体もだるく、痛みも出るとなると、また悪くなったんじゃないかと思って、やはりせっかく体にいいことを続けてきた人も、また慌てて抗がん剤に引き込まれる、という流れもあるので、発熱もプラスになるということを知っておく必要があると思いますね」…。
このお話は今回体験した、私の右腎臓ガンの体験からもうなずけます。

正常な腎臓の大きさは、にぎりこぶしくらいだそうですが、私の腎臓は重さが3倍、大きさは卵10個のパックを楕円形にしたくらいありました。

半分に割ると中は角砂糖の塊のようでかちかちでした。

悪性リンパ腫、またC型肝炎ウイルスのわるさも疑われましたが、とにかく不思議なことに他の臓器の転移もなく、また骨髄転移もありませんでした。

右腎臓に悪性リンパ腫がかたまりそこでガンが最後をとげたのではないか?と自分なりに考えたりもしました。

今日の血液検査でも腫瘍マーカーは出ませんでしたが、悪性リンパ腫?でもなく?ガンでもなく、まだ 炎症のはっきりした原因が掴めない状態です。

医学会に何か新しい情報が提供出来たら今回の苦しい、痛い体験も意味があったのでは?と、考えたりしました。

以上です。

2009-06-08

雨模様の朝のインターミッション

おはようございます。

梅雨に入った感じですが?


湿度が高く雨天の日はあちこちの古傷が痛みます。

50数年前の交通事故で痛めた左足の古傷。

6年前に岡伸夫先生から受けた頚椎症のオペ(首にチタンボルト6本入り)。

一昨年、北原先生にして頂いた左尿管狭窄症のオペ。

今年4月13日の池本先生、岡本先生執刀の、右腎臓、胆のう摘出の大手術などですが。

雨の日などは昔の古傷が!「痛むから少し休んで欲しいと訴えてきます」。

右腎臓、胆のう手術の回復はお陰さまで順調です!

今朝の体温は36度。

血圧137−76、脈拍65でした。

ブログ作成に、右手ばかり酷使します。

おまけにパソコンが苦手でして未だに古いドコモの携帯電話機が頼りです。

長々と理屈を並べましたが、要は少しの時間、ブログはおやすみにさせていただきます。

気圧の変化、湿度、外気温度などが古傷を含めて生活にかなり影響するのですね!

私だけではないと思います。

入院中のお方、退院して養生しておいでの病友の皆様くれぐれもご無理なさいませんように。

しっかり体を治して、また愛する方々の為に元気なお顔を見せてあげてください。

重ねてお体大切にお過ごしくださいませ!

祈りの内に

オショチ合掌!

2009-06-07

平凡な普通の一日でした

久しぶりにのんびりしました。

平凡な普通の一日は、とても有り難いのです。

緊張ばかりしていると、せっかく与えられた寿命を縮めますから。

教会の聖日礼拝が終わり、シオン診療所の町田先生から腰痛の治療を受けました。

鍼灸です。

先生に質問しました。

「先生は患者さんが持ち込むストレスの解消をどのようにされておられますか?」

先生の答えはシンプルでした。

「農作業!」

シオン診療所の裏には自然そのものの畑がありました。

雑草と仲良く同居しています。

先生ご夫妻の愛情の籠った野菜たちが育っていました。

無農薬の自家栽培の野菜を育てる畑が先生ご夫妻の元気の元かな?と、感じました。

今まで畑の土の中にいた、野菜や自生のミカンなどを治療の帰りにいただきます。

村人の健康管理、病気を癒す、先生の力の源泉は土なんですね!

庭の鳥小屋に2羽の烏骨鶏が、のんびり餌をついばんでいました。

畑の中に建つ診療所は、木陰と爽やかな風の通り道です。

北海道、富良野を舞台にした「風のガーデン」を思い出しました。

肉体の癒しも大事ですが、心の癒しも大切です。

わたしたちの夢は中井の教会の周りに「風のガーデン」「トトロの森」を作りたいと願っています。

素晴らしい環境を是非実現したいのです!

