2009-05-19

ダビデ王の切ない讃歌

古代イスラエルの大王と呼ばれたダビデ王(西暦前1000-961年在位)の讃歌に、胸を打たれる詩がたくさんあります。

私が独立伝道を開始した時期、約36年前、生活難にあえぎ苦難と試練の毎日でした。

当てもなく、さ迷い歩く日々でした。

何の保証も無い、支援も無し、“徒手空拳”の唯一人の孤独な伝道の道は、何時まで続くのか?

神様からの召命は自分の錯覚ではなかったのか?

日暮れて悩みは深く、道をあてどなく歩いた日々が、今は懐かしく思い出されます。

神様との道行きは苦しくても、清らかで、わたしの魂を生き返らせて下さいましたから!

しかし、魂の救いが確信出来る日までの道のりは、長く、苦しく、祈りながら読まされた詩篇をここに書き記します。
いつまで、主よわたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。
いつまで、わたしの魂は思い煩い日々の嘆きが心を去らないのか。いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。
わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え、わたしの目に光を与えて下さい。死の眠りに就くことのないように敵が勝ったと思うことのないように、わたしを苦しめる者が動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。
あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び踊り主に向かって歌います「主はわたしに報いて下さった」と。
この詩篇の記者、ダビデ王が訴えた“敵”とは?後日、自分自身に他ならぬことに気付かされますが…

神様との道行きは、イエス様が後に弟子たちに示されたように、自分の†字架を黙々と背負う厳しいものでした。

しかし、わたしのくびき(農耕のために、すきを引く家畜が首につけた道具)は負いやすいのも、体験して見ると良くわかります。

魂が光を見い出すには人間の策は全て破壊されます!

神様の救いは人間の条件の果てた末にありました。

3 件のコメント:

  1. ブログは読みやすくて、親しんでます。

    私も、『“敵”は自分自身に他ならない』の言葉に、はっとさせられました。

    聖書のひもときのブログ、これからもよろしくおねがいします m(__)m

    こうお願いする一方で、
    暫らく静養して下さりブログも中休みとのこと、ほっとする思いもあります。

    お大事になさってください。

    NF

    返信削除
  2. 聖書が身近に読めるように感じられます。

    まさにおしょちの苦難の道と共に、ダビデの讃歌があって力と希望を与えてくれて、おしょちの今につながっているのだと感じました。

    私も力をいただきました。
    ありがとうございました。

    返信削除
  3. 『ダビデ大王の切ない讃歌』 に 心えぐられ 力と希望を頂きました!
    心底、どこまでも敵は我です。でも希望を新たにしています!希望を持ち続ける力を頂きました!感謝です!

    想像を絶する長い苦難の道を歩まれ
    ここに至られた
    あいかわオショチの 神様へのひたむきなお心 信仰 その真実 真理 を
    心に ひたひたと 感じます。
    深い 深い 底知れぬ パワー を 感じています!

    とても 言葉に言い表せなく もどかしいですが…

    T.K.

    返信削除

「コメント」はブログの読者すべてに公開されます。公開に先立ち、管理者に届く設定ですので、プライバシーなどが含まれないか確認できますが、お名前やメールアドレス、私的なやりとりなど、個人情報に留意してください。イニシャルや匿名でも可能です。よろしくお願いします。