2009-06-06

悪人を善人に変えた菩薩

人の隠れた痛み弱点を察知、理解し相手を傷付けないように助ける。

平凡な人間には不可能です。

第一、他人に余程の関心がない限り、我関せずです。

仏教にすごく優しい菩薩様がいました。

常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)です。

この菩薩様はどんな悪人にも「あなたは善人だ良い人だ」と必ず誉めました。

悪人は腹を立て、馬鹿にするな!いい加減な事は言うな!と心底怒り、菩薩様を追い掛けます。

菩薩様は逃げながらなおも言い続けました。

「あなたは善人だ良い人だ。」と。

あまり熱心に真剣に言われているうちに悪人は、ふと?考えました。

もしかすると自分は本当は善人かもしれないぞ!

これがきっかけとなり、「悪人が自分の良心に目覚めて善人に生まれ変わった」という佛話があります。

仏の救いは、人間の善悪を問わない慈悲の世界なんですね。

かの有名な親鸞上人の数々の説話には、救いを求める大衆に大きな希望と生きる力を与える、生きた言葉がありました。

私の家系は代々、浄土真宗でしたし、一日だけですが、お寺の小僧を体験したので親しみがあります。

今は牧師になりましたが、信仰の下地は母から聞いた親鸞上人の物語が基本にありました。

親鸞上人の物語は五木寛之氏の著作に詳しく書かれています。

神の伝道者、吉冨愛泉先生(4)後ろ姿

当時、私が50代の血気盛んな頃は、吉冨先生の真の凄さ偉さは理解していませんでした。

若く生木のままでしたから、先生がいくら火をつけても、くすぶるばかりでした。

最近、謎解きの第三の残りの人生のスタートを切り、やっと先生の伝えたかった真意が肌に感じられるようになりました。

死の谷を越え、試練の錬獄を越えて初めて体感出来たのです。

神を知らずに危険に身を晒す人を救いたい一心」をです。

それが先生の福音伝道の基本だと気付かされました。

まだまだ使命は果たせます。

体は少し不自由になりましたが、代償の成果はネット教会の展開です

神の伝道者、吉冨愛泉先生(3)吉冨先生の死

先生は婿養子の方に遺言をしたと後でお聞きしました。
吉冨はひっそり死にたい。
誰にも通知してはならない。
私は虫の知らせで、息子さんに手紙を出しました。

受けとった返事に先生が91歳で静かに天に召されたとしたためてありました。

私への遺言は特にありませんでしたが、
もし連絡が来たら、吉冨は先に行く
と書かれていました。

思い返せば孤児同然の先生の生きざまは壮絶の一語に尽きます。

幼い日、空腹のあまり畑の土を食べて、飢えを凌ぎ、神に生涯を捧げた神の愛の伝道者でした。

私の生きざまは吉冨先生を抜きにしては語れないのです!

神の伝道者、吉冨愛泉先生(2)我が使命

九州伝道の時の吉冨先生の言葉です。
大きな教会堂
ステンドグラス
聖歌隊も
パイプオルガンも要りません。
有名な信者さんは、吉冨に似つかわしくありません。
素朴質素謙遜に徹した先生の生き様です。阿蘇で痛打を浴びました。
吉冨は、キリストを知らなかったです!恥ずかしい限りです。
たった今から飯田ヤコブ志朗さんの弟(おとうと)弟子にして下さい。
突然頭を下げられて一瞬言葉が出ませんでした。

90歳近い先生の一言はずしん!と腹に重く響きました。

キリスト者の歩く道を深く極めたお方に刻み込まれた貴重な一言を聞くための旅になったのです。

神は必要なお方を与えて下さいました。アーメン!ハレルヤ

神の伝道者、吉冨愛泉先生(1)

鹿児島県出身の伝道者、吉冨愛泉先生は、小学校も卒業しかなかったお方ですが、達筆で学識信仰の深いお方でした。

地の塩の箱の主催者江口榛一の親しい友人で、彼を最後まで支えた耳鼻咽喉科医の故藤原哲夫先生(日田市・藤原耳鼻咽喉科院長)とも親交を結び、藤原先生から吉冨先生紹介されました。

吉冨先生のすごいところは、四国をくまなく単身徒歩で伝道を果たしたことでした。

また農業に詳しく、当時としては珍しく一本のトマトの苗木から100個近い実を収穫したり、種無しブドウの種の作り方を農家の人々に教えて、神の福音を伝えました。

あだ名はホラ吹き愛泉でした。

彼は陰口を一向に気にせず、貧しい農民を呼び集めては、毎晩、農作物の増収の話を熱心に続けました。

少しずつ先生の話した成果が現れて来ました。

その時がお別れの時でした。

粗末な衣服貧乏のどん底を歩き続けましたから、ご自分でも「けちの吉冨」と、人々に言いふらしていましたが、先生は慕われました。

九州伝道に町田からよく行きました。

先生の質素な藁葺き屋根の小屋を訪ねた時、囲炉裏の前に座り静かに聖書を読んでいた首に黒い何か?巻き付いています。

側によって見ると黒ねこでした。

「温いばい!」質素の極みです!

2009-06-05

断食祈祷(3)6日目の奇跡

6日目の朝でした。

祈りの夜が明けて、朝が来ました。

私は驚き自分の目を疑いました。

それまで薄暗い納骨堂が金色に輝き始めたのです。

恐る恐る納骨堂の扉を明けて外に出ました。

山が木々が草たちが、空が、眼下の相模湾が金色に輝いていました。

その時、毎朝下の教会から知人の金子牧師が私のために水を運んで下さいました。

彼は私の姿を見ると驚きの声を上げました。

何か私の姿に不思議な変化を認めたのでした。

二人で膝まづき神に祈りました。

言葉に言い尽せぬ感動が沸き起こりました!

話を聞き付けた若者がその日から納骨堂を訪れるようになりました。

奇跡でした。

その日を境に何か見え始めました。

遥か眼下の町のざわめきや、人々の話声が透明に伝わって来ました。

さらに4日間断食を続けました。

万願の朝が来ました。

数日後、弟子一人が私の後に続き、断食に入りましたがすぐに止めてしまいました

人間の思いだけでは続きません。

厳しい断食は不可能です。

さてそれから暫く経ち田舎の妹の目が見える様になったと嬉しい知らせがありました。

断食祈祷の願いが神に届いたと思い感涙にむせびました。

この後にも箱根の大湧谷の低木あしびの林の中で七日間断食をしました。

水素ガスを避けて!

断食祈祷(2)断食の目的は?

断食中で辛い時は3-5日の間です。

払っても払っても妄想妄念が湧いてきます。

おまけに「断食して何の役に立つ、馬鹿なことはやめろ!」

誰かが囁くのです。

脳に必要な養分が行き渡らないと、生理的におかしな現象が起きても不思議じゃないと、自分に言い聞かせました。

腹が減ると、確かに精神的に不安に襲われます。

ある教会の牧師が断食をしました。

後でわかったことですが、「教会の信者さんに不思議な能力を見せるために断食をしたそうです」

彼は途中で自殺しました。
断食を利己的に利用するのは大変危険です。

中には、健康維持、毒素を体から排出するための断食がありますが、必ず資格を持った健康管理の行き届いた場所でないと、取り返しがつかないことになりますから、念のため申し添えておきます。

宗教的な意味からの断食は余程の覚悟信念がないと失敗します。

言い方を換えれば神の霊との接触が、断食の根本にあります。昔の神官、僧侶、特に高僧と呼ばれた先人の断食は命賭けでした。

聖書の中にもたくさん記述があります。

不純な動機では心身を損ないます。

見方を換えれば命賭けの断食には不思議な力が働くのだとも、言えます。

断食祈祷(1)

万策尽きたとき断食祈祷を決行しました。

40歳から50歳代までに4回やりました。

3日間程度は絶食です。

断食の動機は、いろいろありましたが、身近なところでは田舎にいる妹の大病がきっかけでした。

失明の危機にさらされていました。

ステロイドの多用が引金ではないかと、疑いました?

私が今、妹にしてやれることは、断食祈祷しかないと、直感しました。

時期は真冬でした(1981年⇒昭和56年の1/31-2/10)。

場所は、神奈川県湯河原の山の中腹にある知人の牧師の教会の納骨堂です。。

コンクリートのタタキの上に、すのこ板を敷き寝袋1枚に水だけでした。

その夜ひどい風雨になりました。

納骨堂の扉ががたがた風に揺すられて、はげしい音を立てます。

時折、扉の隙間からヒューヒューと若い女性の泣き声のような声が聞こえてくるのでした。

一晩中、風雨の音を聞きながらロウソクを灯して祈り続けました。

何とか助けたい!一心でした。

祈りました。

冷気が下から足腰に鋭い針のように突き刺さります。

妹を助けたい気持ちが強く、不思議に心は静かでした。

人間は一心不乱になると怖い物が無くなるんですね。

愛は恐れないい!」と言われますが、命の身代わりも不可能ではないと感じました。

癒しを確信して祈りました。

2009-06-04

神は死の陰を朝に

心が暗闇に閉じ込められると、自分がどんな危険に晒されているか分からないです。

光が差し込んで初めて自分の置かれた状態が分かります。

暗黒は生命に適さない恐ろしい世界です。

キリストは、光をもたらしました。

太陽が昇ると闇は跡形もなく消えます。

アッシジの聖フランシスは歌いました。

「くちびるに神を称える美しい歌を心に太陽を!」

大賛成です!

明るい気持ちに切り替えると、周りが明るく幸せを呼び込む、不思議な力が働くのです。

愛と感動の連鎖反応が起きます。

暗闇に覆われていた心の黒雲を取り除くと、青空がさんさんと光輝く太陽がありました。

望郷

望郷の想いは、生きる力になります。

田舎の家の囲炉裏を囲んで、食事の前のひととき、火種を竹筒の先に小さな穴を開けた火おこしで、ふうふう吹きました。

あまり強く吹くと灰が舞い上がります。

薪をくべます。

灰をかき揚げた残り火が、勢いよく燃えます。

楽しみの一つでした。

囲炉裏の上には鉄の鍋が、天井の黒びかりする梁から紐でつり下げた鈎の先にぶら下がっていました。

美味しい臭いが部屋中にたちこめました。

囲炉裏の回りに、川で捕れた小魚が串刺しになり、こんがり焼けて芳ばしい香りがします。

今も時々見る、懐かしいふるさとの夢です!

望郷の念が募る今日この頃です。

母も イソばぁばぁーも既に他界しているはずもないのにふるさとの山河が呼び掛けて来ます。

「お前帰らんか?」中井の教会にふるさとの家 日田と名付けました。

大切な、ふるさとを中井に築きました。

これは皆の心のふるさとになればと願っています。

この仕事のエネルギー源は中井です!

寄り添い助け合い、苦しみは分かち合います。

うれしいときは皆の顔が輝きます。

この力を、フィリピン・クリオン島の恵まれない子どもたちとその家族に注いで来ました。

彼らもわたしたちの大切な家族の一員です!

望郷の想い出夢が重なります!


不思議な夢の話(4)ヨゼフの夢・あなたの夢

イエス・キリストの誕生に天使が夢に現れ、ダビデの子孫、大工のヨゼフに告げました。
ダビデの子ヨゼフ、恐れず妻マリアを受け入れなさい。
マリアの胎内の子は 聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。
その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。
このすべてのことが起こったのは、主が予言者を通して言われていたことが実現するためである。
見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。
ヨセフは眠りから覚めて天使のみ告げの通りにしました。

神のご意思に 従いました。

世の非難を浴びても、神の志をあたえられた確信は揺るぎません。

また預言者は、ときには怪訝な目でみられ、非難されますが、人々の幸せを願う神のご本願、人類救済の大事業から身を引くことはありません。

夢は雄大な神の人類愛を告げる手段です。

天変地異も、また一人の苦しめる魂の救いも真剣に求める魂に「霊夢」として現れます。

寝るとき是非祈りながら神に良い夢を求めて下さい!

私もいまから眠りにつきます!

あなたに良い夢が与えられますように!

不思議な夢の話(3)神の選び

兄エサウの長子の権利と祝福を、ヤコブは母のリベカと謀り、エサウになりすまして、目の見えない父イサクを騙しました。

また狡猾なヤコブは、腹を空かして帰宅した兄を、たった一杯の煮豆で騙し、権利を手に入れます。

しかし、神はこのヤコブを選びました。

やがて、ときが来て、懐かしい父のいるふるさとカナンヘの帰途につきますが、マハナイムという場所で、再び天使を幻に見て、ヤポクの渡しで、こともあろうに、神と相撲をとるという神秘的な体験をします。

彼は腰の骨を外されます。

このときから名をヤコブからイスラエルと改めました。

その後、彼の子ヨセフがエジプトで出世してから、ヤコブは家族とともに迎えられ、ゴセンの地に定住し、その生涯を閉じました。

彼が見た夢は、現実のものになりました。
(つづく)

2009-06-03

不思議な夢の話(2)ヤコブの夢

旧約聖書(創世記28:11-17)に、ヤコブの夢が記述されています。

ヤコブ(ヘブル語で踵⇒きびすをにぎる者)は、族長イサクとリベカの間に生まれた双生児の弟です(創世記25:20-25)。

彼は詭計を用い兄ウサウから長子の相続。

そのため、兄エサウの激しい怒りを買い、母リベカの故郷ハランに逃げました。

彼は途中、ベテルで野宿したとき、天に通じるはしご夢に見て、神が彼とともにあり守り給うことを確信します。

ヤコブがある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。
ヤコブはその場所に横たわった。

すると彼は夢を見た。

先端が天まで達する階段が地に向かってのびており、しかも神の御使いたちがそれをのぼったり下ったりしていた。

見よ、主が傍らに立って言われた。
わたしはあなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。
あなたが今横たわっているこの土地をを、あなたとあなたの子孫に与える。
あなたの子孫は大地の砂粒のようにおおくなり、西へ、東へ、北へ南へと広がっていくであろう。
地上の氏族ははすべて、あなたのとあなたの子孫によって祝福に入る。
見よ、わたしはあなたと共にいる。
あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。
ヤコブは眠りから覚めて言った。
まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。
そして、恐れおののいて言った。
ここは、なんと畏れ多い場所だろう。
これはまさしく神の家である。
そうだ、ここは天の門だ。
ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、その場所をベテル(神の家)と名付けた。

ちなみに、その町はルズと呼ばれていた。

ヤコブは誓願を立てて言った。
神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事にに父の家に帰らせて下ったり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしにあたえられるものの十分の一をささげます。
(つづく)

不思議な夢の話(1)

私は物心がついた頃から霊的なことに深い興味を抱いていました。

76歳になった今でも衰えません。

母の胎内にいたときから運命づけられていたのかな?と、ときおり感じます。

夢を良く見ます。

鮮明に心に刻み込まれます。

一晩に続けて数回見ることがあります。

夜中の2時頃一度目が覚めて、また続きを見るのです。

綺麗な川を見たり、広い海を見たときは、必ず癒しに関係します。

山が動き、空高く飛び上がり、激しく地上に落下するときは、体の不調に加え、何か大変なことが起きる予兆だと感じ、慎重になるのです。

洪水濁流は無論危険の予兆です!

肉眼で見えないものを見る、何か深い意味が隠されていると心の奥底に響きます。

「聖書に書かれている夢」は、古代中近東において、超自然的な力から発生する告知(神から)と、信じられていました。

夢の啓示は非常に大切なこととされたのです。

祭司たちは神殿で夜を過ごし、夢を見、これは、神々の意向を知らせる手段だと考えました。
(つづく)

2009-06-02

生きています!

おはようございます。

今朝は久しぶりの好天に恵まれ、体が少し楽になりました。
お天気は体にいろいろ影響します。

明るい場所で自分の体を見ると、ガンダーラのお釈迦様か?†字架のイエス様のようにあばら骨が浮き出してきます。

去年の6月に癌宣告を受けて丁度1年経ちました。

その間に体重が10キロ落ちました。

毎日痩せこけていく体を眺めながら、余命を指折り数えていた自分が、今は嘘のようです。

何か夢を見ていた心地がします。

生きていることは素晴らしいことです。

生かされています!光が眩しく!初夏の若葉が新鮮です!感謝です!

2009-06-01

高貴なる魂に変貌する

神の願いは、人間の精神性を高め、高貴なる魂の持ち主になることを、お望みです。

悪事を重ねた人間でも、神に導かれると人相が変わります。

昔ある大学で教授が学生に2枚の写真を見せました。

1枚目は凶悪な強盗殺人犯の面相写真です。

後の1枚は聖者の写真でした。

学生たちは別人だと、教授に答えました。

それほど大きな違いがありました。

教授は学生たちに語り掛けます。

「同一人物だ」と。

驚きの声があがりました。

教授は詳しく説明しました。

この男は神に触れ、それまでの一切の罪を認め心の底から悔い改め犯した罪の償いに残りの生涯をかけたのだと!

彼は、罪の償いを立派に果たし、天に召されました。

この教授は、明治大学の教授を努めた山本有三でした。

名作『路傍の石』の作者です。

聞いていた学生の中に地の塩の箱の主催者江口榛一がいました。

彼の長女江口木綿子さんと私は親交がありましたので、彼女が書いた本の中で知りました。

素晴らしい証しです。

人間に希望が持てます。

聖なる僕イエスの名により、この悪人は救われ人格変貌を遂げました。

悪に心を奪われ、聖霊を欺いては決して起こらない愛の奇跡の物語です。

大切なメッセージを発信するのは私に課せられた大切な仕事です。

人々の幸せを阻害する者

庶民に幸せが行き渡る。

毎日が健康的で安心して住める社会。

餓死もなく争いも無い社会。

しかし願いは叶いません。

ささやかな生活を奪われ、消えて行く人々が地球上に大勢います。

人間が作り出す底知れぬ悪に消えて行く、動植物も数え切れません。

環境破壊が日を追うごとに加速しています。

人間の欲望、権力の乱用は止まることがありません。

神の戒めに反します。

紅海を無事に渡り終えた後の身勝手な人々の振る舞いに神は怒り、大地を切り裂き、自ら罪を作り出した人間は裂目
から地底深くに落ちて行きました。

悲惨を自ら招いたのです。

中休み

今、中休みをいただきました。

体を休ませて次の啓示に備えます。

オショチ

使命の報酬は

神は人使いが荒いお方だと、つくづく実感します。

肉体を持たれないご存在ですから。

直に痛みは無いと思います。

神は永遠の霊の輝き」だと、モーセは感じました。

「わたしの神、主はどこにおられるのですか?」と。

ときおり、私も叫びたくなります。

神は無言です。

いつもお答え下さるとは限りません。

息詰まる苦しみの後、不思議な安心感、解放感、 安堵感、喜びを経験します。

これが神のお答えだと受け取りました。

神と同行二人なら辛い人生の道行きも苦にはなりません。

この体験がなければ、死の谷 死の川も越えるのは不可能です。

使命

死の谷を越えた行く手に、かなり厳しい使命が待ち受けていました。

自分の話しですが。

命ふたたびの具体的な仕事は、遥か彼方の歴史・長い時間をタイムスリップして現在の生活に親しく聖書に記述された人々の生活の息遣いを伝えることです。

長い旅をしてきた人類の生活の一端に触れて今、生かされている意味を深く噛み締めて頂けたらと願います。

遥か彼方の歴史に埋もれていた人々の生活と比較してそれほど違和感が感じられないようにお伝えできたらと思います。

自分の感情的なものは、出来るだけ避けたつもりですが?

この仕事は簡単に放棄出来ません。

新約聖書は大海(3)人格転換(トランス)とリーダー

先に私の体験から臓器に霊が宿ると記しましたが、非科学的なことのように思いが、人間には理解不可能・摩訶不思議なことがよく起きます。

奇跡と呼ぶのがふさわしいのか、よく分かりませんが、体験して見ると何か納得出来ます。

もう駄目だと見放された人が、蘇ることも実際にあります。

奇跡は存在します。



また人間はいつの時代でも自分たちの王を求めます。

強力なリーダーを要求します。

安心と保証が必要なんですね。

預言者(以前は先見者と呼ばれた)の声に従いましたが、役目の分担が行われるようになりました。

政治と宗教の分離政策の始まりです。

神に選ばれた預言者サムエルをしても、正しい跡継ぎには恵まれません(サムエル記8章参照)。

年老いたサムエルは、自分の後継者に息子たちを任命します。

長男の名はヨエル、次男の名はアビヤ、この二人の息子たちは、父サムエルの意に反して不正な利益を求め、賄賂を取りました。

これでは民衆は納得しません。

“民が王を求めめた”動機です。

現代社会にもよく見掛ける光景です。

サムエル記の編集は紀元前550年頃と言われています。

また、サムエルの誕生からダビデ王の死にまで至る約一世紀間で王国の誕生と約束の土地取得が最大の課題でした。

新約聖書は大海(2)大王ダビデの嘆き

あの賢人、大王と呼ばれた詩人、軍人、政治家、ダビデは、神に、すがり、神の愛と許しと加護を熱心に求めます。

自分の内面に巣食う罪、底知れぬ罪の恐ろしさ根深さに気付いたのです。

彼がもっとも恐れたのは神との断絶でした。

神の祝福、御加護がなければ国家の生存は有り得ないことを、誰よりも深刻に捉えていたのです。

詩人ダビデにして得た、魂のうめき、叫びです。

神を称える詩は、宇宙の根元語だと感じます。

神を称える歌は美しく響きます。

「わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにしてあなたに賛美の歌をうたいます。目覚めよ、わたしの誉れよ目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙をよびさまそう。」(詩編57:8-9)

詩人ダビデは琴の名手でした。

彼は、イスラエルの初代の王サウルの狂気を鎮めました。

彼の奏でる美しい琴の音で、王は正気に立ち戻ります。

話しは飛びますが、予言者サムエルはベニヤミン族のサウル青年を、王を求める民の声に押され神の指示に従い、王となる按手、神の霊を注ぎます。

少数民族出身ベニヤミン族の青年は新しい心を与えられ神の霊が激しく彼に降り、予言状態になります。

以前から彼を知っていた者は誰もが何が起きたのか驚きました。

人格転換が起きました。

新約聖書は大海(1)創世記〜モーセの十戒

聖書を河川・海にたとえるならば、旧約聖書は、大海に流れ込む河川のようです。

イスラエル人ににらまれ、反発を買うかもしれませんが?

大小の河川が一つの大河となり、新約聖書の大海に注ぎ込む。

私のイメージです。

海は生命の源です。

あらゆる生命が、海を母体として誕生した、と言われています。

陸地に繁茂する植物まで含めると、生物の数は無数です。

旧約聖書の『創世記の天地創造の記述』は雄大の一語に尽きます。

神は御自分にかたどって人を創造され男と女に創造された。

神は彼らを祝福して言われた。

「産めよ、増えよ、地に満ちて、地を従わせよ。
海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」神は言われた。

「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。
それがあなたたちの食べ物となる。
地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」


これは天地創造の六日目の神の御業です。天地創造は 七日目に終りますが後が大変です。

男・アダム(イシュ)

女・イブ(イシャー)

が、エデンの園で蛇の誘惑に負けます。

人類悲劇の発端です。

詳しい事は旧約聖書をご覧下さい。

創世記の後に続くモーセの書出エジプト記から申命記まで読むと、神の予言者モーセの苦悩が痛いほど分かります。

砂漠をさ迷い民族大移動の偉業の苦悩、困難の連続。

モーセは、エジプトのファラオ王の追撃を受けますが、神は夜は火の柱、昼は雲の柱を立て彼等ら道しるべになりました。

紅海の水を分けて、モーセ率いるイスラエルの民を救い出した出来事は映画『十戒』にもなりました。

民衆は危険が去ると身勝手な行為に走ります。

その行為を見かねた神は予言者モーセを神の山、シナイ山に導き出しあの有名な「モーセの十戒」を授けました。

旧約聖書の掟、 戒律が厳しいのは元はと言えば人間の罪です!